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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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菅浦安相寺 ~浅井長政庶子万菊丸の行く先

 
続いて菅浦。
本日一番の目的地でした。

現在、旧長浜市内を拠点にしているのですが(あと数日で引っ越しますが…)、今年から同じ長浜市内になったとはいえ、菅浦はものすごーく遠い!
菅浦も旧西浅井町に属するのですが、大浦から山地と湖に挟まれた道を10キロほど走り抜けなければなりません。

しかし、菅浦には絶対に行っておきたい場所がありました。
それは、菅浦安相寺。

菅浦 安相寺















茶々姫の弟、万菊丸が逃れたとされるもう一つの場所。
ここ安相寺に逃れたのち、福田寺の住職になったという説があります(『布施山温古記』)。
安相寺は福田寺の末寺であり、実際に両者の間では万寿丸の縁から毎年七月に贈答があったといいます。
(参考URL: サンライズ出版ブログ http://www.sunrise-pub.co.jp/%e3%81%8a%e5%b8%82%e3%81%a8%e4%b8%89%e5%a7%89%e5%a6%b9%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b6%af%ef%bc%88%ef%bc%94%ef%bc%89%e3%80%80%e9%95%b7%e6%94%bf%e3%81%ae%e7%94%b7%e5%ad%90/

万菊丸は存在自体疑問視される声が強く、なかなか話題に上ることもありません。
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万菊丸像(旧浅井町役場前にある浅井一家の像より)

しかし、同市湖北町二俣には、万寿丸が逃れるときに守護した中島左近さんのご子孫が現在もいらっしゃり、その時の槍が今でも残されているといいますし、上山田には万菊丸の母と思しき女性の伝承もあります。
もちろん、これだけ伝承があるなら万寿丸が存在したに違いない!という逆説めいたことを主張するつもりはありませんが、いなかったとは言い切れないよなあとは思う訳で…

そして今回安相寺を訪れて思ったことは、万菊丸を匿うためにこれ以上の場所は確かにないということでした。
三方を山にもう一方は湖に守られ、他の集落とは隔絶した菅浦という土地。

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道中より菅浦をのぞむ

そして惣村として名高い集落の自衛能力。
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菅浦の惣村を守った四足門

敗将の子を匿ったといわれれば納得してしまう何かがここにはありました。
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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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