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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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正栄尼の素性

 
別件で調べ物をしていたら、びっくりするような史料にぶつかってしまいました。
先日正栄尼の画像がある清涼寺の過去帳について取り上げたばかりなので、何か縁があったのかもしれません。

とりあえず引用します。

「天正記聞」
(調べると、「秀吉事記」一名「天正記聞」とあったのですが、同史料でしょうか)違うようです
光秀公前妻者、江州永原之城主永原大炊助嫡永原仁左衛門娘也、此腹生女子、母子共帰故郷、此女子成長而、秀吉家臣嫁渡部宮内少輔、生渡部内蔵助、宮内少輔死後、内蔵助母成尼、号渡部正栄大坂奥方女臈頭云随一、内蔵助儀於大坂冬夏之御軍法砌、御相談之席、軍術槍達人有武功、大坂落城之節、出城外戦、見掛城火、急帰城中、正栄妻子共入千畳敷、然處正栄云、武士之最後者、後世之評判先祖為面目間、内蔵助自害之體見届度由、内蔵助聞之悦、即席子共刺殺、腹十文字切、正栄大感介錯、内蔵助者、山城国一来寺城主、八万石、渡部出雲守孫、同宮内少嫡子也、正栄向娵云、其方者田丸城主之息女、我身者天下取之娘、於最後何掛人手乎、尤領掌而、両人共令自害、飛入焔中、傍人視之、雖為女身、勇将之子孫者、末後異常人、可為諸人之手本、甚感之、内蔵助妻者勢州田丸城主四万五千石、牧村兵部大輔娘也、正栄亦有娘、ツルト云フ、

明智光秀の前妻は、近江永原城主大炊助の嫡男仁左衛門の女である。
光秀とこの女の間に女子がいた。母子共に帰郷して女子は母の故郷で成長した。
その後、秀吉の家臣である渡部宮内少輔(渡辺昌)に嫁ぎ、渡部内蔵助(渡辺糺)を産んだ。夫の死後、糺の母は尼となり正栄と号し、茶々姫(「大坂奥方」)の一番の女房頭であったという。
糺は大坂の陣において秀頼の相談相手であり、また軍術や槍の達人であり、武功を重ねた。大坂落城時には、城を出て戦ったが、城に火がついたことを見ると急ぎ城へ帰った。
千畳敷には正栄と糺の妻子がおり、正栄はが糺に向かって、「武士の最期は後世の評判、先祖の面目となる。わたしが糺の自害の様子を見届けましょう」といった。これを聞いて糺は悦び、子どもたちを刺したのち自ら腹を十文字に掻き切った。正栄は大変感じ入り、糺を介錯した。
糺は山城国の一来寺(一乗寺)城八万石の城主であった。渡辺出雲守の孫で、その子昌の嫡男にあたる。
正栄は糺の妻にむかって、「あなたは田丸城主の娘、わたしは天下取り(光秀)の娘。最期は他人の手にかかることはあってはならない」と言った。妻は納得し、手を合わせると二人ともに城を焼く焔に身を投じて自害した。
そばで見ていた者は、「女とは言ってもさすが勇将の子孫、最期も普通の人とは違う。皆は彼女たちを手本にすべきだ。」と大変感じ入ったという。
糺の妻は伊勢田丸四万五千石の城主牧村兵部大輔(利貞)の娘である。
正栄にはまた娘もおり、彼女の名をツルと言った。
「牧村兵部大輔」こと牧村利貞は春日局の側近祖心尼の父に当たる人ですが、田丸城主ではないそうです。(http://www.murocho.com/aji/koboku/koboku4.html)「田丸城主」が正しいならば、糺の妻は稲葉道通の娘ということになります。

