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金剛山幡岳寺(高島市)について

湖西で行きそびれている場所の一つに、幡岳寺があります。幡岳寺は、柴田勝家と市の供養のために勝家の甥佐久間安政が建立したといわれているお寺です。

幡岳寺には勝家と市の位牌が残っているとされ、是非一度参拝に伺いたいと思いいろいろと調べていたのですが、位牌が安置されている位牌堂はご一族の方しかお参りできないとか。そして、市の位牌も現存していないそうです。残念。
→*幡岳寺

こちらのブログの筆者様が書かれた論考がWEB上で見られるということでしたので、拝読してきました。
→*佐久間氏関係論考-1「柴田・佐久間・吉原氏の系譜 近江高島、幡岳寺資料を中心にして」

論考内に貴重な幡岳寺過去帳が引かれてありましたので、勝家夫妻の項について引用します。

「幡岳寺殿籌山勝公大居士  天正十一年四月二十四日」

   柴田勝家。命日は北ノ庄城落城の日である。幡岳とは勝家の号と言われている。

   位牌も現存している。 

「東禅院殿直伝貞正大姉   勝家公御室   十九日」

   勝家の室と言うのであるならば、幡岳寺の建立意図からしてもお市の方であろう。 

   命日が勝家と違っているが。
他は佐久間家や柴田家の関係者で、茶々姫に関係の深そうな人は見えませんでした。

市の命日が違っているのが気にかかりますが、論考内で指摘されているとおり、幡岳寺の建立が勝家と市の供養を目的としているのならば、単なる記載ミスでしょうか。寺伝等を拝見したことがないので分かりかねますが、幡岳寺にて供養されるべき「勝家公御室」が市とは別人である可能性はないのでしょうか……と疑問を抱いてしまいましたが、十九日に亡くなった勝家の妻ともいうべき人物が浮かんでこない限りこればかりは考えてもどうしようもありません。

命日が違っていると言えば、後年茶々が勝家のために追善供養を営んだ記録も、命日の二十四日ではなく二十一日となっていることを指摘していただき、気になっています。とはいえ、こちらは追善供養が行われた日なので、何らかの事情があって二十四日に出来なかった、もしくは避けたとも考えられますが。

ともかく、以上のことから考えると、決して得られるものが多い参拝とは成り難いようですが、それでもご一族の方が建てられた菩提寺、やはり一度は手を合わせに伺いたいです。
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| ∟書籍・論文・記事 | 15:38 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

1. 無題

紀伊様
その方とは、面識がありまして当会にも一度寄稿されていまして、再確認しましたら、同じことが書かれていました。
 位牌が現存していないのは、残念ですね。

| k2 | 2011/07/02 22:03 | URI | ≫ EDIT

2. Re:無題

>k2さん

そうだったんですね。論考も紙媒体では拝見していないので、ぜひ拝見したいです。
既に研究会様宛に入会の申込書をしたためたのですが、まだ手元にあります(苦笑)早く送らなければ…

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/07/05 20:14 | URI | ≫ EDIT

3. 初めまして・・・

論考読んで頂き、有難うございます。

勝家には前妻があったそうですが、史料は何もありません。

賤ヶ岳ノ合戦でただ一人生き残った安政が幡岳寺を建てた目的は、叔父叔母兄たちの供養だと伝わりますので、戒名はお市ノ方に間違いないと思います。

他の戒名にも間違いがありますので、単なる転記ミスだと考えています。

| やす | 2011/07/07 20:43 | URI | ≫ EDIT

4. Re:初めまして・・・

>やすさん

はじめまして。このようなところにお越しいただき、ありがとうございます。

大変貴重な情報を色々と拝読させていただき、こちらもありがとうございます。

他にも転記ミスが見られるということは、市で間違いないと考えてよさそうですね。
余計な疑いを抱いてしまいました。お許しください。

是非次に高島へ伺う際には、お寺の外からでも手を合わせに伺いたく思います。

| 紀伊@赤石いとこ | 2011/07/08 01:54 | URI | ≫ EDIT















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