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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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幼少時茶々姫に心酔して以来、茶々姫一途な×十年を送っている紀伊(HN)と申します三つ指ごあいさつ(PNは赤石いとこと申します)

茶々について細々と我流に調査&研究しており、情報整理&報告のために永遠に工事中なサイトを運営しています。その他、執筆や講演の機会を頂き、細々と活動させていただいております。


≪コメントについて≫
個別の質問コメントについては、調査・確認する時間や手間などの関係上、基本的にお答えできないことをご了承ください。


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講演会『秀吉と北政所』(福田千鶴先生@湖北文化センター)

 
福田先生の講演会はどこでも行きたいのですが、情報が入りやすいのが長浜城歴史博物館友の会の講演会ということで(今は会員ではないのだけど…)、今回もお邪魔してまいりました。

定期的に福田先生を読んでいただけることに感謝。
今回は福井館長にお礼と、今後もぜひ福田先生を読んでくださいと勝手ながら伝えさせていただきました。

講演内容的には、下記投稿の通り
・高台院の本名について(本名は「ねい」、「ね」は女性が頭文字を署名する当時の風習による、「ねね」は愛称、幼名)
・高台院の生年について(結論としては天文18年)
・婚礼は粗末なものだったのか(高台院の養家浅野家は裕福な家だったし、史料を読んでも粗末だったという記載なし。「裏長屋」でもなければ「土間」なんてどこにも書いていない。敷かれた「薄縁」も高級なもの)
・ほぼ長浜にいなかった秀吉と長浜に居続けた高台院(長浜時代に高台院は研鑽を積んでその後秀吉を支える妻の役割を果たす素養を培った)
・寧・茶々は姫路に来ていない

個人的には
・「姫路様」の役割(姫路城で御殿を得ていた。中国攻めのときに秀吉を支えた女性)
・「大谷の五もじ」書状について(姫路には来ていない件)
「又申候」:同じ内容の手紙がこれより以前にも出されている。
も印象に残っています。

とかく「糟糠の妻」というイメージ先行で語られるために、曲解されていることが多いとのこと。(生年にしても、婚礼の様子にしても)

講演後福田先生にご質問されたい方に流れで同席?させていただけました。
家光生母の話を聞かれていて、福田先生的には自説に以前より確信を持たれているご様子でした。
『男と女の大奥』の各所にその話をされているようなので、こちらも早く読まなければ。
個人的にこの説に関しては諸手をあげて賛成という立場ではないのですが。

ともかくもいろいろお話を伺えて、モチベーションもいただきました。
1月の新刊が楽しみです。寧の評伝を福田先生が担当されると知ってから楽しみにしていましたが、今回寧のお話をされると聞いて、新刊の話が出るのではないかと個人的に期待しておりました。
相変わらず固定観念にとらわれない福田先生の姿勢は、お話を聞くたびに頭をぶん殴られるかのような衝撃があります。

なにはともあれ、快く行かせてくれる夫に感謝。


*以下、つぶやきまとめ*

せんりひん。 pic.twitter.com/uHPAgn8e27


posted at 11:21:32


追記:
御城印、全然集めてはいないのですけど、せっかくお邪魔したところくらいは頂いておこうと思い始めました。
・徳島城
・一乗谷城
・兵庫城
・長浜城
・小谷城
だけあります。
北庄城はもらい損ねました…(思い立ったのがそのあとだった…)

1月!1月!! pic.twitter.com/FKuAdwcS1m


posted at 13:20:45


11月11日 講演会「家康を支えた女性たち」|刈谷市歴史博物館 www.city.kariya.lg.jp/rekihaku/event…


posted at 15:01:44


追記: 講演会でお話しされていたけど、すでに申込期間は終わっており、後の祭りという奴です。。

お寧さんの本名問題、生年問題、婚礼の解釈問題、長浜城滞在期間問題など。 個人的には「大谷のごもじ」の史料時点の茶々姫居所が、姫路城でなく山崎城というお話はもう一度確認しようと思ったポイントでした。確か『お市の方〜』では本能寺の変後、長浜城から逃れて、長浜に戻り、山崎、姫路の流れ


posted at 15:08:11


追記:
講演会の内容について。
講演会後のお話によると、『居所集成』についても訂正したかったご様子でした。伺いたかった。
茶々姫が姫路にいなかったのは気持ち的に残念だけど…
私も『居所集成』及び『お市の方の生涯』を読み返そうと思いつつ、まだ手が回っておりません。

だったかな… 福田先生の話を聞く限りは、長浜城から逃れてそのまま山崎、大阪までそのままという感じかな。


posted at 15:08:12


福田先生の宣伝忘れ:11/1の歴史探偵に出演されるらしいです。秀頼の話をされるっぽい…?


posted at 18:19:09


追記:
予約しました^^
 

特別展「秀吉と三人の秀勝たち」@曳山博物館

 

