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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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第二十三話「人質秀忠」【大河ドラマ感想】

 
OPの茶々の役名が「淀」に変わっていてちょっとがっかりな私です。「茶々」も残してほしかったなあ。

○旭と秀忠

義理の母子として登場した二人ですが、『改正三河後風土記』では旭が家康に輿入れした際、秀忠とも母子の縁を結ぶ盃を交わしたことが書かれてあるそうです。ただ、今回のドラマのように秀忠が旭を訪ねた記録も、喪に服した形跡もないことから、福田先生はその信憑性を疑問視されています(『徳川秀忠』)。
しかしながら秀忠は幼いときから後継ぎとして扱われていたとされていますので、旭と養母子関係を築いていても不思議ではないかなと私は思います。

○秀忠の元服

今回、秀忠の身なりを整えたのは大政所でした。これは大政所とする説(『徳川実紀』、『御当家紀年録』、「家忠日記増補」、『幕府祚胤伝』)もしくは寧とする説(『木下氏系図附言纂』)の二つがあり、特に寧の研究に強い田端泰子先生は好んでこのエピソードをとりあげられており、その影響かどちらかというと寧説のほうが主流であるように思います。
この縁から寧と秀忠の個人的な交流が始まり、晩年まで続けられたとされています。私はこれを全面的に否定するものではありませんが、寧と秀忠の関係には江の存在が重きをなし、寧は江の養母として厚く遇されていた側面が少なくなかったのではないかと考えています。

大政所説は主に徳川方の史料、寧説は寧の実家木下家の史料なので、やはり寧説のほうが信憑性があるかなとも思いますが、こちらは編纂史料であるため、徳川系の史料が出展であれば誤記の可能性も否定できないかなと思います。特に、大政所は家康に上楽を促す際、一度徳川家へ出向いているという縁もありますので、大政所説も棄てきれません。

○石田三成

秀吉に引き続き、俄然三成の描かれ方が残念になってきました。三成ファンさんにはがっかりだと思います。
利休追い落としにここまで三成が関わるとは思っていませんでした。しかも、今から秀次の追い落としにも関わる伏線まで満載でしたね。
結局、将来江が嫁ぐ徳川家を主軸に据えて、それに対する秀吉や三成が残念な描かれ方をするのはやるせません。「悪役を作らない」のではなかったのでしょうか…?
三成の描かれ方に関しては今回は一昔前に戻ったような錯覚を覚えました。

○茶々の居所

茶々は天正十七年五月二十七日鶴松を出産後、八月二十三日に大坂城に移り、翌天正十八年二月に聚楽第へ移ったようです。茶々については、移った様子は描かれていませんでしたがこの通りの居所で描かれていました。劇中では江がこの間に大坂と聚楽第を更に往復していましたね。

○小田原従軍

小田原攻めへ赴いた秀吉は、寧宛に茶々を小田原へ遣すよう書状を発します。この書状は「あくまで寧を第一に立てたもの」としてしょっちゅうお目にかかる書状なのですが、今回はそれらしき様子はありませんでした。
福田先生は、同じ箇所に注目されて寧に対し、「寧に続いて自分の気に入るように働く女性」として茶々を挙げているところに注目されていました。寧と茶々の仲が悪ければ、このような書き方は逆に寧の神経を逆撫でしたはずで、秀吉がそのようなへまをするとは思えない、つまり少なくともこのとき、ことさらな対立関係になかったのではと考察されていました。
この茶々の従軍は、ドラマでもあった通り、鶴松に続く子の誕生を望んでのことではないかと言われています。もちろんそれも理由の一つではあったと思いますが、小田原従軍の後茶々の扱いがより重くなることを思えば、妾同然の「秀吉のお相手」としての従軍であったというよりも、遠征先での働き(後述)を期待した下向であったものと思われます。

また、「太閤さま軍記のうち」では茶々(「北の御方」)のほかに京極龍(「佐々木京極さま」)も同陣したとされています。今回のドラマでは龍の下向について何一つ触れられていませんでしたが、これも下向したとする説と下向しなかったのではないかとする説があります。
まず、茶々の小田原下向に関しては、関連文書が複数残っているのですが、その文書に龍の存在はうかがわれず、また龍の下校に関する文書はみあたりません。秀吉が寧に茶々を下向させるように伝えた文書にも龍については書かれていません。そして名護屋従軍の際の書状で平塚瀧俊は、小田原での茶々の従軍を吉例としてあげていますが、小田原でも同行していたはず、また名護屋では確実に同行している龍の従軍についての言及がありません。
とはいえ、「太閤さま軍記のうち」の誤記かというと、龍が小田原へ従軍したという記載はここだけにとどまらず、龍が大坂城西の丸の御殿の主となった下りでも小田原従軍と名護屋従軍の功績によるものであるとあります。
(「関東御陣・筑紫御陣、いかほどの御こころをつくさせられ。しかしながら、御しあはせよく、いづかたも御心のままにおほせつけられ、御しあはせよき御かたなり。大坂西の丸御殿たてをき、一緒をかまへをき申され候なり。」)
この記載からは、茶々や龍が従軍先で期待された働きを窺い知ることもできるのですが、龍の小田原下向が記録に登場しなかっただけという可能性も棄てきれません。

