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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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第二十六話「母になる時」【大河ドラマ感想】

 
ようやく完子が生まれました。よかったよかった。実際は末娘の生年から考えて、遡るとしても三年ほどかな、と思います。三年さかのぼるとたしか末娘を産むのが三十八歳くらいになります。三十過ぎたら御褥すべりといわれますが、この時代意外と高齢で出産している女性も多いので驚きです。通説通りだと、三十五歳ごろの出産となり、母江が和子を産んだ年齢と同じになったはずです。
名付けは次回ですね。納得のいかない名前ですが、まあその話は次回に…

秀勝が斬られたときはどうなるかと思いましたが、傷が原因で病になったような解釈で良いのでしょうか。
しかし、北庄、小牧・長久手に引き続きまたしても江の戦嫌いが足を引っ張っていますね…
「戦嫌い」を描くのはいいのですが、どうしても娘のわがままに見えて仕方がないのは私だけ…?
だから「戦を起こす人」である秀吉がどうしても悪役になるし、このままだと関ヶ原も石田三成が「戦を起こす人」になってしまうんだろうなあ…

愚痴はともかく。今回は主にスルーされまくっている茶々姫の名護屋行き関連について。

○茶々姫の名護屋行き

ドラマ内では、その理由を「次の子がほしいから」としか語られませんでした。実際に拾(秀頼)が出来た時の秀吉の反応は、「自分の子は鶴松だけなので、次の子はお茶々だけの子に」というものでした。がっつり子作りのために茶々を名護屋に連れていくぞ!…というほどのものでもなかったようです。

ではなぜ茶々が連れて行かれたのでしょうか。
その理由は、実はこの時同じく同行していた(厳密に言うと龍のみ別に名護屋へ下ったのですが…)京極龍についての記載で伺うことができます。茶々が拾を懐妊し、大坂へ帰った後、秀吉の奥向きを差配したのは龍でした。龍は、この功績を買われて、大坂城西の丸に御殿をもらいます。
奥向きの差配―「いかほどの御こころをつくさせられ。しかしながら、御しあはせよく、いづかたも御心のままにおほせつけられ、御しあわせよき御かたさまなり。」―それは決して、奥で秀吉の機嫌を取るだけの役目ではなかったということです。
茶々は、小田原従軍でこの役割を立派に果たしたがために鶴松の母とは別に、妻としての地位を内外に認められるようになりました。そもそも茶々が名護屋に従軍した第一の理由も、やはりここにあると私は考えます。

もう一つは験担ぎ。福田千鶴先生の『淀殿』で紹介されているとおり、茶々の動向は当時「吉例」と考えられていました。「首尾よく勝利をおさめた小田原合戦でも茶々がいた。此度の唐入りも茶々がいるから勝利するに違いない」ということです。
実際そうであったというよりも、そのように秀吉が触れ回って兵を鼓舞したのでしょう。天武天皇が黒雲に吉兆を占って兵たちを鼓舞した逸話のようです。控えめに考えても、吉例のシンボルにする程度には茶々に人を引き付けるものが備わっていたと考えてもよいのではないでしょうか。
しかし、幸か不幸か、懐妊して茶々は途中で名護屋から大坂に帰ってしまいます。結局、唐入りが首尾よく運んだとはいえない結果になってしまいました。皮肉なことに、秀吉が作りだしたであろう「吉例」は実際のものとなり、逆に働いてしまったようにも思えます。

○茶々と姫路城・厳島神社

茶々は、名護屋の道中、秀吉に伴われて様々なところに行っています。
後に姪であり嫁である千が暮らす(秀吉も一時居城とした)姫路城では木下家定邸に泊り、厳島神社にも参詣したようです。自らの名で寂光院を再興した茶々姫にとって、思い入れ深い平家に縁深い厳島神社はどう感じられたのでしょうか。
各地で何日か滞在しながら二カ月ほどかけてゆっくりと名護屋へ進みました。

○大政所と秀頼

大政所重篤の報を聞き付け、秀吉は天正二十年七月二十二日に名護屋を発ち大坂に帰りましたが、同日の大政所の最期には間に合いませんでした。
憔悴しきっていたであろう秀吉を、鶴松の死を共に経験した茶々はどんなふうに名護屋で出迎え、慰めたのでしょうか。茶々が拾を懐妊したのは、秀吉が大政所の葬儀を終えて十月十日ごろに名護屋に帰ってきてからです。大晦日、秀吉は茶々と共に名護屋城で毛利輝元からの歳暮を受け取りました。拾の懐妊は、この間どれだけ茶々が心を尽くして秀吉を励まし支えていたかを偲ばされます。

そういえば、伏見宝福寺には秀吉と茶々姫が参拝して秀頼を授かったという子授け石がありますが、名護屋付近にもそのような縁の場所があったようななかったような…
茶々姫をたどる汐路にて
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Comment

1. 小吉の母

紀伊様
大政所の娘、秀次・秀勝の母、江の義母、完子の祖母である瑞龍院の扱いの軽さが、どうも気になります。いずれは、クローズアップされるのでしょうか?