まとめてみました。

青字は『清涼寺過去帳より』)
永原大炊助 ━━ 仁左衛門 ━━ 明智光秀前妻 ━━ 正栄尼往相院西誉正栄大姉

渡辺出雲守 ━━ 宮内少輔(昌/源誉道把居士/妻:正栄尼往相院西誉正栄大姉〕) ━━ 内蔵助(糺)、正心院殿宝樹水庵大姉(ツル?)、永誉寿慶大姉

 糺(妻:牧村利貞or稲葉道通女)━━ 守、量寿栄薫信尼雲龍童子
                                     

某書で、正栄尼が浅井長政の娘であると受け取れる文章に悩んで数年…
正栄尼がまさか明智光秀の娘だとは思いもよりませんでした。

他の史料に見えないのは、やはり光秀の娘という経歴を当時はおおっぴらにはしていなかったのでしょうね。とはいえ、さすがに主である茶々姫がこれを知らなかったということはありえません。
さすがに光秀の娘であると出自を偽称するということはないと思いますが…

鐘銘事件の際、茶々姫の乳母である大蔵卿局、徳川家配下に家族のいる二位局とともに駿府へ使者として下ったのは、この血縁によるものもあったのでしょう。

細川忠興の妻玉(ガラシャ)は、自分は光秀の娘であることを憚って(正栄尼の異母妹ということになりますね)、大名夫人たちが茶々姫に面会する際に遠慮したという史料もありますが、茶々姫が明智光秀の縁者を遠ざけていたということはなかったことがわかります。
同時に、茶々姫のそばで育った江が福(春日局)を明智光秀の血縁だからと言って疎んでいたというのもまた事実ではないこともわかります。
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Comment

1. 大発見ですね!

先日『第九話「義父の涙」【大河ドラマ感想】』にコメントさせて頂いてから、2回目のコメントです。

昨日放映された『江』第十三話「花嫁の決意」ですが、選挙のために放映時間が違うことに気づかず、家内が気づいて録画予約を手修正してくれたため、無事に録画して見ることが出来ました。

テレビがデジタル化されて、放映時間変更に自動で対応してくれると思いがちなのですが、今回のような場合は対応しないんですね。私も、家内が機転を利かせてくれなければ紀伊さんと同じ「江を見ようとして選挙速報を見る」憂き目に遭う所でした。家内に感謝するばかりです。

ただ、家内に言わせると「5分で済むような薄い内容を、一話に引き延ばしている」とのことで、私が見ても、『江』の今までの十三話の中で最低の出来映えのように思えました。今週、講演会をなさるようですが、参考になる材料は何も無いと思いますよ。

さて、

「明智光秀の娘が茶々姫の信頼する側近であった」

ということを発見なさったのは大きいですね!
どのような本にも書いていないことで、紀伊さんの「業績」です。

これで一歩 「茶々姫で一冊本を世に残す」 目標が実現に近づいたのではないでしょうか。

また、「悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島)」掲載の紀伊さんの文章を読ませて頂きました。緻密な論証で読み甲斐がありました。
121ページにある茶々姫のイラスト、可愛いですね。(笑)

また、「豊臣棄丸像(妙心寺蔵)」の写真が大きく載っていたので改めて見ると、棄丸の目元と、「伝・茶々姫像(奈良国立博物館蔵」の茶々姫の目元が良く似ているように思いました。男の子は、特に子供の頃は、母親に似るものと言いますが、その通りのようです。

では、講演会がんばって下さい!

2011.04.11 | ブチイヌ[URL] | Edit

2. Re:大発見ですね!

>ブチイヌさん

コメントありがとうございます。
奥様、すばらしいですね!うらやましいです。
わたしは十三話は土曜日まで我慢です(苦笑)

『悲劇の智将 石田光成』の担当記事を読んでくださったとのこと、ありがとうございます。
すでになおしたい個所があったりしますが…心をこめて書きましたのでうれしいです。

記事に添えていただいたイラストは描いていただいたものです。茶々姫を描いたものであのように優しげなイラストはめずらしいですよね。

私は「伝茶々姫像」を茶々姫だと思っていないのですが、鶴松は確かにかわいいですよね。
袴着も結上をすませていないのが可愛らしくまたいたわしくも感じます。
確かに、鶴松の像こそ確実に茶々姫の面影を伝えていると言っていいかもしれません。

講演、現在準備中です。今度は呼吸困難にならないように落ち着いて頑張ります(笑)

2011.04.11 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. 凄いです!

