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「令室の小袖(お市の方、お江、東福門院)母娘三代の装い」@湖北文化センター

湖北文化センターなう pic.twitter.com/nzIKeZeR2k



posted at 13:19:12


雁金屋さんのおはなし楽しみ レジュメでは「ふしみ殿」が依然茶々のこととされているように見えてちょっと不安もありやなしや。 ちなみに息子湖北デビュー。


posted at 13:20:55


ふしみ殿のくだりの話あり。 終始淀君呼称なのは逆に新鮮。 ただ、お市やお江はそのまま呼んでるんだからやっぱり茶々でいいと思う。 おねも北政所と読んだ後におねと解説しているんだし。 まあ本筋ではないけどさ。


posted at 14:42:17


おお、綱重室でてきた 「甲府姫宮様」か〜


posted at 14:58:44


お市の例の肖像画の衣装を一枚一枚解説聞けて面白かった! 色とか染めとか織とかどれも面白かったなあ


posted at 15:11:38

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熊野那智大社

熊野那智大社 宝物殿
・豊臣秀頼奉納 ・鰐口 「熊野那智市?野王子慶長六辛巳十一月日/豊臣朝臣秀頼公御寄付御奉行鈴木与作」
・硯箱

posted at 12:03:11


解説「那智山と豊臣家」要約① 天正九年の戦火で山内の堂宇が焼失、その後天正十五年から豊臣秀長を願主として復興造営が行われる。慶長八年まで十六年を要した復興造営は秀長から秀保、その後秀頼に引き継がれ、社殿、本堂、仁王門、市野々井王子、振枷瀬橋などが完成した。

posted at 12:03:12


解説「那智山と豊臣家」要約② 社殿完成時に納められた神像十五体も完具で伝わる。 熊野那智大社本殿(拝殿後方)と、青岸渡寺本堂は桃山時代の建造物として国の重要文化財に指定。

posted at 12:03:12

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熊野本宮大社

熊野本宮大社 宝物殿①
慶長十七年奉納 ・銅鍍金釣燈籠 当初十二対あったが、現存するものは一基のみ
慶長十八年奉納 ・銅鉢
慶長十八年奉納 ・神額 「日本第一大霊場所 根本熊野三所権現 豊臣秀頼」
秀頼ゆかりの品それぞれに『秀頼卿御再興』の銘あり pic.twitter.com/C2kYGtBfM6


posted at 14:53:57


熊野本宮大社②
秀頼が大檀那、浅野幸長を造営奉行御殿として社殿を造営。 慶長十七年着工、十九年三月竣工 当時は神仏習合の社で、阿弥陀如来を本尊とした 江戸期社殿は大火で焼失したが、現存している燈籠等は火災を逃れたもの

posted at 14:53:58

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企画展示 「淀殿~波瀾の生涯~」@大阪城天守閣

全て大阪城天守閣蔵:

・浅井亮政書状写(天文九年十二月二十六日付、山中与三左衛門尉宛)、
・浅井久政書状写(天文二十四年七月二十三日付、大井懸所侍中宛)、
・浅井長政画像(写)、
・浅井長政書状(九月十一日付、浅見新右衛門尉宛)、
・姉川合戦絵図(江戸時代、古河古松軒作)、
・徳勝寺浅井三代墓写真パネル

posted at 12:43:45


・織田信長画像(複製/原本:天正十一年五月作、大徳寺117世古渓宗陳賛、安土城総見寺に伝わる、神戸市立博物館蔵)、
・お市の方画像(複製/原本:持明院蔵)、
・『絵本太閤記』、
・柴田勝家画像(複製/原本:千葉柴田家蔵、筑後柳川藩主立花家の家臣柴田家に伝来、家伝曰く、北庄落城の際近侍の僧侶に自身の姿を描かせ、生まれて間もない遺児勝春(柳川柴田家の祖)を脱出させた折にこれを託したものとされる)、

