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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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関ヶ原合戦における茶々の人質統制役割?

 
田端泰子先生の『日本中世の村落・女性・社会』を読んでのつぶやきです。

「『大坂夏・冬の陣』に収斂される淀殿の役割」が再録されていましたのでチェックしましたが、内容についてはあまり変わっていなかったと思います。
あと、その前後の「豊臣政権の人質・人質政策と北政所」、「春日局に見る乳母役割の変質」も読みました。
あとは田端先生の『北政所おね』の記事などを巡って下のつぶやきが書かれております。
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田端先生はいろいろなところで関ヶ原合戦以前は寧が人質統制の役割を担っていたが、合戦の際は茶々が人質統制の経験がなかったために人質政策がうまくいかなかった、といわれているけれど、当時茶々は人質を統制する立場になかったのではないでしょうか。

posted at 22:10:54

むしろ、本丸に人質を集めるつもりであったのならば、茶々と秀頼も、旗頭として本丸に身柄を抑えられていた状態だったのではと思います。大津城攻防戦で茶々の使者饗庭局がなかなか動けなかったのも、孝蔵主のほうが自由に城に出入りできる立場だったからでは。

posted at 22:12:27

結局、大津城講和も、大津城開城が高次に西軍へ降服勧告するのと同義だったから、饗庭局は茶々姫の使者として動くことができたのはないかと思います。

posted at 22:14:05

茶々に人質をまとめる力がなかったから、と言われているけれど、どちらにも積極的に味方していない茶々が、西軍方にとってそもそも人質をまとめる立場だったのかというのがものすごく疑問。

posted at 22:15:27


たとえば、大坂の陣では、人質の一人であった明石全登の娘レジイナを可愛がり、婚礼の面倒を見るつもりだったという下りは先日紹介したとおりです。
そして、寧との交流断絶が否定されつつある昨今、寧やその女中に拠るアドバイスなどがなかった前提も崩されるべきでしょう。茶々姫の人質統制役割という点では、様々な視点より見直しが進められることを願います。
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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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