○旭と秀忠
義理の母子として登場した二人ですが、『改正三河後風土記』では旭が家康に輿入れした際、秀忠とも母子の縁を結ぶ盃を交わしたことが書かれてあるそうです。ただ、今回のドラマのように秀忠が旭を訪ねた記録も、喪に服した形跡もないことから、福田先生はその信憑性を疑問視されています(『徳川秀忠』)。
しかしながら秀忠は幼いときから後継ぎとして扱われていたとされていますので、旭と養母子関係を築いていても不思議ではないかなと私は思います。
○秀忠の元服
今回、秀忠の身なりを整えたのは大政所でした。これは大政所とする説(『徳川実紀』、『御当家紀年録』、「家忠日記増補」、『幕府祚胤伝』)もしくは寧とする説(『木下氏系図附言纂』)の二つがあり、特に寧の研究に強い田端泰子先生は好んでこのエピソードをとりあげられており、その影響かどちらかというと寧説のほうが主流であるように思います。
この縁から寧と秀忠の個人的な交流が始まり、晩年まで続けられたとされています。私はこれを全面的に否定するものではありませんが、寧と秀忠の関係には江の存在が重きをなし、寧は江の養母として厚く遇されていた側面が少なくなかったのではないかと考えています。
大政所説は主に徳川方の史料、寧説は寧の実家木下家の史料なので、やはり寧説のほうが信憑性があるかなとも思いますが、こちらは編纂史料であるため、徳川系の史料が出展であれば誤記の可能性も否定できないかなと思います。特に、大政所は家康に上楽を促す際、一度徳川家へ出向いているという縁もありますので、大政所説も棄てきれません。
○石田三成
秀吉に引き続き、俄然三成の描かれ方が残念になってきました。三成ファンさんにはがっかりだと思います。
利休追い落としにここまで三成が関わるとは思っていませんでした。しかも、今から秀次の追い落としにも関わる伏線まで満載でしたね。
結局、将来江が嫁ぐ徳川家を主軸に据えて、それに対する秀吉や三成が残念な描かれ方をするのはやるせません。「悪役を作らない」のではなかったのでしょうか…?
三成の描かれ方に関しては今回は一昔前に戻ったような錯覚を覚えました。
○茶々の居所
茶々は天正十七年五月二十七日鶴松を出産後、八月二十三日に大坂城に移り、翌天正十八年二月に聚楽第へ移ったようです。茶々については、移った様子は描かれていませんでしたがこの通りの居所で描かれていました。劇中では江がこの間に大坂と聚楽第を更に往復していましたね。
○小田原従軍
小田原攻めへ赴いた秀吉は、寧宛に茶々を小田原へ遣すよう書状を発します。この書状は「あくまで寧を第一に立てたもの」としてしょっちゅうお目にかかる書状なのですが、今回はそれらしき様子はありませんでした。
福田先生は、同じ箇所に注目されて寧に対し、「寧に続いて自分の気に入るように働く女性」として茶々を挙げているところに注目されていました。寧と茶々の仲が悪ければ、このような書き方は逆に寧の神経を逆撫でしたはずで、秀吉がそのようなへまをするとは思えない、つまり少なくともこのとき、ことさらな対立関係になかったのではと考察されていました。
この茶々の従軍は、ドラマでもあった通り、鶴松に続く子の誕生を望んでのことではないかと言われています。もちろんそれも理由の一つではあったと思いますが、小田原従軍の後茶々の扱いがより重くなることを思えば、妾同然の「秀吉のお相手」としての従軍であったというよりも、遠征先での働き(後述)を期待した下向であったものと思われます。
また、「太閤さま軍記のうち」では茶々(「北の御方」)のほかに京極龍(「佐々木京極さま」)も同陣したとされています。今回のドラマでは龍の下向について何一つ触れられていませんでしたが、これも下向したとする説と下向しなかったのではないかとする説があります。
まず、茶々の小田原下向に関しては、関連文書が複数残っているのですが、その文書に龍の存在はうかがわれず、また龍の下校に関する文書はみあたりません。秀吉が寧に茶々を下向させるように伝えた文書にも龍については書かれていません。そして名護屋従軍の際の書状で平塚瀧俊は、小田原での茶々の従軍を吉例としてあげていますが、小田原でも同行していたはず、また名護屋では確実に同行している龍の従軍についての言及がありません。
とはいえ、「太閤さま軍記のうち」の誤記かというと、龍が小田原へ従軍したという記載はここだけにとどまらず、龍が大坂城西の丸の御殿の主となった下りでも小田原従軍と名護屋従軍の功績によるものであるとあります。
(「関東御陣・筑紫御陣、いかほどの御こころをつくさせられ。しかしながら、御しあはせよく、いづかたも御心のままにおほせつけられ、御しあはせよき御かたなり。大坂西の丸御殿たてをき、一緒をかまへをき申され候なり。」)
この記載からは、茶々や龍が従軍先で期待された働きを窺い知ることもできるのですが、龍の小田原下向が記録に登場しなかっただけという可能性も棄てきれません。
江はこの頃聚楽第の屋敷にいたでしょうから、小田原へは同行していません。すでに秀勝の妻であるならば豊臣の縁者ですし、何よりほかならぬ鶴松の叔母ですので、寧のもとに預けられた鶴松の様子を伺いにたびたび聚楽第へ訪問することはあったかもしれないなあとは想像します。
○石垣山城
江紀行に出てこなかったのがびっくり。次回に持ち越しでしょうか。
ドラマでは一夜城として登場しましたが、小田原へ下向した茶々が入ったのがこの城であると言われています。
茶々が使用したと伝承される「化粧井戸」跡もあり、ぜひ行ってみたいところの一つです。
この間テレビで取り上げられていましたが、今回ちょっと登場していた箱根にも秀吉が茶々を連れていったとされている縁の温泉跡があるそうです(確かこちらは非公開だそうです)。
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