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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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〔福井〕リベンジしてきました

 

仕事の都合で石川県まで乗せていただいた道中、福井市内の史跡(北庄城跡、西光寺、自性院)にリベンジしてきました。


茶々姫をたどる汐路にて

写真:三姉妹神社(柴田神社マップ摂社) …茶々姫が妹たちとともに祀られています。


ぜひ注目していただきたいのが、この社殿の配置。


茶々姫をたどる汐路にて

かの有名な、柴田神社のお市さん(銅像)が見つめる先に三姉妹神社の社殿はあります。

そして縁あって父娘となった勝家の祀られる拝殿に守られているようにも見えます。

もし意図されているとしたら、とっても粋な計らいです。


福井市は、滋賀県長浜市や福井県小浜市ほど来年の大河ドラマによる盛り上がりはまだ見られませんでした。

見られませんでした、が。


神社敷地内にある資料館ではこんな子が御迎えしてくれました。


茶々姫をたどる汐路にて

お江…かな。

手にしているプレートが反射して分かりにくいですが、

「柴田勝家は私の父です。ゆかりの品々をご覧になりながらごゆるりとお過ごしください。」

とお江(崇源院肖像)がおっしゃっておられます。


この木像は以前来たときになかったように思うのですが…どうだったかしら。

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Comment

1. 切ない

いやいや、すぐにはコメントが書けなかった。


市の像が本当に切ない…どんな気持ちで、亡くなったのかな…と思うと本当に切ない。


でも、ちょっと大河を匂わせてしまった感じが微妙だ。


せめて3人一緒でも良かったのでは…と思います。

2010.10.22 | やぎっち[URL] | Edit

2. Re:やぎっちさんへ

>やぎっちさん

いつもコメントありがとうございます(*'▽'*)

柴田神社のお市像と三姉妹神社は大河が決まるずっと前から合ったものなんですよ♪
だからこそ好きというか何というか…(苦笑

お江?の謎のオブジェは大河合わせでつくられたのかもしれませんが…

秀頼、お寧さん、秀吉、秀次、秀長たちは豊国社関係でお祀りされてますが、茶々姫がご祭神として祀られているのはここだけなんですよね…
そういう意味でも、思い入れのある場所です。

2010.10.22 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. ならば

>紀伊@赤石いとこさん


そうなんですね、知らなかった、恥ずかしいけど、ならば、もう絶対に行かなきゃならないですね。


突然ですが、来月に、茨城県の神社何個か見に行くんですが、寧々の妹夫婦の墓が近くあるようなので行ってみようかな、とも思っています。


旦那(ただのタクシードライバー)がね、秀頼生存説を語ってたの、(九州にいた寧々の兄の所に逃げて~~説なんですが(笑))生存説や最近の本のおかげで、寧々へのイメージ少しが変わり、一応、秀頼のもう一人の母だし、その人の身内の墓が近くにあるなら行ってみるか(笑)と思って。


それでは、また来ます。

2010.10.23 | やぎっち[URL] | Edit

4. ならば

>紀伊@赤石いとこさん


そうなんですね、知らなかった、恥ずかしいけど、ならば、もう絶対に行かなきゃならないですね。興味はあったんですが、北之庄って、何故か、ノーマークなんですよね、なんでだろう?


突然ですが、来月に、茨城県の神社何個か見に行くんですが、寧々の妹夫婦の墓が近くあるようなので行ってみようかな、とも思っています。


旦那(ただのタクシードライバー)がね、秀頼生存説を語ってたのですが、(九州にいた寧々の兄の所に逃げて~~説なんですが(笑))生存説や最近の本のおかげで、寧々へのイメージ少しですが変わり、一応、秀頼のもう一人の母だし、その人の身内の墓が近くにあるなら行ってみるか(笑)と思って。相変わらず、少し空回りぎみですが、よし!として行って来ます。家の方にも姫関連の何かがあればなぁ~。