失礼致します。
まさかの正栄尼の出自に、あいた口がふさがりません……まさに、予想の斜め上をいかれた感じと言いますか!
物凄い発見ですね! いつもいつも、紀伊様から多くのことを勉強させて頂いています。どのようないきさつで、明智光秀の娘が茶々姫へ仕えるに至ったのか………ロマンが広がります。
突然失礼しました!

2011.04.11 | 干身[URL] | Edit

4. Re:凄いです!

>干身さん

いえいえ…いつぞやは浅井氏出身説に巻き込んでしまい、逆に申し訳ないです。
こちらこそ干身さんにはいろいろと学ばせていただいております!

内容についてはなんだか、すごすぎて半信半疑…とはいかなくとも、まだちょっと疑ってますが(苦笑)
でも、きちんと書いてありますからね。不明よりはマシですよね。

コメントうれしかったです。
干身さんなら絶対食いついてくださると信じていました(笑)

2011.04.11 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

5. 大変失礼しました。

尾張大野史研究会のヨクローです。
以前に、貴女様のブログをリンクさせて頂くと言っておいて、コロッと忘れていて、今までそのままでいました。
今気がつきました。早速張りました。
さぞかしご立腹のことでしょう。
申し訳ありませんでした。本当にごめんなさい。
すみませんでした。言い訳の余地もありません。どうかお許しください。

2011.04.12 | ヨクロー[URL] | Edit

6. Re:大変失礼しました。

>ヨクローさん

お久しぶりです。
この度はお忙しい中お手数をおかけして、こちらこそ恐縮です。
立腹だなんてとんでもないです。本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。

2011.04.12 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

7. 無題

津田信澄の妻になった光秀の娘が千姫の付女房になった説もあります。
光秀の娘だからといってそれほど風当たりが強くなかったのかも・・。

2011.05.29 | 小山暮[URL] | Edit

8. Re:無題

>小山暮さん

千姫付女房(津田信澄妻)の情報を教えてくださってありがとうございます。

福が光秀の縁者だからといって江につらく当たられるような場面をドラマでよく見ますが、これは後世の人間の思い込みが強く働いているのでしょうね。

彼女たちの中では、「苦労してきたのねえ…」という連帯感や、その苦労で培った能力への期待のほうが大きかったのかもしれません。

2011.05.29 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

9. 正栄尼について 参考

内蔵助糺の姉が当家に嫁しております、俗名ひさ。而して当家の過去帳では、この姉弟の母は明智光秀公の姪となっておりますが、明智家の血筋の者であることは、間違いない所でありましょう。
当家は江戸初期・藩侯の命により野々口姓より渡邊氏に改姓しております。今となっては理由は不明ですが、ひさの実家・渡邊氏はご承知の通り大阪夏の陣にて豊家と共に滅亡したため、名族の断絶するを惜しみ名跡を継承せしめるよう配慮された?ものと推察されますす。

江戸期の当家は 稲葉一鉄を藩租とする豊後臼杵藩の側用人兼家老職として、明治維新まで稲葉家中に存在しておりました。

一名だけ俗名、命日、墓所などがまったく判らす、松平氏(徳川)之代に憚りありこれを略す、と過去帳に注記された、かなり格の高い戒名が位牌にあります。大阪の陣で東軍相手に奮戦したかの人ではないかと、睨んでおります。

とりあえず、少しばかりご参考まで。

2011.06.16 | 渡邊忠明[URL] | Edit

10. Re:正栄尼について 参考

>渡邊忠明さん

貴重なお話ありがとうございます。清涼寺にお名前のあった正心院殿宝樹水庵大姉か、永誉寿慶大姉がひささんに当たられるのでしょうか。

娘でなくとも明智光秀の姪と伝わっているあたりは、関連があることを感じます。そもそも、正永尼は母方の「永原」姓を使っていたようですので、そのあたりにも父方の姓を名乗る憚りがあったのかなと想像しています。

