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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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茶々姫の危機感(ある日のつぶやき)

 

日々、twitterのほうで思いつくままに呟いているのですが、いつかはブログで記事にしたいと思いつつ、なかなかまとめて文章にしにくい考察や感想などのよしなしごとを、ちょこっとずつテーマ別にまとめていきたいと思います。


気楽に読んでいただけると嬉しいです。


(twilogを使うと良いよ!とアドバイスくださったあまのかるもさんに感謝しつつ…)




(2010/11/19)

大河関連本を読みながら考えてたんだけど…茶々姫が秀吉没後も己の立場の危うさも知らずにいたと評されることが多いけど、秀吉が死に瀕してあらゆる手段であらゆる人に秀頼への忠誠・助力を懇願している鬼気迫った様子を傍で見ていた茶々姫に、それが分からないってのは不自然じゃないだろうか…

posted at 16:59:27

秀吉は可愛い秀頼を病床に侍らせていたはず。当然、茶々姫もそれに付き添っていただろう。秀吉が抱えていた妄執ともいうべき秀頼への不安を目の当たりにして、誰よりも不安に襲われていたのは茶々姫じゃないだろうか…とそんなことを考えていました。

posted at 17:02:44

私のこの考えは状況証拠ばかりで根拠に乏しいですけれど、巷で言われているような茶々姫の態度も、いい加減状況証拠すら怪しいものですから…人の心が包み隠さず明らかになるわけもありませんしね。

posted at 17:03:53

「世間知らずの御姫様育ちが、まざまざと家康にはめられて自滅してゆく」…秀吉没後の17年間は、そんなではなくて、幼少期を時代の荒波にもまれて育った茶々姫が、必死に闘って、それでも家康には敵わなかった…気鬱の病や、さまざまな業績を見ているとそんなふうに感じます。

posted at 17:09:19

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Comment

1. 私は、こう思う

本当に秀頼の事ばかり考えていたと思うし、秀吉は、一番に茶々に、これからの事を話していたと思う。ずっと、不安で怖かったと思います。本当に秀頼を守る事を使命に色々と手を尽くして、本心をごまかしながら生きてたんだと思います。やっぱり、目の前で戦力は削られ、味方は一人づつ亡くなっていくし、家康には、アメとムチ攻撃をされて、茶々の強い精神力と母親としての強さと愛情で、必死に生きてたと思います。世間知らずな姫だったから、家康と戦ってたんじゃないと思います。天下人の母として、夫の代わりに、家康と戦ったんだと思います。頭が良かったし落城経験から家康との戦いの結果は解ってたと思うし、それでも秀頼の背中を支えていた気がする。きっと、浅井父をお手本に、最後を迎えていったんじゃないかなあくまでも私の妄想だけど(笑)

2010.12.27 | やぎっち[URL] | Edit

2. Re:同感です

>やぎっちさん

そうですよね。私もそう思います。
不安だったから、食が細くなって、体調を悪くしたのに、そういう症状抜きに「史料にヒステリーになっていたとある」とだけ引用されていたりして…

自分が徳川に人質に行ってもいい、と秀頼のためになら自分の誇りを曲げてもいい、というところもあったのだと思います。
だけど、やっぱり譲れない部分はあって、最後はその譲れない信念を貫いて、父のように母のように潔く最期を飾ったのだと思います。

2010.12.28 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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