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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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第三十話「愛しき人よ」【大河ドラマ感想】

 
茶々姫をたどる汐路にて
(千姫神輿のある伏見御香宮神社)

○京極家、忠高を巡って

ちょうど西島氏の論文で読んだ辺りでいろいろツッコミどころがありました。

京極高次の嫡男忠高を産んだのは「妾」(「山田家代々法号録」、「磯野家由緒書」)である山田崎(「山田家~」、「京極家御系図」「磯野家~」では「おな」)という女性で、朝鮮出兵の際高次に従軍し、忠高を身ごもったそうです。

彼女を召したのが「秀吉のすすめ」というのは濡れ衣もいいところです。
西島氏の論文に紹介されている書状を見る限り、山田崎を懐妊させたことによる茶々や大蔵卿局の心象はおおむね悪くなっています。秀吉の勧めであれば二人の心象がここまで表だって悪くなることはないのではないでしょうか。
ついでに母マリア(浅井長政の姉、茶々たちの伯母)の心象も悪いようで、初と縁のある人々は揃って高次が山田崎を懐妊させたことに対しよく思っていなかったらしいのです。

おまけに、初が「側室」に乗っ取られること嫌がっていましたが、それもありえなかったりします。
書状によると、懐妊が分かった時点から崎の輿入れ先が模索されています。それはそれで気の毒な話なのですが…。結局、秀頼に仕えた吉田治五衛門という人に嫁したようです(「山田家~」)。
秀頼の家臣ということで、茶々か大蔵卿局あたりが手を貸したのかもしれませんね。

後に記された「磯野家由緒書」によると初が妬心から忠高を害するのではという噂が流れたようですが、結果的に初は嫡母として忠高をしっかり後見したようです。このことから一部の系図史料の中には、忠高の母を初とするものもあります。

資料:西島太郎「京極忠高の出生――侍女於崎をめぐる高次・初・マリア・龍子――」(『松江歴史館研究紀要』第一号、2011年)

○慶長伏見地震と火災と千

東日本大震災に配慮されて火災になっていましたが、原作では慶長伏見地震でした。『清正記』によると文禄五年七月十二日~十三日、深夜の地震だったようです。
秀吉は当時寧・龍や上臈衆・女房衆と庭にいたそうです。深夜ということなので茶々は秀頼を連れて屋敷内にいたのでしょうか。
指月の地にあった伏見城は崩壊し、木幡山への移転を余儀なくされました。

いらぬお世話ですが、千が生まれたのは翌慶長二年五月十日(『言経卿記』)もしくは四月十一日(『幕府祚胤伝』)、慶長元年四月十一日(『徳川実紀』)、場所は伏見城とも伏見徳川屋敷とも(福田説では産褥を避けて家臣の屋敷とも)いわれ、伏見城ならば婚礼同様、婿入りの形をとったために豊臣家で産んだのではとも考えられています。
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Comment

1. 初の描き方についての疑問

こんにちは。秋草です。
以前私のとりとめもない疑問にお答えくださいましてありがとうございました。

初と側室の件、ドラマでは残念な描き方になっていました。私はこの回のお話を見る前に高次の側室にまつわる紀伊様のブログ記事を読んでいたので、ドラマの方では違和感を感じました。
「太閤様のお勧めで」という高次のセリフには「ええー・・・」と私も思いました。確かに京極家は秀吉の寵愛のある龍子の実家であるので、嫡男がいないことは秀吉も心配していたかもしれないですが、この時(ドラマでの場面の時)初はまだ二十六歳で、子供もまだ望めるはずです。それなのにドラマでは、江に「子をくれ。」とせがむというのは、初には子供ができない、と脚本家の人が「結果」から初を描いてしまっている気がします。

脚本家さんは側室を以前からの悪いイメージでとらえている気まします。側室の重要性をもっと出してもらいたいです。

2011.08.28 | 秋草[URL] | Edit

2. 無題

今回も 浅井出身の奥方に土下座する京極家の当主、お世継ぎが二度まで火中に身を投ずるのを指をくわえて見送る徳川家の近習たち、武家社会の見所満載?でしたね。

それにしても 京極家と近江の結びつき、一度も紹介されなかったのでは?
(どっかで見落としたかと、絶えず不安になる番組です。)

血縁以外に地縁も相当重要な役割を果たしているはずなのですが、三姉妹の周りには湖北地方の香りすらありませんね。

2011.08.28 | 渡邊markⅡ[URL] | Edit

3. Re:初の描き方についての疑問

>秋草さん

こんにちは。コメントありがとうございます。

先に最新研究を読まれたとのことで、いろいろおかしな点を発見できたことと推察します。
おそらく西島氏の論文がなくとも、何ともいえぬ気持ち悪さが残る展開でしたが、予習のおかげで何がしっくりこないか分かり、個人的には重宝しております。

初の件ばかりではなく、大河の中にはたくさんの預言者がいらっしゃって、その発言にすごく冷めてしまうことが多々あります。あからさまな伏線、過ぎるといらっとしちゃいますね。

しかも折角茶々を秀吉の妻として描いているのに、他の女性には「側室」という言葉を使い、蔑んでいるのがとても悔しいです。
福田先生も仰っておられましたが、当時の妻制度をしっかり浸透していない状態で中途半端にかいつまんで使っている感じがします。

もったいないし、使っている貴重な最新研究成果も創作の一つと解釈されてしまうがっかりな展開です…。

2011.08.30 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

4. Re:無題

>渡邊markⅡさん

いえ、奥方に土下座は許しましょう。
実際、山田崎の懐妊に気を害した茶々や大蔵卿局に土下座したいくらいの気持ちだったでしょうから…
でも、大切な嫡男が一人で火に飛び込むのを止めないのはかなりいかんですね。

京極家のみなさんはわりかし神出鬼没で、初はとても癒しなのでうれしいのですが、確かに近江の風が感じられませんね。
もっと小谷周辺だしてほしいなあ。
鶴松のための祈祷も、故郷の神社にお願いしているのに、まったくその様子もなく…
史料提供は長浜歴史博物館の学芸員先生なのに、こればかりは何ともならないのでしょうか。

2011.08.30 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

5. 近江の風

>紀伊@赤石いとこさん
紀伊姫さまの お声掛かりなので、大名土下座ゆるしましょうね。

確かに、お初さんの姉上は 日本のファースト・レディ(外国ならクィーンです)実家の浅井家は消滅したのに豊臣体制の中枢には近江の風が吹いている、せめてそういう気分が描けてれば良いのですが…。

それにしても京極高次というのは 不思議な男ですね。配置の妙というのか、人も周囲もそこまで意識してないのに歴史上、決定的な役割を果たす。大津城攻防戦の意義は、後に家康が評価したのより、はるかに大きいと思います。

2011.08.30 | 渡邊markⅡ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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