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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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秀吉と戦国武将文書展・清滝寺徳源院と京極氏@長浜城歴史博物館

 
寿松さんの正体や蔵屋さんとの混同を解きほぐすのが最近一番の関心ごとです。
講演がなければ見に行けなかったかもしれない展示。
縁があったものとじっくり拝見させていただきました。面白かったです。

京極つながりで、長浜でも、丸亀関係文書をぜひ見てみたいなあ。

(メモ)長浜城歴史博物館蔵慶長六年大音孝則(市左衛門)宛片桐且元書状。木之本浄信寺、竹生島復興の際、寺社奉行の且元が義弟孝則や雨森長介に補佐を命じた書状。

posted at 09:33:32

阿古な父井口経元が戦死したとされる享禄四年の箕浦河原の合戦で怪我をした三田村又四郎への礼状も。亮政の時代に阿波へ移住したらしい経緯が気になる。移住しなかった三田村氏との関係も。

posted at 09:39:02

「浅井日記」の浅井氏系図。改めて見るといろいろ面白い。万福丸が長政に先んじて早世とか誤りも多いけれど。またゆっくり見てみよう。

posted at 09:47:26

徳源院蔵京極家系図。高吉の項に「内室浅井下野守祐政娘」、高次の項に「母浅井下野守祐政娘 清源院殿」、「内室浅井備前守贈正二位大納言長政娘」とあり。

posted at 09:54:34

②龍は高次の次に「女子 太閤 秀吉公北方号松丸殿」と記載。そのあと、高知、氏家内膳正妻、朽木兵部少輔妻、そしてなぜか八条智仁親王北方が最後に。

posted at 09:58:41

そのあと、二十六代に高広がきて、二十七代に忠高。「母浅井備前守贈正二位大納言長政女 号常光院 内室ハ 秀忠公の御娘 号貞安院殿」「慶長十九年冬秀頼公大坂篭也時蒙家康公之御内意以常光院為和睦之使属無事」とあり。

posted at 10:05:21

徳源院蔵京極高次像。肖像画に比べていかつい顔立ちです。

posted at 10:09:37

一周回って浅井日記(「浅井合戦日記」)。ここでは久政の生母が浅井氏北向殿、長政の生母が馨庵寿松になっている…。しかも「九十九」とあるのは享年…?長政母は間違いだろうけど、久政母の謎は深まるばかりです…

posted at 10:18:17

実宰院の件も、良く確認すると「実宰庵縁起」ではなく伝承って書いてあったんだなあ。実宰院がある平塚にはもちろん、北野にも実宰庵に逃れる道中を語る口伝があるみたいだけど、そういうのは相手にされないんだろうか。

posted at 10:24:47

ありゃ、待って。寿松さんは二十六で久政を生んでて、久政は四十九で亡くなってるんだから、小谷落城後も生きていない限り享年九十九も無理があるなあ。

posted at 10:27:37

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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