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1601/慶長六年

慶長六(1601)年
※ []内は茶々姫の居場所

正月[大坂城本丸奥御殿]


一日
大坂城にてこの日秀頼へ諸大名による年始の礼が行われる。最初の挨拶は徳川秀忠(「江戸中納言」)が務める。上洛しない大名が例年になく多かったという。〔義演准后日記(同月五日条)〕

四日(天晴/立春)
秀頼(「秀頼様」)、豊国社へ名代として羽柴秀俊(小早川秀秋/「羽柴侍従」)を遣わし、百貫を奉幣、神人らに進物する。 茶々姫(「秀頼御母」)、金子一枚を奉納する。
またこの日、寧(「政所」)、豊国社へ参詣し、百五十を奉納する。〔舜旧記〕

九日(雨)
義演、秀頼と茶々姫(「御袋」)へ年始の進物と祈祷巻数を贈る。〔義演准后日記(同月八日条)〕

十日(大雨終日降、先日雪消)
義演、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)へ折・台物・樽を進上し、毎月の秀頼祈祷(大般若経転読)について尋ねる。〔義演准后日記〕

十三日(晴)
秀頼祈祷(大般若経転読)について大坂へ使者(久兵衛)を遣わす。〔義演准后日記〕

十四日(霽)
前田玄以より義演へ秀頼祈祷について、十五日に来坂すべき旨が伝わる。〔義演准后日記〕

十六日(晴)
大坂城にて秀頼祈祷のための大般若経転読が執り行われる。〔義演准后日記〕

十七日(霽)
秀頼(言経「大坂中納言」、義演「秀頼」)名代として池田輝政(言経「池田三郎左衛門」、義演「池田三左衛門」)上洛、参内し、太刀・馬代として銀子五十枚を献上する。〔言経卿記・義演准后日記(同日十九日条)〕

十八日(晴)
秀頼の名で八幡山に建設中の堂宇が関ヶ原合戦によって中絶の記録。〔義演准后日記〕

十九日(晴)
来る二十四、二十五日に大坂城にて秀頼・家康への新年の総礼が行われる旨の触れが出される。〔義演准后日記〕

二十三日
大坂城総礼が延期される。〔義演准后日記〕

二十四日(晴)
義演、秀頼祈祷のために京にて一人で大般若経を転読する。〔義演准后日記〕

二十六日(晴陰)
勧修寺光豊?(「勧修寺右大丞」)より、二十九日に秀頼(「大坂中納言」)へ総礼のため、大坂へ下向するよう触れが出される。〔孝亮宿禰記〕

二十九日(晴)
秀頼(義演「秀頼卿」、言経「秀頼」)、大坂城にて公家・門跡・諸大名に新年の礼を受ける。その後一部の者に対面し盃を授ける。孝亮は秀頼へ太刀を進上。〔義演准后日記・孝亮宿禰記・言経卿記〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
十八日(雨風吹)
寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

二十九日(晴)
義演、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)へ桜一枝と樽を贈り、茶阿局母の死去を聞く。〔義演准后日記〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
二日(晴)
義演、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)の母死去につき、理趣経一巻・裹帋 金銀を柳盤に乗せ、香典三百疋を贈る。ただし茶阿局方、香典遠慮につき香典を義演方へ返す。〔義演准后日記〕

三日
秀頼(「豊臣中納言秀頼」)、大坂城西の丸(「大坂城の西城」)へ赴き、徳川家康・秀忠親子(「御父子」)を迎え、申楽を催す。そののち、二の丸(「西城二丸」)へと赴き、家康・秀忠の来臨を謝す。〔徳川実紀(台徳院殿御実紀)〕

四日(晩大雨)
後陽成天皇(「当今」)、政仁親王(「女御〔近衛前子〕腹皇子 当年五歳、旧冬親王宣下」)へ譲位の意ありという。これまで秀吉(「大閤」)の意思として、中山親子(中山大納言〔親綱〕女)腹の十四歳の第一皇子良仁親王(「親王」)が東宮同然に扱われていた。しかし、「当今(後陽成天皇)の意思」として五歳の政仁親王立太子のために良仁親王を仁和寺の御室とし、既に仁和寺の御室として入寺していた良仁親王の同母弟幸勝親王を改めて梶井宮最胤の弟子として三千院に入る事態となる。〔義演准后日記〕

