【高月観音の里歴史資料館】 (常設)
◯『太閤志津ヶ嶽軍記』伊吹玄瑞著、江戸時代後期、個人蔵: 「木之本浄信寺の僧・雄山が記した『賤ヶ岳合戦記』を、弟・伊吹玄瑞が増補・改訂して版行したもの。序文によれば、雄山は、母が浅井長政の孫(長沢福田寺慶安の娘)にあたることから、
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僧籍にありながら、求めに応じて『浅井三代記』や本文を記したという」
◯芳洲会蔵「野村合戦必携 稿本」明治40年、南部晋編。
◯同蔵「江北史料図彙 浅井郡之一」明治後期、南部晋著編。 昌庵見久尼歯骨図、昌庵見久尼肖像
◯同蔵「をしえのみやび」、明治後期、南部晋著編。
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◯同蔵「稿本浅井武鑑 二編 全」 明治後期、南部晋編。 (企画展「井口の歴史と文化財」)
◯理覚院蔵「伝井口弾正肖像画」絹本・著色、安土桃山時代 「井口氏は地元の土豪で浅井氏の重臣であり、また同族関係にあったという」 ・解説:「理覚院は、近江国佐々木氏や湖北を領した浅井氏らとゆかり
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の深い、当地の土豪井口氏の菩提寺(廟所)。寺宝として、井口弾正経元の肖像の伝える威風堂々とした画幅が残され、また天正13年の銘が刻まれた供養塔が建っている。」 「井口氏は崇峻天皇皇子定世親王の後裔近江中原氏を出自と伝え、また一説には近江源氏佐々木氏の一族で東条氏と称したともいう。」
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「一説に、戦国期の当主井口弾正経元は祖母が浅井家から嫁しており、その容貌は浅井初代の亮政と極めて似ていたという。亮はのちに、弾正経元の嫡男経親を重用し、経元の娘阿古(阿古御料・小野殿、1527?-73)を嫡男久政の室に迎えたという。そして久政と阿古の間に生まれたのが長政である。
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「なお、渡岸寺観音堂(向源寺)に安置される国宝十一面観音像は、元亀元年の戦に際して土中に埋伏されて兵難を逃れ、その後これを掘り起こして一宇の坊舎を建てて奉安したのが井口弾正(経元の子?)とも伝えられている。」
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