江はこの頃聚楽第の屋敷にいたでしょうから、小田原へは同行していません。すでに秀勝の妻であるならば豊臣の縁者ですし、何よりほかならぬ鶴松の叔母ですので、寧のもとに預けられた鶴松の様子を伺いにたびたび聚楽第へ訪問することはあったかもしれないなあとは想像します。

○石垣山城

江紀行に出てこなかったのがびっくり。次回に持ち越しでしょうか。
ドラマでは一夜城として登場しましたが、小田原へ下向した茶々が入ったのがこの城であると言われています。
茶々が使用したと伝承される「化粧井戸」跡もあり、ぜひ行ってみたいところの一つです。

この間テレビで取り上げられていましたが、今回ちょっと登場していた箱根にも秀吉が茶々を連れていったとされている縁の温泉跡があるそうです(確かこちらは非公開だそうです)。
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Comment

1. 忠臣三成

紀伊様
例の輝元書状について参照しようと、今更ながら桑田忠親先生の義の人『石田三成』を購入しました。
そして・・・参りました。
家康の大阪城入りを述べたくだりに、「さらに、諸大名の妻子を人質として大坂にとどめよ、という秀吉の遺制をやぶり、その子秀忠の夫人を、勝手に、江戸に帰らせたり、云々」とあります。
ただ残念な事に出典は有りません。『家忠日記』に触れている部分もあるので、同書の記述から、「勝手に」と推論したか、とも思えますが、ともかく既に江の江戸下向時期は、知る人は知っていたという事ですね。
この話から書状の内容を考えると、「御意」の主語は、秀吉という事になりそうですので、解釈も変わってきそうです。「何と共候哉」は、茶々様が認めてしまって、どうしたものやら・・・。とも解せそうですし、やはり六ヶ敷候です。今しばらく考え中という事で(笑)。
それから、渡邉様のコメントにある、稲葉一道公と細川三斎女多羅(多良)の嫡男信道の正室および継室は、織田信良の次女、三女で、駿河大納言忠長室(譜略・祚胤伝等に光松院、正しくは松孝院カ)の妹にあたります。考察の参考になるかも知れませんので・・・。
それからそれから、朝日と家康の夫婦関係についても、思うところを述べたかったのですが、また長くなるので後日。

2011.06.20 | 武江[URL] | Edit

2. Re:忠臣三成

>武江さん

そうなんですか!既に桑田先生はご存知でしたか…流石です。
茶々は江の下向を認めていたんですね。家康の台詞のようなことを江か茶々が気にしていたからこその分別でしょうか。
秀吉死後の茶々について、秀吉の遺命に固執する印象があったので、少し意外です。固執の度合いも時期に応じて変わっているというところでしょうか。
この書状に関しては、間の家康という存在をあまり重視しておりませんでした。他所での武江さんの書き込みを拝読し、反省した次第です。
稲葉家・細川家を挟んで明智家と織田家につながりが結構あったんですね。また参考にさせていただきます。ありがとうございます。

家康旭夫妻のお話、私は特に詳しくありませんので、伺えるのを楽しみにしています。

2011.06.21 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. お久しぶりです

この一ヶ月半、京都と東京を3往復していました。
ガイドとしての技量は今回の事で大分高める事が出来たと思います。
その分ブログがほぼおざなりでした。
一夜城の描かれ方がぞんざいだったような気がします。
そして今回人気のある向井理くんの関係で
「淀殿化粧の井戸」
が取り上げられなかったような気がするのは、私だけでしょうか。

2011.06.23 | しなちくにゃんこ[URL] | Edit

4. Re:お久しぶりです

>しなちくにゃんこさん

お仕事お疲れ様です。3往復とは大変ですね。
乗り物全般に弱い私としては、とても尊敬いたします。またいろいろお話を聞かせてください。楽しみにしています。

化粧井戸はやっぱりスルーされてしまったんでしょうか…来週のネタにとってあるのかな、と淡い期待を抱いているのですが。

向井さんのキャスティングは脚本家さんの肝いりだったりするのでしょうか。
秀忠のキャラといい、強い思い入れを感じます。マンガでしかお目にかかれないようなキャラのような気もしますが…^^;そういうのが絶対嫌いなわけではないのですが、対極に描かれる人たちが悲惨なことにならなければいいな、とは思います…

2011.06.24 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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