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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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第二十話「茶々の恋」【大河ドラマ感想】

 
茶々姫をたどる汐路にて

○聚楽第移徙、北野大茶会

秀吉の聚楽第移徙は天正十五(1587)年九月十三日、北野大茶会は同年十月一日のことで、田端泰子先生は、「京の町衆たちにこれ(聚楽第)をじっくり外から見物させようとの目的でなされたと思われる」とされています(『北政所おね』)。
同書によると、京・大坂に秀吉近臣の家臣団や大名の屋敷が建設され、近臣の妻子や大名家からの人質たちが住むといった形は、天正十七(1589)年九月に具体化したとあります。
初は天正十二(1584)年ごろ(福田説)から天正十五年ごろ(小和田説)までには京極家に嫁いだとされていますが、実際この頃大溝状にいたものか、茶々とともにいたものか、大坂や京の京極家屋敷にいたものか判然としません。
江もまた同じことです。秀勝は天正十五年に秀吉の怒りを買い、許されるのが天正十七年といいますが、肝心の江は秀勝の屋敷にいたものか、茶々の元にいたものかわかりません。
そもそも茶々自体、そして龍(龍子)も、ドラマのように大坂城にとどまっていたのか、聚楽第に同行したのかわかりません。通説では鶴松の誕生しか茶々の輿入れ時期を推測する要素がなかったため、鶴松誕生の前年天正十六(1588)年ごろをその時期とされていましたが、近年では茶々が秀吉の女房(もしくは妻)となったのはもっと早かったのではないかといわれています。鶴松が生まれて以降、茶々と鶴松は主に聚楽第に居を置いていたようですので、鶴松の誕生以前も茶々や龍の居場所は聚楽第が主だったのかもしれません。
この時、秀吉とともに聚楽第に入っていたのならば、北野の大茶会にも参加したのかもしれませんね。

○肥前の一揆と黒百合

北野大茶会のくだりで、「肥前の一揆」というワードがでてきましたが、これは「利家とまつ」で登場していた佐々成政の領国でした。この成政に関わって、茶々関連で取り上げられるのが「黒百合」の話です。
佐々成政が寧に献上した黒百合を巡って、寧と茶々の争いが繰り広げられるという伝承ですが、成政はこの肥前の一揆の責任を取って亡くなります。成政が亡くなる天正十六年閏五月、茶々は鶴松を身ごもってもいませんので寧と争うほどの力はありませんでした。この伝承が事実ではありえないことは、豊臣家の女性についての先駆者である桑田忠親先生(『淀君』)の昔から明らかにされていることです。
…が、面白おかしく寧と茶々の間柄を取り上げる際には、最近でもよく使われる素材なんですよねえ、これが…。困ったものです。福田千鶴先生の『淀殿』ではとりあげられてすらいないようなことなのですが、あえてとりあげてみました。ちなみに、江(茶々の妹)や正栄尼も登場する話です。
見るべき点があるとすれば、黒百合の話の舞台は聚楽第と思われますので、確かに寧、茶々はこの頃聚楽第にいたかもしれないというところくらいでしょうか。

○初の輿入れ

今更ですが、初と京極高次の縁談は信長の生前からあったものなのでは?と以前書きましたが、信長の京極家に対する意向だけではなく、高次の母マリアの意向もあったのでは、と思います。マリアは浅井久政の娘で、立場は三姉妹と同じ浅井家当主の娘です。浅井の血を絶やしたくないと思う心がマリアにもあったのではないかと思います。息子の妻に長政の娘を、とそもそも望んだのはマリアだったかもしれません。幸い三姉妹は浅井の血を引き、しかも織田の血も引いていますから、信長にとっても好都合だったために調った縁談だったのではないでしょうか。

○「お茶々様にはなんとしても幸せに…」

秀吉の死後荒波にのまれゆく茶々姫の将来を思うと、この言葉はいろいろ考えずにはいられません。
茶々が秀吉に嫁がなければ初が京極高次の妻となることもなく、江が徳川秀忠の妻になることもなかったでしょうし、浅井一族や旧臣の運命も大きく変わっていたでしょう。渓心院が京極家に縁の深い女性だったことを考えると、初の婚姻が茶々の口利きでなったという話はある程度信憑性のあることですし、江が豊臣家と徳川家のよすがとなったのも秀頼の叔母という立場も影響したと思われます。
そのあたりを考えると、やはり茶々が秀吉に嫁いだことは浅井縁の人々にとっては大きな契機であったとは思うのですが、肝心の本人があのような結末を迎えることを思うと、複雑な気持ちがします。
果たして秀吉にとついで茶々は幸せだったのでしょうか。あるいは幸せだったのかもしれません、でも僧でなかったかもしれません。
茶々を幸せにする、守る、というのならば、秀吉にはもうしばらく健やかに長生きしてほしかったと思います。思っても仕方のないことですが。
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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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