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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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鬼頭勝之氏著『裏から読む大坂の陣 善光寺・豊国社・お江与・甚目寺』

 
鬼頭勝之氏著『裏から読む大坂の陣 善光寺・豊国社・お江与・甚目寺』(ブックショップ マイタウン、2011年)の感想ツイートです。

鬼頭勝之氏著『裏から読む大坂の陣 善光寺・豊国社・お江与・甚目寺』を読んでいます。八月一日付で出版されたばかりのよう。いろいろ初見史料があって面白いです。

posted at 21:38:50

茶々の亡霊が家康他界の際に現れた話も。秀忠病の折には秀頼の祟りと噂されているし、既に秀頼や茶々を死に追い遣ったことに対する遠回しな非難が見えます。ちなみに茶々も夢で秀次の亡霊を見たという話があります。娘を嫁にという話があっただけに、知らぬ相手より罪悪感があったのでしょうね。

posted at 21:43:44

【裏から~③】高野山に、江の石搭が三つ存在することも紹介されています。奥の院・持明院・東南院。浅井家ゆかりの持明院にもあるんですね。知らなかったなあ。浅井家関係者で他の人のものはないのでしょうか。

posted at 21:47:27

【裏から~④】慶長三年、善光寺の如来を返す際に茶々姫の意志で行われたという「甲善本尊出現記」の記載も。その二年後、慶長五(1600)年には秀頼の名前で本堂を修築している縁の深いお寺です。(関連ブログ記事:『茶々姫と善光寺』 http://t.co/rIGHtQ5

posted at 21:52:24

【裏から~⑤】個人的には、『諸家高名記』の引用、「秀頼卿と申せしは江州浅井備前守長政の息女、容色美麗なるを、太閤きこしめしよばれて、淀の御やかたへむかへ給ひ、淀殿と申て偕老御かたらい、鴛鴦の契り、浅からざりししるしに、若君誕生なされて、秀頼卿と申せし也」のくだりが好きです。

posted at 21:56:09

【裏から~⑥】『諸家高名記』は享保八年の成立とあるので、語り口の柔らかさにますます驚きです。最近、茶々の容色をとにかく否定する方がいらっしゃいますが、享保に既に「容色美麗」と語られていた様子。とはいえ、美人でもそうでなくとも私の思い入れに変わりはありませんが。

posted at 22:01:45

【裏から~⑦】当時、熱田誓願寺の扁額(「当時建立 浅井備前守息女 内大臣秀頼公御母儀 為二世安楽也」)撤去の命を熱田上人が拒否し、家康秀忠に認められたという経緯も。撤去の命令があったとのことなので、生前には寂光院や歓喜光寺以外にももっと多くの扁額があったのでしょう。

posted at 22:12:41

【裏から~⑧】茶々関係では、他に「城方忠臣之図」という秀頼や諸将の肖像の中に茶々(「淀君」)の肖像がありました。流布しているどの肖像とも似ていないものでした。まだまだざっと見ただけなので、改めてじっくり読んでみます。

posted at 22:19:25

先ほどつぶやいた茶々姫の肖像が見られるページを発見しました。http://t.co/Yxl4A9T

posted at 23:33:09


⑤、⑥で触れた『諸家高名記』の記述は個人的に好きでした。
コメントで『徳川幕府家譜』にも「三女トモ隠れ無き美女」とあると教えていただき、二次史料では早くから三女の容姿について触れられた(しかも徳川方史料)があったのだと改めて驚いています。
昨今、「伝」の像や養源院の像を持ち出して茶々姫は美女ではなかったという人が妙に増えているように思うのですが、三女とも標準よりはおきれいな姫だったと私も思います。

⑦で熱田誓願寺について触れたのですが、偶然k2さんのブログでも同テーマが扱われていました。
慶長五年に火災に遭ったのち、茶々と江が協力して誓願寺の再建に尽力したという記事(「右大臣秀頼母淀殿与崇源院大夫人協心再建」)がとても印象深かったので、こちらでもご紹介させてください。

→* 「誓願尼寺」『泰巖宗安記』
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Comment

1. 愚痴になりますが…

お気持ち、すごく分かります。
不確かな肖像画などで茶々姫の容色を否定しては欲しくないですよね。
作家さんなどでも肖像画を基に「父親似でおおまかな顔立ち」と推測される方が多いようで……肖像画の信憑性について疑問はないのでしょうか。
浅井家ファンとしては長政公の容貌に対する批判にもつながる内容で少し嫌気がさします(苦笑)
持明院蔵は写実的にというよりも、優しい父親像を描こうと努めている雰囲気ですよね。
小谷城址保勝会所蔵の長政像はきりりとした涼やかな顔立ちをしているように個人的には感じますし、それぞれ素敵です。
三姉妹が母親似でも父親似でも十分に愛らしく魅力的なはずと感じるのは私の贔屓目でしょうか…。

どっちにしろ「おおまかな顔立ち」と決めつけるのには待った!ですね。
もちろん戦国武将や姫君達の魅力は姿かたちでは決してありませんが、軽々しく議論されたり嘲笑されたりするのはいい気分ではありません…

長々と失礼しました。

2011.08.28 | 由美[URL] | Edit

2. Re:愚痴になりますが…

>由美さん

コメントありがとうございます。
この気持ちを分かっていただけて、とてもうれしいです。
あまり根拠のないことをこの場では言いにくいのですが、それでも長政や茶々の容色批判は余りにもずさんだろうと毎回泣かされています…

私は浅井長政の肖像が大好きです。持明院蔵のものも養源院蔵のものも、父長政に対する娘の思いが溢れていて。男として、武将としての肖像画ではなく、父としての姿だとしたら、とても優しげで素敵な肖像画ではないですか!

三姉妹のだれが長政似、誰が市似なんて議論は本当に無駄な議論だと思います。

私は茶々姫は容色だけでなく中身も父譲りの女性だったからこそ浅井の旧臣が慕って集まってきたのだと思います。
子どものころ完全に父に似ていても、成人するにつれ嫌でも母に似てきます。

それを、確固たる根拠もない肖像画で誰が似ている、劣っているなんて言われるのは正直失礼ではないですか…
現代のゴシップの匂いがして、私も好きではないです。

寂光院の木像や、南蛮図屏風の茶々姫は、世の中で言われているよりずっと穏やかな顔をなさっています。
きっと、長政像に通じる穏やかさ、優しさがあったのではないかと私は信じます。

2011.08.30 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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