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1603/慶長八年

慶長八(1603)年
※ []内は茶々姫の居場所

この年


茶々姫(「黄門秀頼卿御母儀、浅井備前守息女」)、寂光院を再興する。(「二世」とはこの時代は子女という意味はなく、「現世と来世」のこととのこと。)
「寂光院御再興、黄門秀頼卿御母儀、浅井備前守息女為二世安楽也」〔寂光院本堂額銘〕

秀頼の名で摂津白山神社を再建する〔白山神社由緒略記〕

一月

[大坂城本丸奥御殿]
二日(天晴)
秀頼(「秀頼様」)、豊国社へ名代として小出秀政(「小出播磨守」)を遣わし奉納する。また神官たちへ進物あり。
小出秀政自身、福島正則(「福嶋左衛門大夫」)・藤堂高虎(「藤堂佐渡守」)・浅野幸長(「浅野左京大夫」)からも奉納あり。
梵舜、吉田兼見(「二位卿」)を通じて祓札上書を依頼される。
〔舜旧記〕

三日(晴)
大蔵卿局(「大蔵卿殿」)、豊国社へ参詣し奉納あり。また新たな巫女を遣わす。 更に秀頼方(「大坂」)からとして吉田兼見(「二位卿」/梵舜兄)・慶鶴丸(豊国神社社務、兼見の孫)・吉田兼治(「左兵衛督」/兼見子、慶鶴丸父)らに進物を届ける。 舜旧記
義演ら(堯演〔「松橋法印」〕・憲応「報恩院法眼」・演賀・堯政・演快・演俊・演超)、秀頼(「秀頼卿」)の誕生日祈祷につき大般若経を転読する。〔義演准后日記〕

六日(天晴)
梵舜、寧(「政所」)を訪問。寧・孝蔵主(「康蔵主」)・客人局(「御隔人」)・梅久・如潘へ進物あり。/td> 舜旧記
七日 義演、年頭の進物に井内経紹(「大蔵卿法橋」)を使者として遣わし、秀頼(「秀頼卿」)へ太刀一腰・馬代三百疋、 茶々姫(「御袋様」)へも杉原十帖・紅帯一包、また取次の大蔵卿局以下へ巻数二合を進上する。
また、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)へ樽を一荷・両種・天供団を遣わす。〔義演准后日記〕

九日(天晴)
お寧(「政所」)、豊国社へ参詣する。吉田兼見(「二位」)・慶鶴丸・梵舜らへ進物あり。慶鶴丸のために大麻(幣)も用意する。 また木下家定(「肥後殿」/お寧兄)・「おごや」からも奉納あり。〔舜旧記〕

十五日(晴)
義演、翌十六日の大坂城大般若経転読のため大坂へ下向。大蔵卿局へ文にて案内を請い、三百疋を贈る。 また取次の伊茶局(「いちや局」)へも二結を遣わす。大蔵卿局、早々の下向を喜び、また返礼として折と樽を義演に贈る。
また義演、片桐且元(「片桐市正」)・小出秀政(「小出幡州」)・片桐貞隆(「片桐修善」)へも進物する。〔義演准后日記〕

十六日(晴)
大坂城にて十五人の経衆によって大般若経転読が行われる。布施等の記録はあるものの、秀頼出座などの記録はなし。
また、この日伏見城にて公家衆による家康への総礼が行われる。〔義演准后日記(当日・翌十七日条)〕

十七日(霽)
伏見城にて門跡らにより家康への総礼が行われる。ただし、奈良の諸門(「南都門跡」)は不参。「進物ハ大閤之御時ノコトク欤」と記録。〔義演准后日記〕

十八日(陰)
大般若経衆へ二十日に秀頼(「秀頼卿」)祈祷のために大般若経を転読し、また論義を興行する旨の触が出される。〔義演准后日記〕

二十日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)祈祷のため大般若経転読が行われる。経衆は十六人。〔義演准后日記〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
十二日
徳川家康、伏見城にて征夷大将軍の宣旨を受ける。〔徳川実紀〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国神社へ参詣する。〔舜旧記〕

