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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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また一人の井口弾正女と万丸(治兵衛)少年

 

赤尾、菅浦と訪れた帰りには、旧虎姫町月ヶ瀬、そして旧同町宮部に行って参りました。


月ヶ瀬といえば、小谷城攻防戦では月ヶ瀬頼次・忠清らが虎御前山を睨んで戦闘を繰り広げた土地です。
それとともに私の興味の範疇で申し上げれば、心ひかれてならない阿古御前の妹さんが嫁いでいたのがこの月ヶ瀬!(前述の二人とはまた別人の播磨守という人に嫁いでいたそうです)

というわけで、妹姫が暮らした月ヶ瀬をぜひとも行ってみなければ!と暮れる日に追い立てられながら行ってきました。

ちなみに、月ヶ瀬に関してはこちらのサイトを参考にさせていただきましたのでよろしければ。
URL: http://tenkafubu.fc2web.com/azaiasakura/htm/ozuku02.htm (「下天夢紀行」様内の記事です)

月ヶ瀬城跡















月ヶ瀬地区案内板とカーナビを照らし合わせて
だいたいこの辺が案内板に書かれた城跡らしいです。

bbca0c57.jpg




















月ヶ瀬神社。
上記サイトさんによると、ここが城跡としてある資料もあるとか。

もう一人の妹姫は阿閉氏に嫁いでいるのですが、山本山城は…うん、いつか登ります^^;
私恥ずかしながら体力がないので、山登りはかなりの覚悟が要ります…ふふ。

さて、お次は宮部。
浅井織田戦においては割と早期に織田方へついた方ですが、個人的に気になっている後の豊臣秀次が一時ここへ養子へ行ったことがあったため、訪問してきました。

宮部城跡は現在の宮部神社に比定されています。

db64ffc1.jpg














宮部神社正面

3b519f4d.jpg



















城跡を示す石碑。

↑の石碑は、平成三年に宮部むらづくり委員会によって建てられたものです。
神社入口付近の木立の中にひっそりと建っているのですが…何といっても背を向けているので非常に分かりづらいです。
石碑の正面には神社の囲いがそびえたち、その向こうは宮部城跡の濠であった現在の木立川が流れております。
ちなみにこの写真は、道なき川沿から囲い越しに撮ったもの。
これ以上引くと囲いが映ります(そして川に落ちます;)のでやむを得ずこのアングルで…

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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