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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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お江の出生地について

 

9月あたりから関連書籍がいろいろと出版されていて、いよいよ大河ドラマが迫ってきた、という感じですね。


今回は、mixiで教えていただいたk2さんのブログ『泰巖宗安記』 に、お江の出生地についてとても興味深い記事を書かれていましたので、ご紹介したいと思います。


お江の出生地といえば、私も例にたがわず、小谷城下であると思っておりました。

これまでこの説に対する反論は、「清水谷屋敷」か「小谷城山上の屋敷」か…というくらいで、小谷付近で生まれたということに対する反論は見たことがありません。


k2さんは小谷城説に対して、二つの史料を根拠に岐阜説を唱えておられます。



濃州殉行記


濃州殉行記に、信長の「女弟」つまり妹が長政自殺の後、岐阜に逃れて一女を生むと言う記述見つけました。

是が崇源院、つまり「江」。お市は、身重で小谷城を逃れた事になる。

逆に、身重であった事が、長政をして逃れるよう勧めたと言う憶測も可能かも知れません。


引用元記事:「江は岐阜生まれ」(http://taigan.blog104.fc2.com/blog-entry-642.html



尾濃葉栗見聞集 岐阜志略(昭和9年7月)


因幡宮社家傳の項に
大御台様 御父浅井備前守御母信長公妹 備前守滅亡の時内室懐胎にて岐阜へ逃れ、岐阜にて女子出産。
此の女子後に台徳院様へ宮仕えへ給ひ、後大御台様と申す由。岐阜御産所ゆえ因幡宮御信仰ありし 也。


「江は岐阜生まれ 2」(http://taigan.blog104.fc2.com/blog-entry-658.html

これまで小谷城説がとられていたのは、

お江の出生について書かれている史料が発見されていなかった、もしくは知られていなかった

というのが一番大きな原因だと思います。

そしてお江を身ごもったまま城を落ち延びたということが想像しにくかったから、というのもあるでしょうか。
そもそも長く織田家との戦争状態にあったにも関わらず、お市が織田家に返されることなく、さらにはお江が生まれた、ということ自体が驚きをもって語られています。


こうして郷土史とはいえ、お江の出生について記された史料があるということは、この説も取り上げられてしかるべきだと私は思います。

しかも、お江については将軍御台所・中宮生母とはいえ、大河ドラマ以前にはそこまで注目された女性ではありません。

そんな彼女についての記事であればこそ、信憑性があるのではないかしら、と私は思います。

それにしても、私も何の疑いもなく小谷城出生説を受け入れておりました。

いつもながら、客観的・論理的に考察する能力が乏しい自分を反省です。



追記:

うーん…

お江が小谷のことを人に言われるまで自分の故郷だと知らなかった…というようなものをどこかで読んだと思ったのだけど…

小谷寺と関わっていたように思ったので、小谷寺の事件の一連が書かれている『本光國師日記』をざっと探したけど、見当たらない。


私の勘違いかなあ?

(k2さんとこでは当代記かな…とか書いてますが、勘違いの様です;当代記にもなかった。)


もうちょっと探します(´・ω・`)

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Comment

1. いつも

私も、赤ちゃんを抱きながら逃げるイメージが当たり前だった。


逃げるときには、姫達3人と市で逃げてたし(ドラマだけど)、江に関しては、ちょっと、徳川側って意識があるからなぁしかも、イメージが『高島れいこ』(笑)大奥の見すぎだね


なんか、えぇ~ですね岐阜と言うのが、また、あり得るかも

2010.10.11 | やぎっち[URL] | Edit

2. Re:やぎっちさん

ですねえ、私もです。

お市さんが小谷を脱出した時、お腹はどれくらい大きかったんだろう…信長の身内として丁重に送り届けられたとしても、思っていたよりも心身ともに大変な道行だったのかもしれませんね。
この説に従うと、小和田先生説のように、信包の管理していた清州にいた可能性が強いですね。もしくは伊勢上野に行ったとしても、無事身ふたつになってから伊勢へ行ったということになりそうです。

お江に対して秀忠が頭が上がらなかったというエピソードを取り上げられるときに、姉さん女房だったというところばかりが注目されがちですが、良く考えればこの時代姉さん女房なんて珍しいものではないんですよね。
やはり秀吉の正式な養女として秀忠に嫁いだということが私たちが想像している以上に大きな意味を持っていたのではないかと私は思っています。
大坂から落ち延びた海津局たち女房を面倒見たことからもお江の立ち位置がなんとなく察せられるような気がします。

2010.10.11 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

3. なにかで…

>紀伊@赤石いとこさん


ドラマでは、すぐに落ちたかの様に表現されがちな小谷城ですが、調べると落とすのに3年位でしたっけ?かかってるし、小谷に上がるまで、凄い道のりを上がるんですよね?イメージ違いかな?そんな道を妊婦が?と思うと少し戸惑ってしまいますが。


秀忠の書かれようも、人のことを言えませんが酷いですよね(笑)江の事は本当に知らない事ばかりでコメント出来ませんが、もしかしたら一人で、最後まで徳川の中で戦ってたのかも知れないですね。

でも凄い大事にされてたかは、お墓の埋葬の話を聞くと微妙ですね。

2010.10.13 | やぎっち[URL] | Edit

4. Re:やぎっちさん

>やぎっちさん

確かに、すでに大きなお腹だったとしたらしんどいですねえ。
輿を出してもらったのか、お腹が大きくなる前に山を下りたのか…
そもそも、山上のお屋敷にいたのか清水谷のお屋敷にいたのかという論争があるのですが、や懐妊が分かって里に下りていたのかもしれませんね。

もしくは、地元の実宰院に三姉妹が匿われた話があるのは、お市がそのためにここにいたからかも…

とりあえず、今のところはお江湖北出生説に史料や伝承がないので私は岐阜説に傾いています。

秀忠は…家康の陰に隠れて凡庸に描かれるかと思いきや、一方で家康の隠れ蓑の中でものすごい非情な振る舞い・選択をしたように描かれたり…どう描かれても散々ですね。
私は秀忠は優秀な人だったことに間違いはないと思います。2代目って大変ですもの…

2010.10.13 | 紀伊@赤石いとこ[URL] | Edit

    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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