fc2ブログ

茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

RSS     Archives
 

企画展「井口の歴史と文化財」&常設展@高月観音の里歴史民俗資料館

 

【高月観音の里歴史資料館】 (常設)
◯『太閤志津ヶ嶽軍記』伊吹玄瑞著、江戸時代後期、個人蔵: 「木之本浄信寺の僧・雄山が記した『賤ヶ岳合戦記』を、弟・伊吹玄瑞が増補・改訂して版行したもの。序文によれば、雄山は、母が浅井長政の孫(長沢福田寺慶安の娘)にあたることから、


posted at 11:22:07


僧籍にありながら、求めに応じて『浅井三代記』や本文を記したという」
◯芳洲会蔵「野村合戦必携 稿本」明治40年、南部晋編。
◯同蔵「江北史料図彙 浅井郡之一」明治後期、南部晋著編。 昌庵見久尼歯骨図、昌庵見久尼肖像
◯同蔵「をしえのみやび」、明治後期、南部晋著編。


posted at 11:22:08


◯同蔵「稿本浅井武鑑 二編 全」 明治後期、南部晋編。 (企画展「井口の歴史と文化財」)
◯理覚院蔵「伝井口弾正肖像画」絹本・著色、安土桃山時代 「井口氏は地元の土豪で浅井氏の重臣であり、また同族関係にあったという」 ・解説:「理覚院は、近江国佐々木氏や湖北を領した浅井氏らとゆかり


posted at 11:22:08


の深い、当地の土豪井口氏の菩提寺(廟所)。寺宝として、井口弾正経元の肖像の伝える威風堂々とした画幅が残され、また天正13年の銘が刻まれた供養塔が建っている。」 「井口氏は崇峻天皇皇子定世親王の後裔近江中原氏を出自と伝え、また一説には近江源氏佐々木氏の一族で東条氏と称したともいう。」


posted at 11:22:08


「一説に、戦国期の当主井口弾正経元は祖母が浅井家から嫁しており、その容貌は浅井初代の亮政と極めて似ていたという。亮はのちに、弾正経元の嫡男経親を重用し、経元の娘阿古(阿古御料・小野殿、1527?-73)を嫡男久政の室に迎えたという。そして久政と阿古の間に生まれたのが長政である。


posted at 11:22:09


しかし、『嶋記録』には、長政の母阿古が信長の怒りによって十指を数日の間に切られ、ついには殺害されたという心痛に耐えない記録が残されている。」


posted at 11:22:09


「なお、渡岸寺観音堂(向源寺)に安置される国宝十一面観音像は、元亀元年の戦に際して土中に埋伏されて兵難を逃れ、その後これを掘り起こして一宇の坊舎を建てて奉安したのが井口弾正(経元の子?)とも伝えられている。」


スポンサーサイト



Comment


    
プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





月別アーカイブ

フリーエリア

メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


検索フォーム



ブロとも申請フォーム

QRコード
QR