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第二十一話「豊臣の妻」【大河ドラマ感想】

茶々姫をたどる汐路にて

○「豊臣の妻」

今回の大河はときどき研究結果の最前線を採用されることがあるのですが、今回のサブタイ「豊臣の妻」もそのひとつです。福田千鶴先生が当時関白・武家の妻一人とは限らないことを前提に、史料から茶々がどのような扱いを受けていたかを検討され、単なる愛妾としての扱いではなく、正妻として扱われていたことを指摘されました(『淀殿 われ太閤の妻となりて』)。私がうだうだ申し上げるよりも読まれたほうが早いです。
この著書は茶々が正妻の扱いを受けていたことを明らかにすることに力を注がれていますが、たとえば茶々の呼称についてなど、史料に基づいて新しい知見が多く提示されていることで評価をされていますので、未読の方はぜひ。
今のところ、このような新知見を積極的に採用されているにもかかわらず、江の奇抜な行動などのせいか、それらも創作のようにみなされることが多くてもったいないなあ…と思います。

○聚楽第行幸

天正十六年四月十四日、後陽成天皇の行幸があり、寧がこの日付けで従一位の官位と豊臣吉子の諱を授かります。
時代は遡りますが、摂関期から院政期における女性への従一位授与について野口孝子氏による研究があります。それによるとその条件の一つが天皇の行幸の折に邸宅を提供すること、そしてもうひとつが后の母あるいは祖母、関白の母であることだったそうです。
聚楽第行幸より以前、天正十四(1586)年には近衛前子が秀吉の養女として後陽成天皇の女御となっています。
寧への従一位授与は、それ自体が特別な計らいであったというよりも、北政所としての古式に則った評価を受けたと考えるほうが適当なように思えます。

○秀吉の茶々への愛情

こればかりは誰にも明言できないと思うのですが、「『大坂冬・夏の陣』に収斂する淀殿の役割」で田端泰子先生が以下のように言及しておられます。
淀殿は鶴松を身籠り、男子を出産したことによって、初めて側室中第一の座を獲得したと考える。それまでに淀殿は特に秀吉の関心を引く存在ではなかったようである。懐妊が決まると淀城を修築させているのは、主君信長の命に対する尊重の念の現われと考えることができる。淀殿を偏愛したために淀城を作り、子を生ませたのなら、もっと淀殿に対する書状が残っていてもよいと思うが、秀吉の書状はほとんどがおねあてであり、淀殿に宛てたものはきわめて少ない。
この茶々が鶴松を生んだことが妻妾の中で重きを置かれる唯一の原因であるという点については、福田先生が鶴松の死後も茶々に対する扱いが変わらなかったことが指摘されています。
すでに鶴松は没しており、茶々は若君生母としての立場を失っているが、そうした茶々に(毛利輝元から)進物が贈られ、秀吉も「簾中」と称して返礼したところからは、茶々は子を失っても秀吉の正妻としての地位を失ってはいないことが明らかになる。(『淀殿』)
『淀殿』では平塚瀧俊の書状をとりあげ、茶々(「淀の御前様」、「御台様」)を名護屋に同行させることについて、秀吉が小田原のときも同行させ吉例があるのでと当時の秀吉の考えを記しています。

もちろん子の有無は茶々に対する扱いやその後の人生に大きく響くのですが、子の存在に女性自身についての評価隠れてしまうとしたらそれは公平なものとはいえないように思います。
また、信長に対する尊重の念というのならば、それは茶々に対してよりも実娘の三の丸に対してのほうが向けらるべきです(茶々に対して織田家ゆかりの人としての扱いがなかったかというとある程度はあったでしょうけれども…)。淀城の建築については鶴松の誕生だけではなく、その他の政治的背景も大きく関連するところです。
そして書状の少なさについては、まず茶々が落城までの十八年を過ごした大坂城が灰燼に帰したことを考慮されるべきでしょう。

田端論文では、秀頼を生んだ以降、宛名が「ちゃちゃ」から「おかかさま」に変化していることから、「側室から後継者の母親へと、認識が微妙に変化し、なによりも秀頼の成育を優先して考えるようになった」とされていますが、前後の文章からは愛情の対象が茶々から秀頼によりシフトしたように解釈されている感が否めません。秀頼の母となった後の扱いは、茶々自身の扱いが軽くなったというよりむしろ秀頼生母として重くなったと思われます。さらに、前述の通り茶々姫宛の書状が多く残っているとは言えず、比較は困難です。

私が言いたいのは、茶々が特別であったといいたいわけではなく、かといって改めて特に貶められる要素はないのではないかというところです。自分でも書いていてよくわからなくなってきましたが…

○茶々懐妊への動揺

父の仇であるはずの信長、信長の敵であるはずの明智光秀、秀吉と同じく父の敵であるはずの柴田勝家に三姉妹の中で誰よりも柔軟に対応し、秀吉の妻寧にも懐いているはずの江が、なぜか秀吉と茶々の話には過剰に拒絶……。特に、数回前から秀吉の近くで人となりを見、理解を深めていたという設定のはずなのに、どうしてもそこが腑に落ちない今回でした。

大坂の陣における初の働きを案じさせる、姉妹の仲裁を描くための演出だったのでしょうか。いくらなんでも、前触れもなく初が大坂城に現れることはなかったと思いますが…
そして、「豊臣の妻」というなら、秀勝の妻になる江も「豊臣の妻」なんですけどね。

いつも思うのですが、茶々懐妊について秀吉や寧の驚きはいろいろ描かれるのですが、肝心の茶々の驚きが描かれたことは余り見た覚えがありません(そもそも鶴松が秀吉の子ではないという穿った設定のものならばともかく…)。
秀吉が長い間実子に恵まれていないことは皆の知るところだったでしょうし、懐妊した茶々姫が誰より一番驚いたと思うのですが…
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| ∟江 姫たちの戦国 | 17:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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