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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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慶長二年金剛峯寺修繕記事に茶々姫を思う

 
「続宝簡集」にある茶々姫による金剛峯寺修築の記事を見ていたのですが、

前関白秀吉公之北御方 江州浅井備前守御息女被加修造、文禄四年九月八日造畢、慶長二年三月廿一日供養、御導師三宝院准后義演、勅使勧修寺大納言殿(晴豊)、中山殿(慶親)也、勅使拝上、飛行三鈷出于塔前、其例希也、」

この落慶法要が慶長二年の三月二十一日に行われておりまして、法要の導師を務めたのが『義演准后日記』の筆者義演准后なんです。

で、同じころの『義演准后日記』を確認したところ、前日に

「大坂ヨリ太閤御所ノ北御方ノ女房衆大門ノ外マテ登山云々」

というくだりがあります。

続群書類従完成会『義演准后日記』では、この「北御方」をお寧と解釈されていますが、義演は基本お寧さんのことは「北政所」もしくは「政所」と記しますので、私もこれは別人だろうと思っておりました。

ですが、秀頼の生まれた後ですので、茶々姫は「御袋様」、「御母様」と残されるかなと思い(実際この日までに『義演准后日記』に登場している茶々姫は「伏見袋」と「秀頼御袋」)、この「北御方」を松の丸殿ことたつ姫だと解釈してたんです(史料ページにもそのように書いていました)。

でも、これどうやら間違いなく茶々姫ですね。
とすると、女房ってのはおそらく大蔵卿局なんでしょうねえ。

秀吉生前で寺院の修築記事って珍しいほうなので、なんか新鮮でした。
秀吉の妻というだけでなく、浅井長政の娘として修繕しているあたり、両親の菩提を弔うという意味もあったのでしょう。さすが茶々姫です。
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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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