Posted at 2011.04.23 Category : ∟史料関係

『甲子夜話』に見る「豊国大明神石灯籠の覚写」
今はこんなに残っていませんね。弐つ 寺沢志摩守殿(寺沢広高)
壱つ 速水甲斐殿(速水守久)
弐つ 羽柴肥前守殿(前田利長)
壱つ 右京大夫殿(右京大夫局)
壱つ あいは殿(饗庭局)
壱つ 吉田豊後殿
壱つ 宮内殿(宮内卿局)
壱つ 大角与左衛門殿
弐つ 羽柴左衛門督殿(堀秀政)
弐つ 木下法印(木下家定)
弐つ 生駒讃岐守殿(生駒一正)
壱つ 杉原喜左衛門殿
壱つ 青木民部殿(青木一重)
壱つ 木下右衛門大夫殿(木下延俊)
壱つ 伊藤石見守殿
壱つ 桑山法印(桑山重晴)
弐つ 京極修理殿(京極高知)
壱つ 祐泉
壱つ 藤堂佐渡守殿(藤堂高虎)
壱つ 太田和泉殿(太田牛一)
壱つ 青木右京殿
弐つ 若狭宰相殿(京極高次)
弐つ 堀監物殿(堀直政)
壱つ 大野修理殿(大野治長)
弐つ 片桐主膳殿(片桐貞隆)
壱つ 大蔵卿殿(大蔵卿局)
壱つ 二位殿(二位局)
壱つ 佐竹殿(佐竹義宣?)
壱つ 伊藤丹後守殿
壱つ 羽柴美作殿(堀親良)
壱つ 三位殿(三位局)
壱つ 加賀国およめ(中略)(豊臣家女房?)
壱つ 堀田図書殿
写真は、治長寄進の石灯籠を確認しに行ったときに撮ったものです。
治長のは確認できましたが、他も刻字がだいぶ読みにくくなっていて…(磨耗した刻字読むのがかなり苦手です…)
そして、意外に多くの女房衆が石灯籠を寄進していて驚きました。
よめさんは、聚楽第の金庫番をしていたという女房のことでしょうか。
福田千鶴先生の『淀殿』では摩阿と同一人物か?と提起されていましたが、摩阿とは別人でしょうね。
そして、よく同一人物とされる秀頼の乳母右京大夫局と宮内卿局、二位局と三位局がこうして並んでいるのは大きいです。
現在確認できるのは、表にある八基だけでしょうか。
境内の奥にあるのか、現在に至るまでに多くがなくなってしまったのか…残念なことです。
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