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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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醍醐の花見

 
先日のヒストリア、録画時間の関係で途中までしか見れなかったのですが、また醍醐の花見の盃争いが取り上げられていたみたいですね。
すみません、頭ボケっとして書いているので文章へろへろかもしれません。後日直します。


出典として取り上げられていた「御夜話集」の記事はこちら。

だいごへ太閤さま御花見候事。其時御手懸衆京極殿と秀頼様御母儀様と盃あらそひのとき、政所様御噯、大納言様の御あつかひ候事。それゆゑ御花見つら/\に候由に御座候。其時村井左馬助、醍醐の宿にて利家様御供衆を御振舞申候事。色々物語有之事。

さらにこの史料の出典となっているのが、村井左馬助こと村井重頼の見聞録である「陳善録」であり、そちらでは

だいごへ太閤さま御花見事、其時、御手懸衆京極殿と、秀頼様御母儀様と、盃あらそひの時、政所様御噯、大納言様の御うへ様もあつかひ候事、其ゆゑ、御花見つら/\の由御座候、云々、

とあります。こちらが出典ですのでもちろん似たような記事です。


(醍醐の桜)
茶々姫をたどる汐路にて


①「陳善録」の盃争いの記事は信頼に足るものか?

要は、村井は醍醐の宿で利家のお供の方たちを接待していたので、この盃争いを自分では見てはいません。
ので、村井はその宴会で盃争いについても耳にしたのでしょう。
なお、この盃あらそいについて書かれた記録は、この「陳善録」を基にしたもの以外は見当たりません。花見の詳細を記した『太閤記』しかり、醍醐寺三宝院にいた義演准后の日記しかり他家の記録しかり。
村井が接待した利家のお供衆は、当然豊臣家の妻たちが盃をかわし合うプライベート空間にいることなど出来ませんでした。
この史料を「信頼の足る」と評価していいかは私は微妙だと思います。

②盃争いを考える

そもそも、自分の体の衰えを察した秀吉が、秀頼と妻たちを花見にさそったのですから、その理由は単純に慰安にとどまらないでしょう。妻たちの知恵を借りて、豊臣の今後を話し合う場でもあったはずです。
秀吉に何かあっても、寧、茶々、龍の三人は一番に秀頼を守り育てるように。花見は妻たちの結束、決意を確認する場でもあったはずです。桃宴の誓いならぬ桜宴の誓いです。
前田摩阿、三の丸あたりの再婚話もこのときに話題に上ったであろうことの一つではないでしょうか。

ヒストリアでは秀吉が輿の順に悩んでいた描写がありましたが、妻たちの序列は花見の輿の順よりも前から贈り物などで寧・茶々・龍という序列がはっきりしていましたので、今更悩むことでもなかったと思います。嫡男の母という肩書にはそれだけゆるぎない立場あり、我が子の権力に関わるため、自分の一存で遠慮するなんてこと軽々しくできませんでした。なにより、秀頼がいる以上、まず輿の順についてあんなに悩んだことはなかったはずです。あの頃の第一条件は、何よりも「秀よりなりたちやうに」の一言に尽きます。いくらプライベートな空間とはいえ、死の直前うなされながらも秀頼のことを案じていた秀吉自身がそのような安易な行動をするようには思えません。

秀頼については、後年の様子を見ていただけると分かる通り、寧は秀吉の遺言通り秀頼の邸跡から朝廷へ働きかけ、茶々はこれまた遺言の通り大坂城で秀頼の後見に尽力しました。そして松の丸殿は寧の居所荷ほど近い西洞院邸に住んでいましたが、秀頼がすくすく成長する様子を見守りに何度も大坂城を訪ねています。
龍の実家京極家にとっても、血縁である秀頼は大事な後継ぎに違いないわけです。

話は戻りますが、ここで龍が茶々姫とひと悶着を起こすことは、茶々姫の権力、そして妻たちの連携に挑戦することであり、それはイコール秀頼の権力にも影響を及ぼすという双方にとって危険なことでした。
龍もまた、京極家・武田家と難局をくぐりぬけてきた人ですから、描かれているような単純な行動を軽々しく起こすような方ではなかったと思います。

これを寧vs茶々の構図に当てはめられて、寧と龍は仲がよく、正妻寧をたてられない茶々が孤立していく…そんなふうに描かれることは一度や二度ではありません。桑田忠親氏でさえ、そう思われたのでしょう。
龍が寧と特別仲が良かった、行動を共にしていたといったことがわかる史料というのは、あまり存在しません。

逆に龍は孤児となっていた茶々の保護者の一人でしたし、茶々姫の異母姉のくすは龍の側近でした。龍の側には龍の母(茶々姫の伯母)がおり、一番身近で豊臣の奥御殿についていろいろと教えてくれた人だったはずです。小田原や名護屋に茶々と龍を伴ったのも、茶々と龍それぞれへの信頼や愛情というのはもちろんですが、この二人なら力を合わせて励まし合い、役割をこなすことができると考えられていたからではないでしょうか。
確かに、龍は子もいなかったのに再嫁を許されず、秀吉の後家として生涯を貫きます。これは、秀吉の寵愛が深かったというのももちろん、なにより実家が秀頼にとって叔母のいる京極家。秀頼が無事成長した暁には一番の親藩的存在になる家なのです。何度も秀頼の成長ぶりを見るために会いに行っている龍は秀頼を産んだ茶々姫を疎むどころかだいぶ期待していたのではないかと思います。

「女の愚かな行為」で片付けられるようなことを、本当に彼女たちが意図して行うだろうか。
その裏にはもっと複雑な事情が絡み合っていたかもしれないけれど、そのほとんどは「つくられた女」像に当てはまらないだろうか。

この争いを肯定して導き出される村井にとって言いたかったところは、なにより秀吉の女同士の争いを沈めた前田家のまつさんの功績だったのでしょう。事件をでっち上げたのが本人か、その接待で出てきた話かは分かりませんが…
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Comment

1. 余興かも

史料がないので、ただの推測だが、花見の酒の席、案外、高台院、淀殿、松の丸殿、芳春院余興としてした簡単な芝居が、家臣にまともに捉えられ、結束の固さが逆に
伝わっただけだったりして。あくまでも、推測ですが。酒の席だから、案外高台院、芳春院の親友関係からの小芝居かもと。

2011.04.09 | ダイナゴン[URL] | Edit

2. Re:余興かも

>ダイナゴンさん

なるほど、余興ですか。新鮮な見解です。

ただ、厳重な言語統制が敷かれていたというわけでもなさそうなので、外に漏れ伝わる危険があるなかでそんなことをするだろうか、という気もします。

でも、このメンバーだと確かに「みんなでちょっと秀吉を脅かしてやろう!」みたいなことはしそうですね(笑)

2011.04.09 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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