Posted at 2010.01.23 Category : ∟史料関係
『舜旧記』慶長二十年分を更新しました。
見どころは言わずもがな、ではありますが。
大坂落城後の梵舜さんの動きにはいろいろ感じるところがあります。
梵舜さんは大坂の陣前後から、特に徳川方への働きかけが多くなるのですが、
家康に会いに行っても面会してもらえるのはほんの数回。
しかもその途中には社領を返上すべきだとの意見を耳にしながらも、それでも贈答、見舞いを重ねた末の、豊国神社廃立の命令。
前日に密かに知り、当日早々に命を受け、おそらくその足でお寧さまのもとへ報告へ行く姿。
そして、その翌日の嘆き。
「御神事御神供為祝奉備、各涙洩、御供令頂戴也、今日毎朝御供奉納闕也、神慮中々在恐也」
(どうしてもこの感じをうまく現代語訳できない…)
その後神社に盗難は入るわ、少しずつ神社のものはよそにやらなければならないわ、受け取り側に情けない扱いを受けるわ…
弱り目に祟り目とはこのことですね。
それでも梵舜さんのすごいとことは、まだまだめげていないところ。
この後茶々姫の動きは描けませんが、梵舜を通じて茶々姫が生きた豊臣という家、そして立場は違えどともにたたかったお寧さまや龍子の動きを、舜旧記の最後まで追いかけたいと思います。
ただし、私の写しが不完全だったため、今後の舜旧記は以前にまとめた資料を使って更新していきます。
(※この資料には当時の呼称、天気などを記録していません)
今回もところどころこの資料によっております。
また資料がそろいしだい補完しますのでよろしくご了承くださいませ。
見どころは言わずもがな、ではありますが。
大坂落城後の梵舜さんの動きにはいろいろ感じるところがあります。
梵舜さんは大坂の陣前後から、特に徳川方への働きかけが多くなるのですが、
家康に会いに行っても面会してもらえるのはほんの数回。
しかもその途中には社領を返上すべきだとの意見を耳にしながらも、それでも贈答、見舞いを重ねた末の、豊国神社廃立の命令。
前日に密かに知り、当日早々に命を受け、おそらくその足でお寧さまのもとへ報告へ行く姿。
そして、その翌日の嘆き。
「御神事御神供為祝奉備、各涙洩、御供令頂戴也、今日毎朝御供奉納闕也、神慮中々在恐也」
(どうしてもこの感じをうまく現代語訳できない…)
その後神社に盗難は入るわ、少しずつ神社のものはよそにやらなければならないわ、受け取り側に情けない扱いを受けるわ…
弱り目に祟り目とはこのことですね。
それでも梵舜さんのすごいとことは、まだまだめげていないところ。
この後茶々姫の動きは描けませんが、梵舜を通じて茶々姫が生きた豊臣という家、そして立場は違えどともにたたかったお寧さまや龍子の動きを、舜旧記の最後まで追いかけたいと思います。
ただし、私の写しが不完全だったため、今後の舜旧記は以前にまとめた資料を使って更新していきます。
(※この資料には当時の呼称、天気などを記録していません)
今回もところどころこの資料によっております。
また資料がそろいしだい補完しますのでよろしくご了承くださいませ。
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