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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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植松三十里氏「自分がすべきことは何か… 大坂城と姉の悲劇になす術もない中で」

 
歴史街道 2011年 02月号 [雑誌]歴史街道 2011年 02月号 [雑誌]

PHP研究所 2011-01-06
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めのと』よりお世話になっている
植松三十里先生や、一度長浜でお話させていただいた畑裕子先生の記事がありましたので、慌てて購入しました。
(楠戸氏の記事もあります…まだ読んでいません…)

内容は、私にとって、とても素晴らしいものでした。
その感動は、ツイッターで怒涛の如く呟いております。植松先生の記事で引き出された私の督に対する考え、思いなどもありますので、よろしければ。
植松先生によるお江の受け身ではない半生の可能性をぜひ。


めのと』の植松三十里先生、ほかに畑裕子先生の記事などがあります。植松先生の記事は特にぜひ読んでいただきたい。/歴史街道 2011年 02月号 [雑誌] http://t.co/9aNWK9e

posted at 20:55:49

【歴史街道植松先生記事①】千の輿入れについて、これは督が積極的に働きかけたものであるという見方は、私もそうだと思っています。千姫の支度にかかる贈答でも、「江戸御前様」と、督(江)の名前が江戸方の筆頭にあります。

posted at 20:59:28

【歴史街道植松先生記事②】督が大坂城に入れなかったのは家康の意志では、という面もあったかもしれないけれど、やはり臨月近かったのが一番大きな原因でしょう。けれど、督はその後長い間伏見にとどまっていますので、なんとかして茶々姫と連絡を取り合おうと図っていたのでは、とは思います。

posted at 21:01:21

【歴史街道植松先生記事③】督(江)が徳川家に嫁ぐ際、茶々姫が完子を引き取り立派に養育をしてくれている前例から、千への待遇はそれほど案じていなかったのでは、と。督が最も案じていたのは、関ヶ原合戦の後減封され、秀頼の地位に心を痛めて体調を崩しがちだった茶々姫の身ではないでしょうか。

posted at 21:04:50

【歴史街道植松先生記事④】その後も、督は茶々姫と徳川家の架け橋になろうとしていたが、家康の反対で具体的に動くことができなかった、という見解です。私もこれはそう思います。やはり豊臣家は微妙な立場、どのような顛末になっても徳川家に問題が生じないようにするのは当然だと思います。

posted at 21:07:47

【歴史街道植松先生記事⑤】お寧さんに関して、植松先生は「けっして心安い仲ではない」と不仲をにおわせていますが、これに関しての私の考えは従来通り。二条城会見の際も、今度は徳川家の依頼ではなくお寧さん自身の意志で大坂城に赴き、茶々姫はその言葉も受け入れています。

posted at 21:09:45

【歴史街道植松先生記事⑥】お寧さんの存在は秀頼にとってなくてはならないものだという意識があったからこそ、秀頼にお寧さんを敬い続けるよう教育したし、お寧さんも大坂の陣のときに駆けつけようとしてくれたはず。でも、茶々姫を本気で説得するならお寧さんより督をつかうほうがたしかに確実ですね。

posted at 21:11:31

【歴史街道植松先生記事⑦】大坂の陣でも、初が大坂方の使者にたっていますが、これは家康の命を受けて、ということになっています。けれど、私はこれも督(江)の意志が働いているのでは、と考えています。

posted at 21:13:48

【歴史街道植松先生記事⑧】茶々姫の身や督の心を慮った初が自身の意志で使者を申し出、督の強い後ろ盾で自由に行動できた。その後ろ盾の一つに、初の行動に家康の了承を取り付けるというものではなかったのかと考えています。以前も書きましたが、出家の身ゆえに俗世と関係なく動けるというだけでは…

posted at 21:16:01

【歴史街道植松先生記事⑨】同じく出家の身であった芳春院が前田家の人質に立ち、お寧も出家後なお政治的影響力があり、徳川家に警戒されていた。出家したからといって、京極家に影響がないとは言い切れないはず。となるとやはり初には強い後ろ盾があったはず。それが、御台所督ではないかと。

posted at 21:18:56

【歴史街道植松先生記事⑩】やっぱり、督が茶々姫との仲違いゆえに大坂の陣を冷淡に見つめていたというのは不自然だと思います。それならそう記録に残したほうが徳川には都合がいいはずですし。督にそんな気がなかったけれど何らかの事情で動けなかったから、何一つ記録に残っていないのでしょう。

posted at 21:21:43

【歴史街道植松先生記事⑪】督が徳川の人間としての意識しかもっていないのだとしたら、それこそ徳川家が豊臣家の支配に督を利用しない理由がない。動かれたら困るということは、その動きは豊臣に、茶々姫に利するものだったのでは。

posted at 21:23:18

【歴史街道植松先生記事⑫】長々と書いてきましたが、なかなか語れないそういった考えを刺激してくださる素敵な記事でした。やはり、いつか植松先生には茶々姫の小説を書いていただきたい!というわけぜひ。/歴史街道 2011年 02月号 [雑誌] http://t.co/9aNWK9e

posted at 21:25:28

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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