二十日
この日、秀頼へ年頭の総礼あり。諸公家、大坂へ下向する。〔慶長日件録(同月十九日条)〕

二十一日
文殊院勢誉(「文殊院」)、十九日に家康(「将軍」)へ礼参し、この日秀頼(「秀頼卿」)へ礼参するという。〔義演准后日記(同月二十六日条)〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(大雨)
秀頼(「秀頼卿」)誕生日祈祷として、義演を導師として仁王講が行われる。〔義演准后日記〕

六日
加藤清正、この日(『清正行状奇』では七日)熊本を発つ。大阪に着いた後、秀頼(「秀頼公」)に謁見し、利家へ参候し、そののち浅野幸長と共に家康(「家康公」)に将軍宣下を祝うために関東へ赴く。〔清正記・清正行状奇〕

十六日
義演、秀頼(「秀頼卿」)へ竹子・藤・杜若を贈る。
また茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)が病のため、巻数を遣わす。〔義演准后日記〕

十八日(雨降)
寧(「政所」)、この月は秀吉月忌の豊国社参詣はなし。〔舜旧記〕

二十一日(天晴)
徳川家康(「内府家康」)上洛し、二条城(「京新城」)に初めて入る。〔舜旧記〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
十一日(雨降)
寧(「政所」)、この日にわかに豊国社参詣・奉納あり。御内衆(女房衆?)・木下家定(「木下肥後守」)も奉納あり。〔舜旧記〕

十六日(天晴)
徳川家康(「内府家康」)、伏見城へ帰る。〔舜旧記〕

十七日(雨降)
寧(「政所」)、豊国社参詣あり。養母ふく(「七マカリ殿」/七曲殿)病平癒祈祷のため。〔舜旧記〕

十八日(雨降)
秀頼(「大坂」)、豊国社正遷宮の日(豊国社祭)につき、片桐貞隆(「片桐主膳正」)を名代としてこの日の巳刻に豊国社へ遣わす。 金子一枚・馬代百貫を奉納し、慶鶴丸に奉幣する。神楽奉納あり。 また吉田兼見(「二位卿」)・兼治(「左兵衛督」)・慶鶴丸へそれぞれ銀子五枚が貞隆を通じて贈られる。
同日午刻、勅旨大炊御門経頼(「大炊御門大納言経頼」)が束帯にて豊国社参詣・奉納あり。〔舜旧記〕

十九日(晴)
山科言経、中原師生(「大外記師生」)と秀頼の内大臣宣下について談合する。〔言経卿記〕
豊国社能が興行され、細川藤孝(「幽斎」)がこれを見物する。〔舜旧記〕

二十日
筆者、宇治への道中、伏見にて勧修寺光豊(「藤宰相」)に会う。光豊は大坂への道中で、二十二日に勅使として訪問することを聞く。筆者、これを聞いて秀頼への関白宣下の勅使だと思う。〔鹿苑日録〕

二十二日(晴)
秀頼(言経「大坂大納言秀頼卿」、実紀「豊臣大納言秀頼卿」)、正二位内大臣宣下を受ける。広橋兼勝(実紀「広橋大納言兼勝卿」)・勧修寺光豊(実紀「勧修寺宰相光豊卿」)、大坂へ下向あり。家康、江戸より青山忠成(「青山常陸介忠成」)を大坂に遣わし、これを賀す(実紀)。〔言経卿記・徳川実紀〕

五月

[大坂城本丸奥御殿]
一日
茶々姫(「内大臣秀頼公御母」)、病のため曲直瀬道三の診察・処方(「回春痞満養胃湯、術苓貴半各一匁、莎宿木実白冠霍朴各七分、甘姜棗、二十余日之後、以右剤為丸、久用之効」)を受ける。症状は気鬱と胸の苦しみと痛み、全く食事が取れず、頭痛もあるとのこと。〔玄朔道三配剤録〕
秀頼、玉祖神社を再興し、山手銭(二十三貫九百六十文)・山手米(八斗)を寄付する。これについて片桐且元(「片桐市正」)・小出秀政(「小出播磨守」)、連名で玉祖神社寺社中へ書状を送る。〔玉祖神社文書〕

二日
翌三日、秀頼(「秀頼卿」)誕生日祈祷について山上・山下に祈祷の触が出される。〔義演准后日記〕

三日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)誕生日のため、義演を導師として十四人の経衆によって(「金剛王院〔実融〕故障也」)大般若経が転読される。〔義演准后日記〕

