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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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小谷城麓の小さな墓石 ~「北ノ方」盛秀の墓

 
最新の「お市と浅井三姉妹の生涯」に、[浅井家侍女の墓]関係記事があったので…

↓記事はこちら↓
http://blog.ko-blog.jp/nhktaiga2011kinen/kiji/29275.html


偶然五月の初めに取材に行ってたので、写真乗っけておきます~♪
TS3N0037.jpg

≪当地にある案内板より≫
浅井家侍女の墓(北野町)

五輪塔形状の墓石で、「盛」「秀」「禅定尼」「元亀四癸酉年」「四月四日」などの文字が刻まれている。
元亀四年(1573)は天正元年と改元された年で、浅井長政の籠る小谷城が織田信長に攻められて落城した年でもあるので、この墓石は小谷城から逃れてきた浅井家の侍女の墓であるとする伝説がある。
『信長公記』によれば、小谷城が落城したのは九月一日であり、四月四日はそれよりも前になるのだが、江戸時代に記された地誌『淡海国木間攫』には「浅井長政北ノ方ノ墓ナリト」と図入りで記されており、昔から浅井家とのかかわりが指摘されてきた墓石である。

協力:田根郷土史研究会

浅井長政の北の方というと、一般的にはお市の方のことになりますが、ここに眠っている関係者の女性は、結構一家に近しい女性だったのかもしれませんね。

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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