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伯母 泉源寺殿について

「京都教区時報」(1998/9 No.250より)


 京極マリア380年忌追悼式

 (ウェブサイトより)

 戦国の武将、浅井長政の姉で、キリシタンとして生きた京極マリアの没後380年忌追悼祭が去る6月28日(日)舞鶴市泉源寺の真言宗古寺笠松山「智性院」(増円憲空住職)において、カトリック関係者120名、仏教関係者150名の参列者を得て合同で営まれた。

 中央祭壇には「養福院殿法山寿慶大禅尼」(佐々木京極若狭守同丹後守御母 元和四年戌午年七月朔日)と銘記された位牌が祭られ、仏教者を代表して増田住職の読経から法要か始まり、続いてカトリック形式による聖歌、大松正弘神父による聖書の朗読、ルメー神父のお話、さらに京都北部三教会代表による共同祈願、最後に終わりの聖歌が境内に流れ、宗旨を越えて参加者一同深い感動に打たれた。

 又、追悼式に続いて「京極マリア」の著者で豊岡市在住の渋谷美枝子先生による「マリア追憶の歴史について」の講話が行われた。

 さて、京極マリアが世に出たのは昭和16年(1941年)智性院の末坊「此御堂(こみどう)」において一つの古びた位牌が発見された事から始まる。マリアは1581年、夫の京極高吉とともに安土で洗礼を受け、京都、大阪で布教活動をし、その後長男若狭守小浜の城主高次、次男丹後守田辺城主高知のいる舞鶴の泉源寺に移り住んで戦乱の世を逃れ、1618年75歳で没するまでの8年間を「此御堂」を布教所として、祈りの中で生涯を閉じたと言い伝えられている。

 この度、ルメー神父と永年ご公諠のあった増田住職との念願か叶えられて、実に380年振りに仏式、カトリック形式合同による追悼祭が実現した。

 「京極マリア」、戦国キリシタン暦史の中のこの偉大な女性の存在はこの追悼祭を出発点として、丹後のキリシタン暦史の中で「細川ガラシア」とともに、私たちはもっと世に光をあてなければと思う。マリアの位牌がある智性院、隣接した「此御堂」跡は京都府北部と福井県との県境に近い緑の山々に囲まれたところで、静かに訪れる人を待っている。


記事URL: http://www.kyoto.catholic.jp/hp/y94-00/cn9.html
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