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茶々姫と柴田勝家

文禄4年に、茶々姫は柴田勝家の供養もしているようです。


茶々姫をたどる汐路にて


   【江州浅井家之霊簿】


   始観浄金大禅定門

      施主伏見ノ御カミサマ、御志為柴田殿也、

      文禄四年卯月廿一日立之、



供養記事を見ていると、茶々姫は自分の役割を相当意識して日々を生きていたんだなあとつくづく感じます。


鶴松を産んだら、浅井家の菩提寺小坂坊(高野山)で祖父母、父母、兄の供養をし、

秀頼を産んだら、養源院を建てて父を供養し、同地に供養塔を建てて母を供養し、

そして翌年には義父の柴田勝家を供養し…

(他にも故郷の伯母も木像を造って供養したりしていますし)


浅井一族の供養も、秀吉とは敵対した立場であるから供養を言いだすタイミングが難しいというのに、

柴田勝家なんて、浅井家よりももっと直接的に秀吉と敵対した人物。

さぞ神経を使ったことだろうと思います。

福田先生は『淀殿』で、お市が柴田勝家に嫁いだからといって、三姉妹を養女にしない限りは親子関係は生まれない、ということを指摘されていましたが、

この記事を見ているとやはり、全くの他人だとは思っていなかったように感じます。

(養父娘関係があったかどうかはわかりませんが…)


父長政と母お市の遺言に従って、亡き家族の供養がしたかったというのも、茶々姫が秀吉の妻として死ぬまで懸命に尽くした理由の一つなのでしょう。

お市の婚礼&茶々姫誕生永禄10年説から、茶々姫が浅井長政の娘ではないなんて説が生まれましたが、

こういうところを見ているとますますあり得ないと思います。


茶々姫をたどる汐路にて

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