秀頼に槍や軍事の指南をしたという糺さんのお位牌が徳川の世のなかで大切にされてきたことに感動しました。

2011.06.18 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

11. 無題

>紀伊@赤石いとこさん
内蔵助糺の姉、ひさの戒名は壽寶院實譽翆榮大姉です、命日は寛文5年4月13日。ご案内のツルと同一人物かどうかは、今のところ判りません。

ちなみに糺と思われる人の戒名は 清法院願西祖白大居士です。

糺の父・渡邊宮内少輔(昌でなく久となっておりますが)は足利義昭の近臣。城州宇治槇島城にて2万石を領すとあります。いずれも追号でしょうが、宮内少輔の妻、いわゆる正榮尼の方は 法春院長安了心大姉となっております。

それにしても 清涼寺の法事などは誰が執り行ったのでありましょうか。その頃当家は 京都に在りましたが、関わったものか不明です。

信長・秀吉公に仕えたようですが(恐らく状況の変化について行けず)浪人中。同じく京都に在った稲葉一通公夫人の招きにより、豊後臼杵藩に至るのですが、この一通公の正室こそ、細川忠興の女・すなわちガラシャ夫人の末娘・多羅ではありませんか。

ここにも 明智家の影があります。実は今までは、先祖書きを読んではいても、まあ、一応名門だから仕官できたんだろうと軽く考えておりましたが、そんな甘い時代であるはずもない。

渡邊糺の家が 稲葉家が婚家、明智家が母方の実家と考えると、いかに就職難の時代でも、何とかなったはず!?

今回、稲葉一通夫人・多羅さんの心の奥深さに初めて思い至り、いささか目頭が熱くなりました。

当家の先祖の件、丁寧に扱って頂いて 有難うございました。私も調べ直すうちに、今の時代の軽薄さに、別の意味で泣きたくなってきます。

2011.06.19 | 渡邊忠明[URL] | Edit

12. Re:無題

>渡邊忠明さん

ご戒名を教えていただきありがとうございます。
ご迷惑でなければ、どちらのお寺に残っておられるご戒名かお伺いしてもよろしいでしょうか。

清涼寺のほうは、正栄尼を中心とした書き方になっておりましたので、生前正栄尼の帰依するところが大きかったのかもしれません。
糺の息子が生き残っておりますので、おそらくこの息子の系統に拠って供養されたのでしょう。この息子にとっての親兄弟の菩提が弔われておりますし…

私の敬愛する茶々姫は、残念ながら今日まで血が残っておりません。そのために、茶々姫の行跡を内から語り継ぐ人がおりませんでした。
茶々姫に縁があった方々のご子孫は、そういう意味でもとても貴重な存在だと考えております。
姫の生きた真実に少しでも近づければ…その思いでおります。

勉強不足ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

2011.06.21 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

13. 無題

>紀伊@赤石いとこさん
お寺は豊後臼杵・紫雲山龍原寺です。(当家過去帳には)渡邊宮内少輔の欄に同寺満誉上人よりの追号なり、の記載があります。

野々口五兵衛尉光忠・ひさの男・渡邊主殿親忠の時に、稲葉一通夫人の招きにより 臼杵に移り改姓。
親忠戒名は
実相院殿新涼素秋居士
以降の菩提寺は 臼杵・月桂寺となっております。
とりあえず、お寺の関係ご報告だけ。

紀伊さまの茶々姫へのはるかな旅、少しでもお手伝いして差し上げたいのですが、清涼寺の事さえ教えて頂くようでは…全くあべこべですね。(清涼寺には京都旅行の時に寄っているのですが、な、情けない…!?)

むしろ、足手まといにならぬよう気をつける所存であります。

2011.06.22 | 渡邊[URL] | Edit

14. Re:無題

>渡邊さん

いえいえ、大変勉強になります。ありがとうございます。
私も清涼寺のことを知ったのは最近ですので、まだまだ勉強不足です。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

2011.06.22 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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