それでは、また来ます。

2010.10.23 | やぎっち[URL] | Edit

5. Re:やぎっちさん

>やぎっちさん

確かに、茶々姫は北庄に半年ほどしか滞在していませんし、その頃は史料などから完全に消えてしまっている時期ですから…
(私は未だに、もしお市がどこかに(それこそ阿久姫のところとかに)三姉妹を預けて福井に行っている可能性はないのかしら、と考えることがあります。)

茨城のお話、また聞かせてくださいね!
関東方面といえば、茶々姫が奥向きの采配で大活躍したらしい小田原も行ってみたいですし、信憑性は薄くとも群馬元景寺も行ってみたいですね…

2010.10.24 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

6. 市さん

>紀伊@赤石いとこさん


生存説が書いてある怪しい本が家にあったから読んだんですが、あり得るな!と思いました。秀吉から守る為とか柴田父が本当に愛してたから死なせたくなくて逃したとか、喉仏の骨の話が書いてあった。


真田幸村のも書いてあった(笑)本当に茶々様と秀頼を逃してくれてたらいいなぁ。

2010.10.28 | やぎっち[URL] | Edit

7. Re:やぎっちさん

>やぎっちさん

お市の生存説ですね。
個人的にはもし生きていたらどうにかして茶々姫の助けになってほしかったのです…
あと、お市さんにかすんでしまった勝家の前妻やら女房衆がとっても気になります。お子さんもいてたみたいですし。

何にしろ、その死を惜しんでたいせつに語り継がれてきた生存説は心を揺さぶられるものがありますね。

ファンの一人として茶々姫には生きていたほしいですが(といっても元景寺の話は悲劇ですが…)、秀頼も茶々姫も甘んじて生き延びるなんてことはないだろうなあ…と思ってしまいます。
茶々姫の心を思うと、せめて秀頼だけは、生きていてほしい思いますが。

2010.10.29 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

8. はい。

>紀伊@赤石いとこさん


ただ、徳川に何をされるか解らないから、だったら一緒に…と言う気持ちは凄い解ります。悲しかったけど、立派に育った息子を見守りながら、誇らしげに、最後を迎えたんだろうなぁ。


利根川の話ですね…一応、利根川付近を通ったさいは、心の中で手を合わせてますが、まず無いだろうなぁ。本当に、たまに電車で川の上を通る時があるので。場所は違うけど。

美輪明宏さんが、『正負の法則』だったかな?で、美人薄命の例で姫の事を本に軽く書かれてますが、『美人薄命だったのよ』そう言われちゃうと、なんだか納得です。


今日、テレビで醍醐寺の方が、秀吉が醍醐の花見の後で、紅葉狩りを計画してたらしく、寺に紅葉を植えたそうですが、秀吉が亡くなったので、計画は消えましたが、紅葉した寺は凄い綺麗でした。


なんで見たのか、私は、てっきり寧々さまの機嫌とりの花見かと思い込んでいて、なんだか恥ずかしいです。


仕方なく、もう一人の正室になったわけじゃなさそうですね、大切にされてたんだなぁと、だったら、やっぱり、姫の最後は大阪城ですね。

2010.10.31 | やぎっち[URL] | Edit

9. Re:やぎっちさん

>やぎっちさん

個人的に、茶々姫と秀吉の関係ってものすごくドラマティックだと思うのです。
確かに親の仇で、絶対に相容れないはずの、もしくは周りからそうきめつけられていたであろう関係なのに、子を授かるほど縁が深くて…
秀吉が亡くなった後、茶々姫が必死に秀吉の残したものを一つでも多く残そうと奮闘している様子が…やはり大切にされていたんだろうなあと思います。

お寧さんはもちろん茶々姫も大切にされるだけの女性だったのでしょうね。外見だけでなくて妻としても有能な方だったのではないでしょうか。

醍醐寺での紅葉狩りのお話…初めて知りました。素敵なお話ですね。
でも、近々目標となるイベントを企画して、一日でも長く生きようともがいているようにも見えて…なんだか切なくもあります。

茶々姫が彼岸へ行かれたとき、長政公やお市さんはもちろんですが、秀吉にもよくやった、と労って茶々姫を迎えてくださっていたらいいな…と思います。結果はどうあれ…

2010.10.31 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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