2011.07.12 | 武江[URL] | Edit

2. 戦は厭じゃ姫

いつもながら 平和教育の成果のような?江姫の言動には泣かされますが、正直もはや限界。樹里さんさえ嫌いになりそうです。

今からでも遅くはないから(んっ、どっかで聞いたような?)紀伊姫さまが脚本を代筆して下さいましな。姫さまの言は決して愚痴ではありませんぞ。ただの正論です。

同じ頃、ロンドンでは最強スペイン軍の来襲に備え、エリザベス一世がいかにも貧弱な義勇兵を前に演説していました。

My body is a woman, myheart is a king,

私の体は女だけど、王の心を持っている、と。
思わず、「英國屋!」と声を掛けたくなりますが、ほとんど、シェークスピアですね。考えてみれば、彼も同時代人ですが。

現代においても、フォークランド紛争に際して、開戦決定に動揺する閣僚に対してサッチャー首相は、
「ここに男子は一人しかいないのか!?」と叱咤したそうです。

命の大切さを教える前に、まず生きてなくてはなりません。危機に際してのエリザベスもサッチャーも、今なおその姿が見え、言葉が聞こえるようです。

茶々姫の名護屋行きのお話し、結果吉例にならなかったとは、皮肉なものです。 マクベスの魔女の予言を聞くかのよう。怖くなってきますね。

2011.07.13 | 渡邊markⅡ[URL] | Edit

3. ご注進シリーズ(2)

「江」7/17分視聴率15、3%で過去最低。1月20%台で始まり、だらだらと下げ続け、とくに震災後は19%から一気に16%台へ。15%台は初めてですね。

岸谷秀吉の怪演が続き、これから更に陰惨な事件が相次ぐことを考えると、15%割れは必至か。今や歴史的低水準、いやあ、ピンチです。子役の再投入ぐらいで、視聴率戻りましょうかね?

高視聴率だった「篤姫」の脚本は実質、田渕の方様の兄君が書いていたそうですが、モメ合って、終盤はちゃんとネームを入れるようにしたのですね。

まさか、まさかですが、今回は自分で書いてるとか!?

東京にいらしてたのですね。これはあくまでご注進で、更新やコメントの催促ではありませんので、お気になさいませんように。

2011.07.20 | 渡邊MKⅡ[URL] | Edit

4. Re:小吉の母

>武江さん

瑞龍院日秀の件について、私も仰る通りだと思います。
江にとって生存している親関係の人物って貴重なのに、義母である日秀が注目されていないのは意外です。
将来の親として当初から注目されている家康がかすむから?
そういえば、家康に嫁いだ旭のほうがまだ注目されていたように思います。
秀勝に関しても結局一度も登場しませんでしたし、秀次関係でも登場する気があまりしません…残念です。

それから、メッセージのほうも拝読させていただきました。
レスが遅く、お気を使わせてしまい申し訳ありません。
ご懸念の件に関して、私はさほど気にしておりませんので、またよろしければコメントで貴重なご見識・ご見解を拝聴できるととてもうれしいです。

それにしても、見たくても見れない史料だらけな中で、ちょうどタイミング良く史料を拝見できるのはとても助かります。
至れり尽くせりですね。

2011.07.21 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

5. Re:戦は厭じゃ姫

>渡邊markⅡさん

やはり「強い」女性は、かっこいいですね。高い誇りを感じます。
当時は今の感覚とは違うけれども、異なった価値観で誇りを持って生きていたのだというところを歴史物では見てみたいものです。

茶々が名護屋から途中帰国し、結果唐入りは成功しなかったことを考えると、吉例は実は本当だったのかも…なんて考えることがあります。
「例」が小田原一回なので心許ありませんが…

2011.07.21 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

6. Re:ご注進シリーズ(2)

>渡邊MKⅡさん

情報ありがとうございます。

脚本については、そんな話があるんですね。存じませんでした。

あとの約5ヶ月、盛り返しはあまり期待できませんが、どうか「トンデモ」が一つでも少なく無事に最終回を迎えてくれることを祈ります。

2011.07.21 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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