【曳山博物館】特別展「秀吉と三人の秀勝たち」
◯豊臣秀吉坐像(知善院蔵、17世紀)
◯豊臣秀吉像(山縣岐鳳筆、瀬田町組萬歳樓蔵、19世紀)
◯豊臣秀吉像(山縣岐鳳筆、個人蔵、19世紀)
◯羽柴秀秀吉寺領寄進状 医王寺侍者御中宛(天正4年10月15日付、徳勝寺蔵)…朝覚の死の前日付。仏供料


posted at 13:21:52


として井口郡に30石を寄進。
◯羽柴秀吉寄進状写知善院宛(天正4年10月22日)…医王寺と同じく井口郷から30石を寄進。
◯『江州湖東八幡宮勧請并祭礼由来』(明治8年、長浜城歴史博物館蔵)…寛文6年(1666)に書かれた、長濱八幡宮および曳山祭の由来書の写し。
◯本光院朝覚像(写真、妙法院蔵、17世


posted at 13:21:53


紀)…昭和27年に焼失。
◯妙法院境内本光院朝覚墓写真(石囲い箱棺墓遺構)
◯本光院朝覚供養塔写真(天正4年、妙法院蔵)…妙法院はもともと小谷村の長尾寺(天台宗)。日富の時代に日蓮宗に改宗、その弟子日示が、秀吉の命で天正2年に長浜に移り妙法寺を開いた。日示は秀吉の崇敬が厚く、秀吉の姉


posted at 13:21:53


とも(日秀)もこの時帰依したとされる
◯豊臣秀吉・羽柴秀勝位牌(18世紀、徳勝寺蔵) (表)「(右)國泰寺殿雲山峻龍大居士 台閤秀吉公/(左)朝覚大禅定門 次郎秀勝君」 (裏)「(左)慶長戌三年八月十八日/(右)天正四子年十月十四日」 秀吉信仰で作られたかも?


posted at 13:21:54


◯羽柴於次秀勝像(瑞林院蔵)瑞林院は蒲生氏郷室の創建、開基岌方行西は秀勝に仕えた藤掛氏の出身
◯瑞林院墓地内羽柴秀勝墓所写真
◯羽柴於次秀勝位牌(17世紀、瑞林院)
◯崇源院像(養源院蔵、17世紀)


posted at 13:21:54


お江が来てたとは驚き。それだけ小吉の史料が少ないってことなのかな。お江合わせて3点くらい。

 

企画展「井口の歴史と文化財」&常設展@高月観音の里歴史民俗資料館

 

【高月観音の里歴史資料館】 (常設)
◯『太閤志津ヶ嶽軍記』伊吹玄瑞著、江戸時代後期、個人蔵: 「木之本浄信寺の僧・雄山が記した『賤ヶ岳合戦記』を、弟・伊吹玄瑞が増補・改訂して版行したもの。序文によれば、雄山は、母が浅井長政の孫(長沢福田寺慶安の娘)にあたることから、


posted at 11:22:07


僧籍にありながら、求めに応じて『浅井三代記』や本文を記したという」
◯芳洲会蔵「野村合戦必携 稿本」明治40年、南部晋編。
◯同蔵「江北史料図彙 浅井郡之一」明治後期、南部晋著編。 昌庵見久尼歯骨図、昌庵見久尼肖像
◯同蔵「をしえのみやび」、明治後期、南部晋著編。


posted at 11:22:08


◯同蔵「稿本浅井武鑑 二編 全」 明治後期、南部晋編。 (企画展「井口の歴史と文化財」)
◯理覚院蔵「伝井口弾正肖像画」絹本・著色、安土桃山時代 「井口氏は地元の土豪で浅井氏の重臣であり、また同族関係にあったという」 ・解説:「理覚院は、近江国佐々木氏や湖北を領した浅井氏らとゆかり


posted at 11:22:08


の深い、当地の土豪井口氏の菩提寺(廟所)。寺宝として、井口弾正経元の肖像の伝える威風堂々とした画幅が残され、また天正13年の銘が刻まれた供養塔が建っている。」 「井口氏は崇峻天皇皇子定世親王の後裔近江中原氏を出自と伝え、また一説には近江源氏佐々木氏の一族で東条氏と称したともいう。」


posted at 11:22:08


「一説に、戦国期の当主井口弾正経元は祖母が浅井家から嫁しており、その容貌は浅井初代の亮政と極めて似ていたという。亮はのちに、弾正経元の嫡男経親を重用し、経元の娘阿古(阿古御料・小野殿、1527?-73)を嫡男久政の室に迎えたという。そして久政と阿古の間に生まれたのが長政である。


posted at 11:22:09


しかし、『嶋記録』には、長政の母阿古が信長の怒りによって十指を数日の間に切られ、ついには殺害されたという心痛に耐えない記録が残されている。」


posted at 11:22:09


「なお、渡岸寺観音堂(向源寺)に安置される国宝十一面観音像は、元亀元年の戦に際して土中に埋伏されて兵難を逃れ、その後これを掘り起こして一宇の坊舎を建てて奉安したのが井口弾正(経元の子?)とも伝えられている。」


 

「大たにの五もし」(中村博司著『豊臣政権の形成過程と大坂城』)

 

「大たにの五もし」:日付欠羽柴秀吉自筆書状(天正11年8月/『大日本史料』十一編之四所収/中村博司著『豊臣政権の形成過程と大坂城』より)


posted at 14:17:32


北ノ庄~安土~長浜~京都~但馬~姫路~大坂 という流れが、今までになくしっくり。 そして思いのほかお寧の世話になっていて、このころの茶々の事績とともに、後年の後室連携の面でも当時のお寧の周辺について再確認が必要だなと感じた次第です。


posted at 14:17:32



プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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