posted at 12:43:45


・天鷲寺柴田勝家・お市の方・勝家父墓写真パネル、天鷲寺は勝家の末裔と伝える柴田徳翁家の菩提寺)、
・豊臣秀吉画像(模写/原本:西笑承兌賛〔慶長四年二月十八日付〕、秀吉の側近で奉行や御咄衆を務めた富田信広が調達、その菩提寺正眼院〔現大隆寺〕に伝来、愛媛宇和島伊達文化保存会蔵)、


posted at 12:43:46


・増田長盛等五名連書状(天正十九年八月三日付、増田長盛・小出秀政・寺沢弘政・石川光重・伊藤秀盛連書、北野社宛、鶴松本復祈祷)、
・鍍金燭台 芯挟み・芯入れ付(伝淀殿所用)

posted at 12:43:46


・歌書散屏風(伝淀殿筆)右隻、
・秋草文彩画団扇(伝淀殿所用)、
・杉目檜扇(伝豊臣秀頼所用、藤原清子氏寄贈)、
・豊臣秀頼自筆和歌色紙(藤原俊成による女御入内の屏風の和歌)、
・金小札緋威喉輪(伝豊臣秀頼所用、藤原宗一郎氏寄贈)、
・革包合口拵(伝豊臣秀頼より高松元典拝領、大阪漆原滋雄氏寄贈、刀身はすり替えられた別物)、

posted at 12:43:47


・帥法印歓仲書状(文禄二年七月八日付、書写山宛、「大阪二の丸様」)、
・豊臣秀吉自筆書状(おひろいさま宛、文禄三年?九月二十六日付、口吸いのやつ)、
・豊臣秀吉自筆書状(秀よりさま宛、十二月二日宛、重要美術品、口吸いパート2)、


posted at 12:43:49


・前田利家血判起請文(文禄四年七月二十日付)、
・豊臣秀頼黒印状(直江兼続宛、極月十六日付)、
・大坂冬の陣図屏風(肉筆模写)左隻(武内勇吉氏作・寄贈/原本:東京国立博物館蔵模写本、原図は現存しないが合戦後間も無く成立か)、
・陣中床几 朱銘 慶長十六年辛亥霜月吉日(伝豊臣秀頼所用)、


posted at 12:43:49


・豊臣秀頼黒印禁制(大阪施福寺蔵、慶長十九年十月二十二日付、袖印)、
・豊臣秀頼黒印禁制(大阪施福寺蔵、慶長二十年五月四日付、黒印は日付の後、現存最後の秀頼書状)、
・大坂夏の陣図屏風(右隻、複製、黒田長政が戦後間も無く描かせたものとされる)

posted at 12:43:50


人が多いうえに茶々に興味がない人が多かった… 浅井長政誰?お市って信長の奥さんやん!などなど…💧知らないことはええんやけど、せめて目の前の解説読もうぜ… まあ大きな声でめちゃくちゃなこと言ってるほうがちょっと…


posted at 12:43:50


お捨の名前とか、そんな名前つけるから!当時は動物とかの名前つけてたのに!とかさ… 捨とか、当時普通にある名前だよ… 今の価値観はともかく、当時の縁起をかついだ名前なんだよ…! と横でぐぎぎぎしておりました… 解説は、崇源院=すうげんいんとか、従来の説を頑なに使っとるなぁという印象。


posted at 12:43:50


・豊臣秀吉朱印大阪城中掟書(慶長二年卯月二十日付)、
・毛利輝元書状(青木一矩宛、慶長五年七月二十七日付)、
・聚楽第図(明治二十七年作、原本は海北友松による聚楽小学校蔵本)、
・豊臣秀吉自筆書状(小田原陣中から家族を案じる内容、「大さか殿」「わかきミ」) 3Fもなかなか!


posted at 14:01:04

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総持寺

総持寺境内図(明治七年)の朱書 本堂・金堂・楼門「慶長八年豊臣秀頼公再建」 鐘撞堂「慶長八年伽藍再建奉行片桐市正且元寄附、但鐘共同士所持之陳鐘ノ由」

posted at 13:52:14


秀頼再建の伽藍は火災で現存しておらず、現存するのは当時の擬宝珠のみ…というわけで擬宝珠が見たかった。残念。

posted at 14:08:31


且元の鐘はあった pic.twitter.com/4RoeTm0fr8


posted at 14:09:10

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