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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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徳勝寺(加筆)

 

茶々姫をたどる汐路にて


本日改めて徳勝寺へお参りしてきました。

何度かお墓へはお参りしたことがあったのですが、本堂のほうへはご住職さんのご案内で初めて上がらせていただきました。


○「(中央)崇源院殿一品夫人昌誉和興仁清大禅定尼/(左)高台寺殿従一位湖月紹心大禅定尼/(右)常高寺殿松岩栄昌大姉」位牌


うわさの合同位牌です。


ご住職さんのお話では、徳勝寺が再興された際、将軍御台所である江の実家の菩提寺として再興されたため、茶々の供養が出来なかったのだろうというお話でした。

その通りだと私も思います。徳川の世で、お位牌が残らなかったから茶々が浅井長政の娘ではないというのはあまりにも現実的でないです。


でも、このメンバーに寧が入っているというのも若干気になっています。豊臣家のお位牌は別にあるのに、姉妹の位牌に寧の戒名があるのはちょっと不自然です。

…すると、上の説でいくと、寧が長政の娘ということになるのでしょうか。ありえませんね(笑)

私としては、同じ秀吉の妻ということで、ここでも寧と茶々の混同が起こっているのではないか…とも疑っています。やはり寧の戒名がある位置には、茶々が来るのが一番自然です。


○「東福門院/明正院」位牌


江たちの合同位牌の右手に安置されていたのが、江の血を引く二人の合同位牌でした。

「徳勝寺授戒帳」によると、もともと江の位牌を安置したのは東福門院その人であるといいます。

そのゆかりといい、この位牌といい、浅井家と東福門院の間にはやはり深いゆかりを感じます。


○浅井三代位牌

(左)「徳勝寺殿前備州太守救外宗護大居士」…亮政

(中)「甲堅院殿前野州太守丘嶽良峻大居士」…久政

(右)「養源院殿正二位天英宗清大居士」…長政


○「(右)國泰寺殿雲山峻龍大居士 台閤秀吉公/朝覚大居士 次郎秀勝君」位牌


秀吉と石松丸秀勝と言われる「次郎」の合同位牌です。

安置されている中では古い印象を受けました。

知善院といい、「朝覚」の位牌を複数見たことがとても印象に残っています。


○「楓樹院殿秋色儀天大居士」


他に浅井家重臣一族の位牌や姉川合戦戦没者の位牌などがありましたが、明るさや位置の関係上あまり戒名を確認できませんでした。

この「楓樹院殿」の位牌は赤尾清綱のものであると教えていただきました。

後年に子孫の方が徳勝寺におさめにこられたそうです。


他に、浅井長政夫妻木像、浅井亮政夫妻木像、浅井三代木像を見ることが出来ました。何度か特別展などで拝観したものです。

それにしても、三代の妻の中で阿古の姿だけ見ることが出来ないのは、肖像画を探している身からしてもさみしいことです。どこかに阿古の像か画像が眠っていないものでしょうか。


お位牌については、江と初以外に浅井家の女性のものであると判別することが出来ませんでした。

どなたかわからない戒名の中にあるのかもしれませんが、重臣一族のものが多かったので、伝わっていないようにも思えます。


もちろん、三代と蔵屋夫人のお墓にもご挨拶しました。
茶々姫をたどる汐路にて

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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