Posted at 2011.04.30 Category : ∟旧跡だより

若狭歴史民族資料館を訪問した後、侍女たちの墓所ほかいろいろと確認したくなり、常高寺にお参りしてきました。
○常高寺梵鐘
資料館で、寛永十(1633)年に初が京の三条釜屋で鋳造させ寄進したものとあり、見てきました。
鐘銘をみると、「藤原朝臣浅井備前守長政公之女子/常高院殿松巌昌栄賢女者/源朝臣佐々木京極参議高次公之婦人/也…」と刻印されているのが確認できました。
○常高寺の位牌
現在、常高寺さんに安置されてあるお位牌は三基あり、中心に初(「常高寺殿松巌栄昌大姉」)、向かって左に両親の浅井長政(「養源院殿天英宗清大居士」)と市(「自性院殿松月宗貞大姉」)の合同位牌、右に夫京極高次(「泰雲院殿前三品相公徹叟道閒大居士」)のものがあります。
ご住職さんのお話では、かつて火災で焼ける前には崇源院(江)の位牌もあった…とのお話だったので、火災でなくなってしまったのはきっと江の位牌だけではなかっただろうなあと思いながら、帰宅後に若狭歴史民族資料館でいただいた講演資料を見ていると、幸運にも懸案事項について史料が引用されてありました。
丸亀市立資料館所蔵の「若狭国守護歴代禄」という史料によると、当時常高寺に安置されていたのは初(「常高い院殿」)、浅井長政(「養源院殿」)、市(「自性院殿」)、茶々(「大虞院殿」)、江(「崇源院殿」)、秀頼(「嵩養院殿」)、徳川初(「興安院殿」)、栄昌院の七院歴代位牌、歴代将軍位牌、京極高次(「泰雲院殿」)以下歴代位牌が存在したそうです。
ここにも数少ない茶々姫のお位牌があったとは…うれしい驚きでした。
茶々姫だけでなく秀頼の位牌もあったとは、前記事の初の脱出劇と重なって、初の心情を思いやるといろいろと感慨深いです。
○常高寺で供養されていた人たち
ご住職さんと、かつて常高寺で供養されていた人たちのことについてお話していると、思いもかけず過去帳を見せてくださいました。実は、茶々姫が初に国松の供養を頼んだという史料から、初と国松の関係について何かヒントがないかと思い、国松を供養していたかどうかについてお伺いしていたのですが、国松のことだけではなくいろいろと名前のある方、ない方について発見がありました。以下、メモの一部です。
(朔日) 養源院殿天英宗清大居士 浅井備前守長政 天正元癸酉九月/至延宝元 百年 …浅井長政
(三日) 泰雲院殿前三品相公徹叟道閒大居士 大津宰相高次公/慶長十四己酉 五月 …京極高次
(四日) 興安院殿豊誉天清陽山大姉 京極道長(忠高)公室 台徳院殿息女/寛永七庚午三月 …徳川初
(五日) 高樹院殿日宝大姉 菊亭大将公内室 明暦三丁酉八月/栄昌尼公息女 …氏家古奈
(八日) 大虞院殿英岩大禅尼 秀頼公母堂 元和卯/五月 …浅井茶々
嵩陽寺殿秀山大居士 秀頼卿 同上/五月 …豊臣秀頼
(十一日) 常照院殿明巌道光大居士 天明八戌申十一月/京極忠高公男 …?
(十二日) 玄要寺殿前若州太守羽林天慶道長大居士 京極若州公/寛永十四 六月 …京極忠高
(十三日) 徳源院殿前刑部特英道達大居士 寛文壬寅/九月 …京極高和
(十五日) 崇源院殿贈従一位昌誉和興大姉 台徳院殿ノ御台/栄昌公之姉(妹)/寛永三年/九月 …浅井江
(二十三日)満船院殿雲山知清大童子 秀頼公御息国松君/元和元乙卯 五月 …豊臣国松
(二十四日)自性院殿松月宗貞大姉 天正十一未/四月 浅井備前守室 栄昌公母堂 …織田市
(二十七日)当山開基常高寺殿松巌栄昌大姉 寛永十癸酉/八月 …浅井初
あとは、基本的に歴代将軍と高次系の藩主とその夫人の名前、そして歴代住職、七院の歴代院主などが並んでいました。
名前がなくて以外だったのは、高次の両親、弟妹たち。特に母(養福院)や龍(寿芳院)は大津城で共に暮らしていた時期もあるので意外でした。あと、初が何くれとなく面倒を見たという高次の次男高政も見当たらなかったです。
忠高の子だという「常照院殿」が誰かわかりませんでした。養子(もしくは実子)という高和の戒名は別にあるし…。一体誰のことなのでしょうか。
懸案の国松は、院殿号が一般的な「漏世院殿」と少し違いますね。その下は共通しているのですが…
ともあれ、きちんと忌日に供養されているようですので、やはり初との関わりは決して浅いものではなかった、ということでしょうか…
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