五日(晴)
良仁親王(「親王」)、仁和寺に入室。ただしこの日良仁親王は食事もせず、そのために入室延期となりそうになったらしい。〔義演准后日記〕

十二日(天晴)
寧(「政所」)、神官らと花見のため豊国社へ参詣すし、神官らに進物する。〔舜旧記〕

十三日(雨降)
細川忠興(「長岡越中」)より梵舜を通して東殿息女こや(「御コヤ」/大谷吉継の妹)へ菓子折が送られる。〔舜旧記〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
十六日(天晴)
八条宮智仁親王(「八条殿」)、豊国社へ参詣し、太刀折紙を奉納する。〔舜旧記〕

十七日(天晴)
大蔵卿局(「大蔵卿殿」)、この日の夕暮れに社参し、銀子二枚・鳥目十七貫を奉納する。
またこの日、寧(「政所」)、豊国社へ参詣し銀子五枚、神楽銭として銀子二枚をを奉納する。また湯立を奉納し、別当跡継ぎの慶鶴丸に大麻を贈る。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
(※この日は豊国社正遷宮の日)
秀頼(「秀頼」)、豊国社へ名代として片桐且元(「堅切市正」)を遣わし、百貫を奉納する。 また茶々姫(「秀頼御母」)の祈祷のために神楽を奉納する。
この日、勅使として広橋兼勝(「広橋中納言兼勝」)が豊国社へ社参し、束帯・太刀・折紙を奉納する。〔舜旧記〕

三日
秀頼(「秀頼」)、秀忠とともに大納言に昇進する。(「一説に廿八日につくる。」との注記あり)〔徳川実紀(台徳院殿御実紀)〕

二十八日(晴)
義演、二条昭実と共に寧(「北政所」)の再建した三井寺へ参拝する。〔義演准后日記〕

五月

[大坂城本丸奥御殿]
七日(小雨)
義演、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)へ今月の秀頼祈祷(大般若経転読)について尋ねる。〔義演准后日記〕

八日
義演、秀頼(「秀頼卿」)へ今月の祈祷巻数と蒸竹の子を、茶々姫(「御袋」)へも祈祷巻数を贈る。
家康、上洛。〔義演准后日記〕

九日(晴)
家康、京で邸宅を建設するという。〔義演准后日記〕

十日(陰)
来る十六日に今月の大般若経転読が行われる旨が伝わる。〔義演准后日記〕

十一日
家康、参内する。〔義演准后日記〕

十五日(朝雨、辰刻晴)
義演、大坂へ下り、まず大蔵卿局に会う。その後片桐且元(「片桐市正」)・小出秀政(「小出幡州」)に会い。帷を一重遣わす。〔義演准后日記〕

十六日(卯刻より雨、巳刻晴)
義演、辰刻より出仕し、大般若経を転読する。大蔵卿局より樽を多量に賜う。
義演、秀頼(「秀頼卿」)が書した豊国大明神の神号と天神の神号を賜り、その書に驚く。〔義演准后日記〕

十八日(雨降)
寧、秀吉月忌につき豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

二十三日(晴)
義演、秀頼(「秀頼卿」)へ覆盆二十籠を進上し、片桐且元(「片桐市正」)と小出秀政(「小出幡广守」)へ札を遣わす。また、醍醐寺門跡作事料についての使者として大坂へ下向中の茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女?)へも杉原を三束送る。〔義演准后日記〕

二十四日(霽)
秀頼(「秀頼卿」)の祈祷のため、明後日二十六日、金剛輪院にて大般若経を転読する旨を触れる。豊臣家、醍醐寺門跡作事料について承知の旨、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)が手紙で義演に知らせる。〔義演准后日記〕

二十六日(陰)
金剛輪院において義演を導師として十三人で秀頼(「秀頼卿」)祈祷の大般若経転読が執り行われる。
秀頼(「秀頼卿」)祈祷のため、毎月一日より三日に至るまで(三日が秀頼の誕生日のため)不動経を修する触が発せられる。〔義演准后日記〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴、朝夕立)
この月から山上山下各七座によって秀頼の誕生日祈祷が始まる。各々住房において不動経を修す。札を進上する者もあり。〔義演准后日記〕

二十八日(霽)
前日から家康(「内府」)病気平癒祈祷が禁中より命じられ、この日より翌月三日に至るまで執り行われる。〔義演准后日記〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(晴)
義演、今月の秀頼(「秀頼卿」)祈祷のため、不動経を修す。〔義演准后日記〕

七日(天晴)
大蔵卿局(「大蔵卿」)、豊国社へ参拝し祈祷のために銀子二枚を奉納する。
この日、寧(「政所」)より豊国社神官たちへ進物あり。奉行は孝蔵主(「カウ蔵主」)。
徳川家康妻(「内府家中之女中衆」)、豊国社に湯立を奉納し、家康のために祈祷立願する。〔舜旧記〕

