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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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秀吉と有馬温泉

 
茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫をたどる汐路にて

録画していた『ビーパップハイヒール』を見ていたら、7/21放送回のテーマが有馬温泉だったようです。

そのなかで、有馬温泉と関わりの深い豊臣秀吉とのエピソードも取り上げられていました。
1400年も前から歴史書に登場し、菅原道真や豊臣秀吉など歴史上の人物たちに愛されたといわれる有馬温泉。なかでも、秀吉は有馬温泉が災害に見舞われるたびに復興に尽力するなど、この地とのつながりが深かったという。1995年の阪神・淡路大震災がきっかけで、温泉街のほぼ中心地にある極楽寺の下からは豊臣秀吉専用の「湯船」が発見された。しかし、天下人ともあろう秀吉の湯船の真上に、なぜ、わざわざ極楽寺が建てられたのか? そして、なぜ、湯船は人知れず、400年もの間、地下に眠り続けていたのか? 秀吉と有馬の人々に秘められた、歴史に埋もれたミステリーを田辺先生が解き明かす。(番組HPより)
以前有馬に行ったときに極楽寺に立ち寄ったのですが、そのときはゆっくり訪れる余裕がなく、そのとき慌ててとった画像が↑です。

番組で取り上げられていた内容を要約すると、

・有馬が大火災、慶長の大地震で大きな被害を蒙った際、秀吉が有馬の復興に大金を投じたため、有馬の人々からの人望が厚かった
・秀吉の死の3か月前に「湯船」が完成したが(但し、秀吉自身はその「湯船」には入れなかった模様)、その後徳川家によって極楽寺の下に埋められてしまった(極楽寺は浄土宗の寺で、葵の紋が施された什物もあるなど、徳川系の寺であるという説明でした)
・有馬の人々が口伝で秀吉の「湯船」について語り継いできたが、時とともに伝説化した
・阪神淡路大震災の際、秀吉の「湯船」が発見された

…と言った感じです。

有馬には「ねね橋」と言われる場所があり、その近くには非常に愛らしい寧の像があります。

茶々姫をたどる汐路にて

隣には「太閤橋」があり、大きな通りを挟んだところに秀吉の像もあります。

茶々姫をたどる汐路にて

秀吉から「西の丸五もじ」こと京極龍への手紙から、龍とその母マリアもこの地を訪れたことが分かっています。

個人的には、茶々も来たことがあるんだろうなあと思っているのですが、残念ながら記録には残されていません。草津には秀吉が茶々を連れて入ったと言い伝えられている温泉が残っているようなのですが、有馬にはそういった痕跡がなく残念です。


更新頻度が遅く、間が空いてしまい申し訳ありません。
ちょいと私的な事情でしばらくゆっくりブログ記事を書いている余裕がなさそうな感じです。
放送から遅れてしまいますが、大河ドラマの感想は順次書いていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
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Comment

1. 無題

湯船の形で残った当時の太閤人気。確かに、こんなに気前のよい権力者は空前絶後では?(しみったれた徳川が嫌がるの、よく判ります。)

今度の震災でつくづく思ったことがあります。わが国の場合、自然の圧倒的な脅威に比べれば、大名間のちょっとした戦乱や、まして権力内部の闘争など ほとんど無視して良いレベルではないかと?

当時はマスコミも世論調査もありませんが、地域限定とはいえ、この湯船に、明確な民意を見る思いがします。

2011.07.27 | 渡邊MKⅡ[URL] | Edit

2. Re:無題

>渡邊MKⅡさん

戦乱の影響については、難しいです。
実際戦乱のせいで、直接的にしろ間接的にしろ人口が増えなかったそうですから、なんとも言えません。

秀吉についても、大河ドラマでくどいほど描かれているような一面だけではなかったはず、というのは確かだと私は思います。

2011.07.28 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. 無題

京大の故会田雄次教授は日本の戦国時代など西洋では一番平和な時代と言ってますが、ルネサンス史なんかやってる人から見たらそんな感じかなと…。
秀吉の時代に限ると 国内統一では大坂の陣とか島原の乱のような徹底的な殲滅戦をやってません。外征に向かった彼の妙に「優しい」施策のポイントがあるような気がしています。

それにしても 秀吉晩年の十年、利休の切腹、朝鮮出兵を挟んで秀次の切腹だけでは、他の時間は太閤さんは何をしていたの?と突っ込みを入れたくもなります。

山道を伝うの断念されたご様子で、現代の紀伊姫様でさえこのご苦労。なのに、今週の江姫様は高野山に瞬間移動されておりましたぞ。明治の御代まで女人禁制でなかったんじゃ!?

暑さと大河の氾濫で気が遠くなる毎日でございます。

2011.07.28 | 渡邊MKⅡ[URL] | Edit

4. Re:無題

>渡邊MKⅡさん

まだその回はチェックしていないのですが、そんなことになっているのですね。
福田先生は、江が秀次の邸をどかどかと歩くのもありえないと今日おっしゃっていました。
今後もどうなる事やら…

2011.08.01 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

5. 補正

>紀伊@赤石いとこさん
江姫は遍在するシリーズ、高野山ではなくて伏見城?という設定のようでした。

2011.08.05 | 渡邊MKⅡ[URL] | Edit

6. 空しいご注進

今週の「江」慶長伏見大地震がスルーされ、単なる徳川屋敷の火事になり下がり?ました、唖然。被災地への配慮らしいですが、歴史なんかどうでもいいみたいですね。

2011.08.10 | 渡邊markⅡ[URL] | Edit

7. Re:補正

>渡邊MKⅡさん

ご報告ありがとうございます。ただいまここ数回を把握していない状況なので打てば響くような返答を出来なくて申し訳ありません。
見返したら改めてツッコミなりなんなり入れさせていただきます。

2011.08.14 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

8. Re:空しいご注進

>渡邊markⅡさん

らしいですねえ。
ここ数回見ていないので、ガッカリ感を共有できなくて申し訳ないです。
あとで見たときに一人でがっかりしながらブログを書きます。

2011.08.14 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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