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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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『十六・七世紀イエズス会日本報告書』

 
茶々姫をたどる汐路にて

今回は『十六・七世紀イエズス会日本報告書』を読んだときのつぶやきより。茶々の交流関係が明らかになり、人となりについても偲ばせる欠片がちりばめられていました。

茶々姫はキリシタンでもあった信長の娘の一人と仲が良く、いつもこの女性が側にいたらしい…。彼女のお陰で茶々姫はキリシタンに好意的になったとかならないとか。どの娘さんだろうか…

posted at 17:26:32

同じ場面で、茶々姫のことを「彼女が善良な性格で、少しも役に立たない喜捨や慈善事業に熱心である」と書かれています。キリスト教の史料なので、「少しも役に立たない」は余計ですが(苦笑)人柄に触れた描写ってすごく貴重です。キリシタンじゃないのに。

posted at 17:31:41

あと、茶々姫は人質として大坂城にいた明石全登の次女レジイナをめっちゃ可愛がってたそうです。戦が一段落したら、然るべきところへ嫁がせようとしていたらしいです。明石全登の娘といえば、海津局の子浅井(三好)直政の妻ですが、ということは直政の妻は全登の長女…?

posted at 17:40:46

レジイナは落城前に城を出されたっぽいです。各務氏同様、若い女性はもれなく城から出されてますよね。殉死している女房は若くても阿古御局(30代)くらい。

posted at 17:46:06

今でも茶々姫の命日に集まって供養されているという方たちのご先祖様にあたる侍女さんたちは、そういう方たちなのでしょうか…

posted at 17:52:19

茶々姫が結婚の面倒を見たことがはっきりわかっているのは、養女完子と姪の氏家古奈。果たされなかったけどレジイナもそのつもりだったのならば、他にもそういうことがあったのでしょうね。面倒見もよい方だっただったんですね…

posted at 17:53:28

茶々姫を追いかけはじめてん十年近く経ちますが、未だに茶々姫の人となりへの認識は改まるばかりです…。断片的にうかがい知れるばかりで、こういう方だったなんてとても断言できやしない。

posted at 17:56:30


信長関係特にお詳しいk2さんにお伺いしたところ、茶々と親しかった信長の娘は筒井定次の妻だった藤(秀子)ではないかというアドバイスをいただきました。

『筒井諸記』によると、藤は信長の十四番目の娘で、生まれは永禄十年、茶々は永禄十二年ですから、ほぼ同年代。茶々にとっては、姉妹の中では長女で、浅井の中では嫡女で、豊臣の中ではお袋様で……と肩肘張った環境の中で、数少ない信頼できる存在だったのではないでしょうか。

同じく交流があった人として成田甲斐が上げられますが、彼女に関しては茶々との関係を裏付ける史料が残念ながらないんですよね…茶々の周囲にはもっといろいろな人がいただろうに、歴史から抹消されてしまったことが多かったんだろうなあ…と残念に思います。


(追伸)
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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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