十六日(天晴)
寧(「政所」)、豊国社神供とともに梵舜へ蓮飯を送る。〔舜旧記〕

十八日(雨風吹)
寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

八月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
義演服喪中のため、山上拝殿において秀頼(「秀頼卿」)誕生日(「正誕生日」)のための祈祷として大般若経転読が行われる。〔義演准后日記〕

四日(晴)
義演、大坂へ前日の祈祷札を進上する。〔義演准后日記〕

五日(晴)
大坂方より義演へ、杉原などを賜う。〔義演准后日記〕

十七日(天晴)
寧(「政所」)、豊国社へ参詣し、金子一枚・神楽銭十二貫(鳥目にて)を奉納する。また神官たちに進物などあり。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
秀頼、秀吉年忌につき豊国社へ小出秀政(「小出播磨守」)を遣わし、衣冠百貫を奉納する。 また秀頼の祈祷のため金子一枚にて湯立を奉納する。大蔵卿局(「大蔵卿」)、これを見物する。
勅使万里小路充房(「万里小路中納言充房」)、豊国社へ参詣し、束帯太刀折紙などを奉納する。また充房、個人的にも太刀折紙を奉納する。〔舜旧記〕

十九日(天晴)
豊国社にて申楽能が興行される。八条宮智仁親王(「八条殿」)、お忍びで観覧に来る。〔舜旧記〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
十一日(天晴)
茶々姫(「秀頼御母」)、豊国社斎場を造営する。〔舜旧記〕

十四日
義演、秀頼(「秀頼卿」)祈祷の為の札を十五枚書く。〔義演准后日記〕

札の内容
「奉 転読大般若経御武運長久所 御息災安穏 御願円満 消除不祥 増長福寿 諸人快楽 国土安全 攘災与楽 除災与楽増福延命 御息災延命 除病延命 御寿命延長 消除災難 攘災招福」

十五日(大雨)
義演、大坂へ下向し、大蔵卿局に杉原十帖・帯一包と手紙を送る。〔義演准后日記〕

十六日(晴)
大坂城にて大般若経転読が執り行われる。その後義演以下、秀頼(「秀頼卿」)と対面し盃を頂く。〔義演准后日記〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

二十一日(天晴)
寧(「政所」)、豊国社へ参詣し湯立二釜を奉納する。〔舜旧記〕
晦日 徳川秀忠女珠(「珠君」/母は江)、加賀の前田利常(「猿千代利常(後中納言)」)に嫁す。〔徳川実紀(台徳院殿御実紀)〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
二日(天晴)
茶々姫(「秀頼公御母 御年三十余」/1569年生まれだとこの年数えで三十三歳)、病のため曲直瀬道三の診察・処方(「快気湯、木香飲也」)を受ける。症状は気鬱と拒食、眩暈など。〔玄朔道三配剤録〕

六日(自朝陰)
徳川家康(「内府君」)、暇乞いのため大坂へ下向するとの知らせが有節瑞保に届く。九日に家康と面会する旨使者を送る。五日に妙心寺の焉侍者が家康と会っていた旨聞く。〔鹿苑日録〕
片桐貞隆(「片主」)、この日伏見に滞在の記録。午刻に伏見を発ち、寧(「政所様」)を詣でる旨有節瑞保に伝える。〔鹿苑日録〕

七日(自朝陰)
申刻、伏見において、徳川家康(「内府君」)諸大名(「各々大明衆」)の礼を受ける。〔鹿苑日録〕

十二日(天晴)
徳川家康(「内府家康」)、関東へ下向する。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

閏十一月

[大坂城本丸奥御殿]
十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌の豊国社参詣はなし。〔舜旧記〕

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
七日(晴時々雪)
秀頼(「大坂中納言(大納言の誤り)」)家臣太田牛一(「太田和泉守」)により関ヶ原合戦記が記され、家康(「内府」)に献上される。〔言経卿記〕

十五日(天晴/節分)
寧(「政所」)、豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌の豊国社参詣はなし。
豊国社において理趣三昧法楽が行われる。〔舜旧記〕

二十四日(陰)
大坂へ秀頼(「秀頼様」)祈祷の巻数と折を贈る。〔義演准后日記〕

二十七日(晴)
言経、勧修寺光豊(「右大弁宰相」)より秀頼(「大坂大納言」)の元日衣文奉仕のため大坂下向を仰せ付けられるが、難色を示す。翌日、高倉永孝(「藤宰相」)がこれに代わる。〔言経卿記(同日・二十八日条)〕



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