十日(大雨)
大蔵卿局、茶々姫の末妹督(江/「江戸大納殿〔徳川秀忠〕女中」)の上洛につき、迎えるために近江へ下る。義演、大蔵卿局に樽を送る。〔義演准后日記〕

十一日(大雨)
義演、近江土山にて滞在中の大蔵卿局へ音信を遣わす。〔義演准后日記〕

十五日(晴)
義演、秀頼祈祷のために大坂へ下向。大蔵卿局は江の伏見上洛につき伏見に滞在の記録。伊茶局(「いちや」)へ曝二端・樽を進上。また小出秀政(「小出播广」)・片桐且元(「片桐市正」)・片桐貞隆(「片桐修善」)へも進物。
千、母江とともに秀頼へ輿入れのため、江戸城より伏見城へ上洛する。〔義演准后日記〕
『徳川実紀』によると、江(「大納言殿の北方(崇源院殿の御事。)」)と千(「千姫君」)は秀忠(「大納言殿」)に伴われまず青山忠成(「青山常陸介忠成」)邸へ入り、一泊した後に江戸を発ち、伏見城に付いた後、徳川家康と対面があったという。また当時江が身重であったことにも触れ、千の身を案じてまげて伏見まで同行し、婚礼の準備を調えたとされている。〔徳川実紀・(『浅井三姉妹の真実』)〕

十六日(大雨)
卯刻より大坂城にて秀頼祈祷のための大般若経が転読される。経衆十五人(堯演〔「松橋法印」・俊典・実融〔「金剛王院法印」・俊長・演照・演賀・憲応〔「報恩院法眼」〕・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・宋倩〔「宗倩」〕・演超・演眞〔「今度初、弥勒院也」〕)。
祈祷の後、義演ら経衆、秀頼(「秀頼卿」)と対面し盃を賜る。〔義演准后日記〕

六月[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「内大臣豊臣朝臣秀頼卿」)、竹生島弁才天堂を再興する(奉行は片桐且元〔「片桐東市正且元」〕)。〔近江竹生島弁才天堂棟札〕

十二日
江(「江戸大納言女中」)、義演へ返礼として単物一ツ・生帷一ツを進上する。〔義演准后日記〕

十三日(天晴)
梵舜、寧(「政所」)を見舞のため訪問し、飴粽二百折を進物する。寧、梵舜に帷を青白の二つ返礼として贈る。〔舜旧記〕

十七日(非夕立大雨)
義演、江(「江戸女中」)へ返礼として揚梅一折を、督の侍女(「局」/京殿?)へ札を遣わす。〔義演准后日記〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、この月は養母七曲殿(浅野長勝妻ふく)の服喪中につき月忌の参詣はなし。〔舜旧記〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
八日
徳川家康、大坂より孝蔵主(「孝蔵主尼」)を始めとする女房衆を二条城に招き、猿楽を催し饗応する。孝蔵主・長野局等はそのまま一泊する。この会合は千の入輿・婚礼について話し合い・接待であったという。〔徳川実紀〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、養母七曲殿(浅野長勝妻ふく)の服喪中につき月忌の参詣はなし。 福島正則(「福嶋左衛門大夫」)・加藤清正(「主計頭」)参詣する。〔舜旧記〕

二十八日(慶長:雨、舜:天晴→晩雨振)
この日、千(慶長「江戸大納言御息女」、舜「江戸大納言御娘」、実紀「千姫君」)、伏見より大坂へ船にて秀頼(慶長・実紀「内大臣秀頼公」、舜「秀頼」)に入輿する。道中は諸侯によって警護されたという(舜「路次中之警固歴々也」)。舟橋秀賢、この話を中原師生(「掃〔「部」脱か〕正」)より聞く。

