常高寺にも長政とお市の位牌(今だけでなけ火災の前も)があり、過去帳にも長政とお市の記載があります。 chachahimeblog.blog.fc2.com/blog-entry-956…
posted at 16:28:25
『柴田勝家』読了。私的には『お市の方の生涯』と続けて読んで大正解だった。同じ事績でも、史料の取捨選択がそれぞれで、メインで扱っている史料なのに一方では根拠薄弱とバッサリ切られているのが逆に勉強になりました。信長死後に勝家が近江を得た事に対する見解もそれぞれで面白かったです。
posted at 16:46:28
3章終わり。 んー、史料が少ないから仕方ない部分は重々承知で、資料の取捨選択と、すでにある認識からの逆説的な絞り込みにところどころ腑に落ちない点ありという感想。年齢による線引きとか。
posted at 10:05:50
それをいうなら、保科正之に対する江のあれこれも、忠高に対する初のあれやこれやも、嫉妬とかというより正妻の承認がなかった結果ってことかな。同じ庶子の高政に対して初がそういうことしてた感じないし、可愛がって上洛につれてきてたみたいだし。
posted at 14:37:05
だからって、お寧の承認がなかったから茶々姫以外誰も秀吉の子を産まなかったってのはそんなに納得していない。茶々姫贔屓だという自覚はあるし、例の雑説関係は反吐が出るほど嫌いだけど。そういう面もあったかもしれないけど、結局江とか初とかにもああいう話があるんだし、結果論なのでは。
posted at 14:39:59
前田利常関係もそういうのあるんかな。千代保だけ松と仲良くなかったとか、そういう話があるけど、名護屋行きに着いて行かせたけどそういうつもりで付かせたわけではなかったのにそうなったからややこしかったのかな?
posted at 14:42:08
茶々が柴田勝家の供養をした形跡がないから養子関係はなかったという話、『お市の方の生涯』の前にも見た記憶。 この供養は、そのうちに入らないのかなと毎回疑問。 →茶々姫と柴田勝家 chachahimeblog.blog.fc2.com/blog-entry-878…
posted at 19:47:32
織田の一族として重んじられてても、小谷の御料人って呼ばれてたのは個人的にだいぶ嬉しいな。でも。「小谷の御方」と呼ばれていたお市泣亡き後、妹たちどころか浅井一族郎党の生き残り、ひいてはお市とともに勝家が引き継いだ近江を背負っていると認識されていたとしたらなかなか重いとも思う。。
posted at 09:56:58
黒田先生の説を受けると、勝家の死後秀吉が茶々を保護して手元に残したのも、織田の血縁なのはもちろん、長政からお市、お市から勝家に引き継いだものを茶々を通して確保したいという面も多分にあったのではと反芻しているなう。
posted at 09:56:58
時間ができたので飛び込みでレンタカー借りて切幡寺の大塔を拝みに来ました。ありがたや。 お寺の記載もそれぞれ微妙に違うので、なんともはやといったところです。 pic.twitter.com/dpNLLu1DQM




posted at 14:36:04
特段大きな新発見はなかったけど、もらった冊子がよかった。図録はないみたいで残念だったけど、この冊子と展示一覧を頂いただけでも行って良かった。藩主それぞれの室も挙げられてて、あまり伝わらない女性の本名ってやっぱ面白いなあと思いました。
posted at 18:07:03