近代デジタルライブラリーに入っている『慶元記 大阪夏冬両陣始末』を見ていました。
『慶元記』は江戸時代前期の軍学者北条氏長による大坂の陣の顛末事細かに書かれた史料です。
まだ詳しくは呼んでいないのですが、
木村重成は木村重茲とその妾の子で、佐々木家の血を継いでいる。母と五歳まで生活を共にしたのち、母は秀頼の乳母となるが、秀次に連座した重茲の子(母は身重だったため助命された)である重成が秀頼の乳兄弟となれるはずがなく(歳も秀頼より二歳年少)、六角義郷に引き取られ十五年間養育された…という説が掲載されてました。
また、茶々姫・秀頼母子は婚礼以降千姫を厭い面会しておらず、大坂の陣の前に徳川方の手によって於国という女性と入れ替えたが、長年会っていなかったために母子はこれに気がつかなかった、という話もありました。
これが真実でないことはいまさら言うまでもないのですが、どこかの小説で茶々姫が婚礼以降千姫を閉じ込めて面会していないという話を読んだことがあったので、これが出典なのかしら、と思いました。
さて、自刃の場面に茶々姫・秀頼に殉じた侍女たちが載っておりました。
もちろん一次史料ではないのでそのまま信用することは出来ないのですが(二位局は自刃していませんし、正栄尼は一日早く亡くなっていますし…)、見覚えのない名前もあったのであげておきます。
大蔵卿
右京亮ノ局
宮内卿
饗庭ノ局
於玉ノ局
二位ノ局
正栄尼
常盤井ノ局
愛殿(=お愛の方?)
松殿
於竹ノ方
赤字が私が見覚えのなかった方です。
別の史料ですが、二位局が茶々姫の侍女頭であったというものがありました。
足跡を追っても、一の女房は大蔵卿局で間違いないとは思いますが、邸内で茶々姫に使える女房をまとめる役割だったのでしょうか。これも要検討です。
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