『徳川実紀』に見る千の入輿の様子
千姫を守る御供の船は千艘に及び、堤の東方では西の諸大名がとりどりに警備し、西方では前田利長(「加賀中納言利長卿」)が大ぜいを引き連れて警護していた。細川忠興(「細川越中守忠興」)は備前島辺を警護し、黒田長政(「黒田甲斐守長政」)は弓鉄砲隊を三百人動員、堀尾忠氏(「堀尾信濃守忠氏」)もまた歩兵三百人を動員して警戒にあたった。入輿の日に先んじて水路を整備していたため、船は滞ることなく、大橋までたどり着いた。大坂城では大久保忠隣(「大久保相模守忠隣」)が輿を渡し、浅野行長(「浅野紀伊守幸長」)がこれを受け取った。城中には大手門より玄関まであらかじめ畳を敷き、そのうえに白綾をしいていた。片桐且元はこれを聞いて、家康は質素倹約を好み華美を嫌うのに、これはその意に背くのでは、と制したという。また、江原金全’「江原与右衛門金全」)が千の執事に命じられた。
これにより、家康による秀頼の後見は盤石のものとされ、天下泰平の雰囲気となったが、一方でこの婚礼で示された徳川の権威に、誰ひとり逆うまいという血判を捧げたという。〔慶長日件録・舜旧記・徳川実紀〕

この月
江(「大納言殿北方」)、伏見城において初(「初姫君」)を産む。督の姉初(「故京極宰相高次が後室常高院尼」)、この娘を引き取り育てて、嫡子忠高(「若狭守忠高」)に娶せる。〔徳川実紀〕

八月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)誕生日につき、十三人の経衆によって大般若経が転読される。 義演、大坂へ井内経紹(「大蔵卿」)を遣わし、秀頼へ札・馬・太刀、茶々姫(「御上様」)へ葡萄一折、大蔵卿局へ杉原十帖、伊茶局(「いちや」)へ百疋を贈る。〔義演准后日記〕

八日(雨)
秀頼と(「秀頼卿」)千の祝言について、公家衆の礼参は十二日に予定される。門跡衆の礼参は未だ日程決まらず。〔義演准后日記〕

九日(雨)
茶々姫、秀頼のために舟橋秀賢へ貞永式目仮名注の執筆を依頼し、この日出来上がる。〔慶長日件録〕

十一日(晴)
秀頼(言経「内府秀頼公」、慶長「秀頼卿」)と千の婚儀のため、公家衆(冷泉為満・山科言緒・四条隆昌・舟橋秀賢など)が大坂に赴く。〔言経卿記・慶長日件録〕

十二日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)、大坂城秀頼邸にて婚儀の祝いを受ける。始めに摂関家の礼と振舞、続いて清華家の礼と振舞。つづいて一献・太刀の進上あり。〔慶長日件録〕

十三日(晴)
舟橋秀賢、片桐且元(「片桐市正」)を訪る。且元同道で大坂城へ登り、茶々姫(「萱堂」)より依頼の貞永式目仮名抄(上下二冊)を進上する。 秀賢、茶々姫より且元を通じて帷一重・袷一・銀子五枚を拝領する。秀賢、秀頼・茶々姫へ錫酒鍋三ツを進上する。酉刻退出の後、茶々姫より改めて見事な出来を感謝する旨の返事が来り、帷一種・袷一・銀子五枚を拝領する。〔慶長日件録〕

十五日(大雨)
秀頼の婚儀につき、門跡衆(常胤〔「妙法院二品宮」〕・道澄〔「聖護院二品宮」〕・義演・最胤〔「梶井無品」〕・尊勢〔「一乗院准后」〕・良恕〔竹内無品〕・ 義尊〔実相寺【院】〕)が祝賀のために登城する。
その振る舞いにつき、義演、「大閤御所御威光未相残了、珍重/\」と記載。
義演、秀頼(「秀頼御所」)に馬・太刀・馬代三百疋、茶々姫(「御袋」)に樽代千疋、千(「姫君」)に杉原十帖・段子一巻を進上する。〔義演准后日記〕

十六日(天晴)
暮、秀頼(「秀頼様」)、有節瑞保に綾の単物、袷、帷子一つずつを贈る。〔鹿苑日録(同月十七日条)〕
八条宮智仁親王(「八条殿」)、豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

十七日(晴天)
有節瑞保、秀頼(「秀頼様」)へ昨日の謝辞を述べるために大坂城に赴く。〔鹿苑日録〕

十八日(天晴)
豊国祭。
秀頼(「秀頼」)の名代として片桐且元(「片桐市正」)が装束にて参詣、金子一枚・鳥目百貫文を馬代として奉納する。且元退出後の午後、吉田兼見(「二位卿」)兼治・慶鶴丸へ銀子五枚・帷袷を贈る。
また勅旨として中山慶親(「中山中納言慶親」)が束帯にて参詣奉納する。
寧(「政所」)は、東山阿弥陀ヶ峰の秀吉廟所(「山上之廟所」)へ参拝し、豊国社へは孝蔵主(「カウ蔵主」)を遣わし銀子十枚を奉納する。また、吉田兼見(「二位」)・兼治・慶鶴丸など神官らへ進物する。梵舜、慶鶴丸の叙爵について、西笑承兌(「兌長老」)より権少副を兼する旨を聞く。〔舜旧記〕

