fc2ブログ

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

RSS     Archives
 

第十八話「恋しくて」【大河ドラマ感想】

 
①氏「豊臣」と姓「羽柴」

「羽柴」あらため「豊臣」になったというよりは、氏が新しく「豊臣」となっただけで、姓は「羽柴」のままです。
秀吉自身が「豊臣秀吉」と名乗ったことが無い(文書類でしか登場しない)など、いろいろ指摘されていますが、すっかり定着してしまい、わかっていても改めるのはなかなか容易なことではありませんね…

②秀吉の出自

みんなにあきれられていた出自の話ですが、あれは秀吉が語り大村由己が記したという『関白任官記』という史料に出てきます。
秀吉は父方ではなく特に母大政所はもちろん、母方の祖父母の供養(祖父:栄雲院道円、祖母:栄光院妙円)に重きを置いていたらしく、文禄四(1595)年九月から慶長二十年まで、大政所の父母の忌日に交互に千僧会が営まれていたそうです。
このような出自の脚色は、自らの権威のためというだけでなく、自らが天皇のご落胤であるということによって、日秀など他の兄弟とは格差をつけ、自らの跡継ぎはその血を引く秀頼以外に存在しないと示すためのものでもあったそうです(河内将芳氏)。

③初と高次

私も初と高次…というか、三姉妹と高次は既に面識があったものと思います。
「京極御系図」によると、高次は本能寺の変の後、直接の血縁に無い市を頼って柴田家へ来たということですから、これが事実であれば、直接血縁のある三姉妹とは挨拶など直接顔を合わせる機会もあったでしょう。

「越前国主柴田修理亮勝家ヲ御頼有、勝家内室ハ信長公之御妹ニテ初浅井備前守長政之妻女也、常高院殿・淀殿・大御台様之御実母也 天正之初浅井滅亡之時織田家江御帰、其後勝家江御再嫁被成小谷之御方ト云、此由緒ニヨリ暫越前被成御座候、」(京極御系図)

…といいますか、この由緒でかくまってもらった経緯があるというのならば、京極家再興の思いは強くとも、浅井家に対してそこまで悪意を抱いていなかったのでは、と思えますね。
私としては、信長の生前に初との婚姻話があったのではと考えておりますので、市を頼ったのはその縁もあったのかもしれません。

ところで、初は大溝城に入ったのでしょうか。
高次の妻となったからには、人質として大坂城下にいたのではないかと思います。
おそらく既に茶々は女房として秀吉の奥御殿に入っていたでしょうし、秀吉の養女として秀勝の妻となっていたであろう江も大坂城下の屋敷にいたでしょうし(でも秀勝が蟄居していた間はどうしていたのでしょう…)、三人が親しく顔を合わせる機会は実は少なくなかったのではないかと思います。

④朝鮮出兵

家康の台詞としてはや登場しました。
いつもドラマなどでは鶴松の死と関連付けられて取り上げられることの多い朝鮮出兵ですが、信長にその意があったこと、秀吉は信長の意志を踏襲したのでは、という見方が採用されたのは珍しいように思います。
スポンサーサイト



Comment

1. 無題

徳川家康が「源朝臣徳川家康」
織田信長が「平朝臣織田信長」

であるのと同じように、

秀吉は「豊臣朝臣羽柴秀吉」
である

ということですよね。

紀伊さんが言われるように
「朝廷から豊臣という姓を賜った後、秀吉とその一家は『羽柴』を名乗らなくなった」
という理解が一般にあるように思います。

私自身、そのように認識しておりました。

2011.05.24 | ベアベア[URL] | Edit

2. Re:無題

>ベアベアさん

コメントありがとうございます。

そうなんですよね。
現在氏姓が一般に認識されることがなくなったので、どうしても馴染みにくいのかと思います。

学校でも秀吉は「豊臣秀吉」と習いますから、なかなか理解しにくいですね。

2011.05.24 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. 無題

祖父:栄雲院道円
祖母:栄光院妙円    の出典は何でしょう?

2012.03.28 | Loughlin[URL] | Edit

4. Re:無題

>Loughlinさん

申し訳ありませんが、冒頭の注意書きをご覧ください。

一次史料であることは確かです。

2012.03.28 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





月別アーカイブ

フリーエリア

メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


検索フォーム



ブロとも申請フォーム

QRコード
QR