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妙心寺展

…という訳で(↓記事参照)、京都国立博物館の妙心寺展へ行ってまいりました。

妙心寺の茶々姫のご縁といえば、鶴松関係です。
鶴松の行われたのが妙心寺で、その菩提を弔う祥雲禅寺の建立にあたり開山として妙心寺の禅僧でした。


<今回の特別展の鶴松関係展示品>

・隣華院蔵豊臣棄丸坐像
   …祥雲寺で祀られていた木像。
・妙心寺蔵豊臣棄丸坐像
   …妙法寺玉鳳院の御霊屋に安置されている木像。
・妙心寺蔵玩具船
   …鶴松が実際に台座に乗り、守役(石川光重?)に曳かせて遊んだと伝わる。
・妙心寺蔵小形武具(胴丸二)
   …童具足。妙心寺蔵棄松坐像・玩具船・守刀とともに鶴松の遺品として妙心寺に納められた品。
・妙心寺蔵倶利伽羅龍守刀
   …蒲生氏郷が鶴松誕生の際贈ったとされる守刀。

図録には他に妙心寺蔵豊臣棄丸像も掲載されているのですが、今回の展示にはありませんでした。


それでは、以下は感想です。ものすごく長いので、お時間があるときにどうぞ。




<感想>

・玩具船

どれもこれも写真では拝見したことがあったものの、実物を見るのはお恥ずかしながら初めてでした。
開期中に何度か訪れるはずだったのですが、うっかり気が付いたらGW直前だったという不始末(※ 管理人はひどいトリ頭です;)。

まずは玩具船が目に飛び込んでくるのですが、でかいという前評判どおりすごい存在感。船の裏には箔が貼ってあり(現在も残っています)、他も漆塗りだったそうで出来上がったばかりの頃はそれはもう目を見張るものだったのでしょうね。
細工が細かく、細い木製の材を使っているにも関わらず破損していないことから、鶴松は実際にそんな乗ってないかも…という話も頷けます。
確か何かの小説では亡くなった後に完成したということになってたなあ…と思い出しながら次へ。


・木像×2

どちらも賢く涼やかな目、結わえることなく切りそろえられた髪、愛らしい小袖姿というのは共通しています。
今回は見れなかったけれども鶴松の肖像もこれらは共通。
どれも鶴松が実際に亡くなった二歳二ヶ月にしては大人しく、理想化された童姿、なんて評価がされていますが、この三つの姿に共通する部分は確かに鶴松のそれだったのでしょう。
小袖姿がとても可憐なのですが、これは鶴松がまだ袴着も迎えていなかったからで、それがまた哀れさを誘います。
大きさはだいたい等身大だそうです。
ちなみに妙心寺蔵のほうは最近彩色が施されなおされたそうで、まるで最近作ったかのような雰囲気。
ということは隣華院蔵の木像も作った当初はこのような感じだったのだと想像できます。(どちらの木像も造られたのは鶴松がなくなってすぐ後)

ちなみに、鶴松の菩提寺・祥雲禅寺の二代目住職海山元珠(初代南化玄興の弟子)は、方広寺鐘銘事件の際、家康の機嫌を伺う僧を尻目に、決して家康に媚びることなく文英清韓(鐘銘の作者)の文才を支持したそうです。漢や…
この後家康によって祥雲禅寺は没収され、海山元珠は追い出されてしまいます。当時としても目を見張る価値があった主要伽藍は知積院に譲られ、当地には現在も当時の庭園・長谷川等伯による障壁画などが残されています。
祥雲寺にあった鶴松木像が現在隣華院で大切に残されているのは、海山元珠が祥雲禅寺から追い出される際、この木像を背中に負って師(南山玄興)ゆかりの隣華院に移ったからだといいます。
その行動は、時流に媚びず自ら信じた正論を貫き、打ちのめされてもなお抗議を続けているような、そんなふうに感じられます。ますます漢…かっこいい。


・胴丸×2

個人的に、長浜城の浅井氏特別展示で一番ぐっと来たのが養源院蔵の浅井長政像ならば、今回の特別展示ではまさにこれでした。

驚くほど、小さいのです。

白綾に刺繍が施されたほうよりも金箔が施されたほうは更に小さく、ひょっとしたら全く同時期の制作ではないのでは…と思いました。
そんな風習があったかどうかは不勉強で分からないのですが、初めての端午の節句で金箔の胴丸を、二度目の端午の節句で白綾の胴丸を、鶴松の成長を祈って着せたのだろうかとふと考えました。
生来体が弱く、何度も寝付く鶴松が、なんとか無事大きくなることを祈って鶴松に童具足一式を身に付けさせる秀吉夫妻や茶々姫の思いがなんとも痛々しくて…

今回は兜と胴丸のみの展示でしたが、また一式も見てみたいです。


・守刀

蒲生氏郷が贈ったとされるこの刀。解説によると鶴松が生まれたとき全国の諸大名らがこぞって贈り物を献上したといいます。
鶴松の周りには打算の入り混じった豪奢な品々で囲まれていたのでしょう。
その中で、あえて今回展示されている品々が妙心寺に残されているのは、この守刀も含めて、鶴松が本当に触れていた遺品なのではないでしょうか。
船は鶴松の愛玩というよりも、秀吉の思い入れのほうが強いのかな…?と思えましたが。
元気になったら鶴松を曳いて遊んであげるから、という会話があったのかもしれません。


・その他

茶々姫の叔母お犬の方の肖像、お寧さんの姉お熊さん(長慶院)の肖像や遺品、前田玄以夫妻・三の丸殿・福島正則の肖像(玄以夫人村田氏・三の丸殿の肖像は今回見られませんでした)などがありました。
お犬さんの肖像は、思ったより小さかったです。
「伝淀殿像」のときも同じことを思ったのですが、そのとき同時に展示されていたお初やお江の肖像の大きさが実は特別だったのでしょうか。

大野治長夫人の肖像も見たかったなあ。お犬さんと三の丸殿、そしてこの治長夫人の肖像は三名幅として伝えられているとか。
これに関しては写真すら見たことがありません。ひょっとしたら石松丸の肖像のように、実物が伝わっていないのかしら…

あとは妙心寺の開山無相大師(関山慧玄)の木製坐像が大きくて、リアルですごかったです。お隣の花園法皇坐像も。
実際の花園法皇は華奢な方で厳密に言うとリアルではないそうですが…


・図録

めちゃめちゃ分厚いです。そしてでかいです。重いです(笑)
見返すのも大変ですが、でもこれだけの展示を余すところなくおさめていただいているのはありがたい。

京都国立博物館学芸部工芸室長の淺浰毅先生という方が「ふたつの棄丸坐像――天正十九年の豊臣秀吉」というタイトルで論文を書かれているのですが、残念でならないのが、おそらくこの方は鶴松も秀頼も秀吉の子だと思っておられないところです…
はっきりとそう仰っているわけではないのですが、この論文を読んでいるとそれがすごく感じられます。
参考文献には福田千鶴先生の著書も入っているのになあ…
今回思ったのですが、展示の解説という短い文章でも、たった一言の単語であっても、書いた方の意思というか意図というものはきっちり伝わるんですね。
ともすれば弟秀頼の陰に隠れてあまり目立つことのない鶴松ですし、工芸品という観点から見ることは余りないので、この論文は大変面白く勉強になりました。だからこそ余計に残念。

この図録、東京や京都、これから九州などでも開催されるのですが、一体どれだけの人が購入されるんでしょうね。想像できない!
2500円とお高めに思えますが、この大きさ、ボリュームで2500円は正直安すぎると私は思います。
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