十九日(雨降)
豊国社にて能興行あり。〔舜旧記〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
三日
秀頼誕生日の祈祷として、義演を導師として山上・山下衆によって大般若経が転読される。〔義演准后日記〕

十五日(陰)
義演、翌十六日の秀頼祈祷のために大坂へ下向する。大蔵卿局・片桐且元(「片桐市正」)・小出秀政(「小出播广」)に音信を贈り、案内を請う。〔義演准后日記〕

十六日(雨降)
大坂城にて、秀頼祈祷のために大般若経が転読される。義演を導師として、他の経衆は「理性院法印公秀」・堯演(「松橋法印一雅」)・実融(「金剛王院法院盛融」)・俊典・俊長・演賀・憲応(「報恩院法眼憲応」)・堯政・亮済・演快・演照・宋倩・演超・演眞。
転読の後、義演ら秀頼(「秀頼卿」)に対面し、布施を賜る。またこの日、千(「江戸姫君」)からも賜物あり。義演は銀を十枚、杉原を五十帖賜る。
※ 後日〔同月二十三日参照〕義演が千にこの日の返礼を贈るが、その取次に大蔵卿局の名前が挙がっていることから、この進物は茶々姫の世話によると思われる。〔義演准后日記〕

二十三日
義演、十六日の千(「江戸姫君」)からの進物に対する返礼として柿を一折、大蔵卿局へも同じ件で柿籠を進上する。〔義演准后日記〕

二十七日(晴)
加藤清正(「主計」)の伏見屋敷が焼失する。〔義演准后日記〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)誕生日の祈祷として義演を導師として仁王講が行われる。〔義演准后日記〕
寧(「北のまん所」)、長橋局よりの女房奉書を使いの後陽成天皇乳母(「大御ちの人」)より賜り、高台院(「かうたいゐん」)の院号を朝廷より賜る。寧、直ちに返礼し、新上東門院勧修寺晴子(「女ゐんの御所」)へ白銀二十枚・とんす五巻、女御近衛前子(「女御の御かた」)へ白銀二十枚・とんす五巻、長橋局(「なかハし」)へ白銀十枚・小袖一重、天皇乳母(「大御ちの人」)へ白銀十枚・小袖一重を贈る。〔お湯殿の上の日記・高台寺文書〕

女房奉書(高台寺文書)

北のまん所殿ゐんかうの御事、かうたい院との御事、ちよつきよにておはしまし候よし、心候て申候へくそうろう、かしく、
     たれにてもの
          人々
             申給へ

六日(晴)
義演、秀頼(「大坂」)へ紅葉枝ならびに柿籠を進上する。
江(「江戸ノ女中」)、先日義演から贈られた巻数の礼として杉原を五十帖進上する。〔義演准后日記〕

九日(晴)
本願寺准如(光昭)の妻(顕尊〔佐超〕の長女)の乳母「太田」、江(「江戸大納言殿〔秀忠〕女中」)に仕えるべく伏見城へ下向する。〔言経卿記〕

二十日(晴)
大野治長(「大野修理大夫」)、義演に植木の柏・樅(もみ)の木を所望する。〔義演准后日記〕

二十五日(晴)
義演、大野治長(「大野修理大夫」)へ所望された柏木を十二本贈る。〔義演准后日記〕

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)誕生日につき祈祷の為に仁王講が行われる。〔義演准后日記〕

二十二日(晴)
義演、大坂へ「三河」を遣わし、秀頼(「秀頼卿」)へ巻数・折・絵、茶々姫(「御袋」)へ巻数、千(「姫公」)へ巻数・折・絵、大蔵卿局(「大蔵卿」)へ折・文、伊茶局(「いちや」)へ百疋、片桐且元(「片桐市正」)へ折を贈る。〔義演准后日記〕



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