fc2ブログ

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

RSS     Archives
 

須磨寺(福祥寺)

 
久しぶりに須磨寺へ参拝してきました。

須磨寺は、慶長七(1602)年に茶々姫が秀頼の名前で再建された寺院です。
奉行は片桐且元。

茶々姫をたどる汐路にて

こちらの案内掲示を見ると、慶長(元年…というか文禄五年)の地震で荒廃した本堂を修復したことが分かります。

この時期に再建が多いのは、領地が削られることを始めとした豊臣家の動揺と、地震で倒壊した寺社が多かったことなどの要因が重なったものかと思われます。
茶々姫が修築を志さなければ、地震等で倒壊、半倒壊したまま今日に続かなかった寺院が数多くあっただろうことは先人の語られる通りです。

茶々姫をたどる汐路にて

本堂。
お寺の方に伺ったところ、こちらの本堂は平成十五年に解体修理されたそうですが、使われている古い材木は慶長七年再建当時のものだそうです。

須磨寺には、ゆかりの品々を展示した場所があり、そちらには秀頼再建当時のものも展示されています。

(片桐且元筆と伝わる福祥寺扁額と本堂再建寄進状)
茶々姫をたどる汐路にて

(扁額の一部)
茶々姫をたどる汐路にて
「権大納言豊臣朝臣秀頼卿再興焉」

茶々姫をたどる汐路にて
「于旹慶長七壬寅年十二月如意珠日拜書」…かな

(片桐且元筆本堂再建寄進状)
茶々姫をたどる汐路にて
秀頼の命により、且元が奉行となって須磨寺を再興すること、また、秀頼が銀子五百枚、且元が銀子二百枚を奉加する旨がそれぞれ記されているようです。

須磨寺にはこんな展示物も
茶々姫をたどる汐路にて

須磨に縁のあるさまざまな人の石人形が展示されています。
須磨と言えば、一の谷…ということで、茶々姫がことのほか思い入れがあったというこの方の石人形も。

茶々姫をたどる汐路にて

須磨は来年の大河ドラマの主人公、平清盛一族の没落の始まりの地でもあります。
茶々姫がこの須磨寺の修築を志したのも、建礼門院縁の場所だったかしら…と思ったりしておりました。
(須磨寺は特に当地で亡くなった敦盛と敦盛の首を撮った熊谷直実の展示が多いです)
スポンサーサイト



Comment


    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





月別アーカイブ

フリーエリア

メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


検索フォーム



ブロとも申請フォーム

QRコード
QR