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鶴松の追善供養

茶々姫をたどる汐路にて

(鶴松の菩提寺祥雲禅寺の庭園を今日に伝える知積院庭園)


鶴松について調べていたら、追善供養のについての記録を見つけました。

鶴松の菩提寺祥雲禅寺の開基、南化玄興の『虚白録』には、南化玄興が記した弔辞とともに初七日、三回忌、七回忌の記録が記されています。


≪初七日≫

施主:秀吉(「大功徳主前関白大相国公」)

場所:妙心寺(「山城州平安城西京華園正法山妙心禅寺」)


≪三回忌:文禄二年八月五日≫

施主:秀吉(「大功徳主太閤相公」)

場所:妙心寺(「國山城州平安城正法山妙心禅寺」)


≪七回忌:慶長二年八月五日≫

施主:茶々姫?(「大功徳主清信女」)

場所:祥雲禅寺(「大日本國山城州平安城天童山祥雲禅寺」)


三回忌までは秀吉が自ら施主となり鶴松の追善供養を執り行っていたようですが、七回忌の施主は「清信女」という記載のみ。

鶴松の追善供養を行う女性として思い浮かぶのが、生母の茶々姫と、そして嫡母のお寧ですが、もうこの頃には跡継ぎの秀頼も健やかに成長しており、茶々姫も「御上様」として盤石な権力を築いていましたので、やはりここは茶々姫であると考えます。


この頃秀吉は鶴松のことを忘れてしまったわけではないのでしょうけれど、翌年に迫る自らの死を知ってか知らずか、秀頼の身が立つように必死に動き回っていました。


なお、十三回忌は慶長八年ですが、翌慶長九年に南化玄興は亡くなっています。

七回忌までの記録しか残っていないのは、十三回忌以降は祥雲禅寺二代目海山元珠によって営まれていたのでしょう(確認中)。


その死以降、秀頼誕生もあって、物語ではその面影を語られることがない鶴松。

しかしその死にひどく嘆き悲しんだ記録が残る父はもちろん、嘆き悲しんだ記録すら残らない母も自らのお腹を痛めて産んだ息子の死を忘れることはなかったのでしょう。

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