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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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茶々姫と善光寺

 
茶々姫をたどる汐路にて
(画像はしなちくにゃんこさまよりお借りしました)

いつもブログでお世話になっているしなちくにゃんこさんが、長野の善光寺に参拝されたということで、ブログに記事をアップされていらっしゃいます。

そちらで、茶々姫(「秀頼公御母堂淀殿」)の手跡を見つけられたとのことで、ぜひうちのブログでもしなちくにゃんこさんの記事を紹介させてくださいとお願いしたところ、快く了承してくださいました。
おまけに、画像を転載してもよいとのお言葉に甘えて、画像をお借りしております。
ありがとうございました。

善光寺と茶々姫の関係は、慶長五(1600)年に秀頼の名前で本堂を修築しております。但し、寛永十九(1642)年に焼失したため現存しません。
豊臣家との関係でいうと、秀吉が慶長三(1598)年に地震で倒壊した京都大仏殿に善光寺如来を遷座させようとしたらしいです。
(奇しくも、k2さんのブログでも督(江)の岐阜出生説に関連して善光寺さんをとりあげていらっしゃいました。)
畿内の寺社を中心に修築している秀頼と茶々姫ですが、この善光寺さんに特別な思い入れがあったのでしょうか。それとも秀吉時代からの事業の継承でしょうか。

それにしても、やはり女人の書は難しい…どこから手を付けていいものやら、くずし字辞典を片手に途方にくれております…
大学生に戻りたい…(´・ω・`)

→*善光寺・淀殿書状|Tour Bus Guide☆しなちくにゃんこのファイトだ英語とダイエット
(リンク先は音楽が流れます。音量にご注意くださいませ)
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Comment

1. 音楽が流れるんでした(^_^;)

素晴らしい記事にして下さり、ありがとうございました(^-^)
追記しておきますと、善光寺は古来より女人をも救済したお寺です。
昔は女性は立入禁止のお寺が多かったですから(^_^;)
更にこの善光寺のご本尊・阿弥陀如来様の像は、時の戦国武将にのきなみ移動させられています(^-^)
武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康など(上杉謙信説もあり)。
秀吉が移し替えたから、姫様が見た事があっても不思議はありません。


そして奇しくも、この阿弥陀様は方広寺にまつられた事もあります。
姫とは不思議な縁でつながれているようですね。

2011.01.21 | しなちくにゃんこ[URL] | Edit

2. あれ?

京都大仏殿というのは、この方広寺でしたでしょうか?
重複して失礼しました。

2011.01.21 | しなちくにゃんこ[URL] | Edit

3. Re:音楽が流れるんでした(^_^;)

>しなちくにゃんこさん

こちらこそ、お世話になりました。
女人救済のお寺ですが、そこらへんも茶々姫の心に留まったポイントかもしれませんね。
大変参考になりました。ありがとうございます。

音楽に関しては、余計なお世話で申し訳ありません。念のため、ということで、お許しください。

2011.01.22 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

4. Re:あれ?

>しなちくにゃんこさん

ややこしいですよね。
当時あのあたりは「大仏」という地名になっていたらしくて…どう書こうか迷ったのです^^;
分かりにくくて申し訳ないです。

2011.01.22 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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