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1604/慶長九年

慶長九(1604)年
※ []内は茶々姫の居場所

この年


秀頼の名で摂津呉服神社(現在の大阪府池田市)の社殿を修復する。〔(調査中)〕

一月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
豊国社元旦神事につき、寧(「政所様」)、人を遣わし、吉田兼見(「二位卿」)・慶鶴丸ら神官へ進物あり。〔舜旧記〕

三日(晴)
未刻、秀頼(「秀頼様」)の名代として小出秀政(「小出播磨守」)は装束にて豊国社へ参詣する。神前へ太刀折紙(白紙)・金子一枚を奉納する。 また吉田兼見(「二位卿」)へ小袖一綾一、兼治(「左兵衛督」・「左兵衛佐」)・慶鶴丸へ小袖二・惣神官へ百貫・神楽巫女へ杉原十帖・銀子一枚を贈る。
小出秀政自身、福島正則(「福嶋左衛門大夫」)・藤堂高虎(「藤堂佐渡守」)・浅野幸長(「浅野左京大夫」)からも奉納あり。〔舜旧記〕
秀頼の誕生日祈祷が延引される。〔義演准后日記〕

六日(天晴)
梵舜、寧(「政所」)を新年の礼に訪問し、杉原十帖・水引五十把を贈る。また錫・盃二あり。 また、客人局(「客人」)・古茶局(「おこちゃ」)・木下家定(「肥後殿」)・慶円・彦三郎・梅久局(「梅久」)へも進物など有。〔舜旧記〕

十日
淀川の堤の修繕がこの日より行われる。徳川方より板倉勝重(「板倉伊賀守勝重」)が、大坂方より片桐且元(「片桐市正且元」)がこれを監督する。〔徳川実紀〕

十五日
義演、辰刻(午前八時頃)大坂に着き、大蔵卿局へ三百疋、取次伊茶局(「いちや」)へ二百疋を贈る。 また小出秀政(「小出播州」)・片桐且元(「片桐市正」)・片桐貞隆(「同主膳」)へ各馬代三百疋・太刀を贈る。〔義演准后日記〕

十六日(晴)
大坂城にて大般若経転読が行われる。導師は義演、経衆は演俊・演超など。転読・布施の後、秀頼(「秀頼公」)と対面し、盃を賜る。〔義演准后日記〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
三日
秀頼の誕生日祈祷のため仁王講が行われる。ただし、義演は眼疾のため参加できず。
義演、醍醐寺二王門建立について昨月晦日に片桐且元(「片桐市正」)へ使者を送り伺いを立てたが、その返事がこの日来る。 曰く、二王門建立の願いは内々に申し入れられたい、とのこと。よって義演、豊臣家老女であった茶阿局(「ちゃ阿」)を通じて申し入れるべきか思案する。〔義演准后日記〕

十八日(晴)
義演、秀吉の月命日に付き豊国神社(「豊国大明神」)へ参拝・奉幣し、理趣経を講じる。また秀頼(「秀頼卿」)へ桜枝を進上する。〔義演准后日記〕

二十九日
大蔵卿局、義演へ来月十一日に大坂城にて大般若経を真読する旨を伝える。義演、経衆を二日に渡り各二十五人、計五十人を召す由返答する。〔義演准后日記〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(晴)
義演、大蔵卿局へ十一日の大坂城大般若経真読について文を遣わす。〔義演准后日記〕

四日
義演、東寺へ十一日の大坂城大般若経真読の参勤を触れる。光明院堯瑜・宝厳院空盛・宝菩提院禅源・金勝院宗深・実相寺恵純の五人が参勤するという。〔義演准后日記〕

六日(晴)
山科言経、秀頼(「大坂秀頼公」)家臣白江善左衛門尉に快気散・愛洲薬を遣わす。〔言経卿記〕

十日(丑刻降雨)
義演、この日大坂へ着き、茶々姫(「御袋様」)へ樽代千疋、大蔵卿局へ五百疋、伊茶局(「いちや」)へ三百疋を贈る。即日、返礼として茶々姫(「御袋」)より三荷・三種、大蔵卿局より同樽が届く。また、片桐且元(「片桐市正」)・片桐貞隆(「同名主膳」)・織田長益(「有楽」)へも進物する。〔義演准后日記〕

十一日(屬晴)
大坂城にて大般若経真読が行われる。経衆は「菩提山僧正」・理性院公秀・松橋堯演・ 俊典・光明院堯瑜・宝厳院空盛・西林院慶順・俊長・演賀・宝菩提院禅源・報恩院憲応・堯政・金剛王院実融・源朝・亮済・石山世尊院景祐・演快・演俊・澄然・宋倩・演超・山田長運(「宰相」/空盛弟子)・右衛門督・実相寺恵純・金勝院宗深の二十五人。
この日の夕刻秀頼に対面し、盃を賜る。〔義演准后日記〕

十二日(晴)
大坂城大般若経真読二日目。後半の十巻が真読される。転読の後、加持祈祷を行う。
この日も祈祷の後秀頼(「秀頼」)の出座あり、倍膳の大名衆の集う中で対面を許され、盃を賜る。
二日にわたる真読に大量の布施が贈られ、義演は「過分ノ布施也」と記載する。〔義演准后日記〕

二十四日(晴)
秀頼(「秀頼卿」/実際は茶々姫か)、舟橋秀賢に職原抄外題の執筆を依頼する。〔慶長日件録〕

二十七日
義演、秀頼(「秀頼卿」)へ真読布施の返礼として匂袋二十袋を進上。また大蔵卿局へも五袋、取次(伊茶局ヵ)に三袋、片桐且元(「片桐市正」)へ五袋、片桐貞隆(「同主膳」)へ五袋を贈る。 今回初めて山田長運(「宰相」)を使者とする。〔義演准后日記〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
この月(十八日?)
丹後国の大名・京極高知(「羽柴修理大夫」、「高知」/茶々姫の従弟)、豊国神社へ石灯篭を寄進する。〔豊国神社石燈籠銘〕

三日(晴)
秀頼誕生日に付き、大般若経が転読される。経衆は理性院公秀・演賀・亮済・演快・堯政・演俊・演超。〔義演准后日記〕

五日(晴)
義演、先月の大坂城大般若経真読につき持ち出した大般若経六十合を報恩院経蔵へ返納する。〔義演准后日記〕
細川忠興(「長岡宰相」)・京極高次(「京極宰相」)・池田輝政(「池田三左衛門尉」)・福島正則(「福嶋左衛門大夫」)ら上方大名・及び公家衆、伏見の家康(「大樹」)へ賀礼へ参ずる。〔言経卿記〕

六日(晴)
秀頼(「大坂内府」)、片桐且元(「片桐市正」)を伏見に遣わし、家康(「大樹」)へ金子十枚などを贈る。またこの日、織田信包(「織田上野介入道」)も伏見へ礼参する。〔言経卿記〕

九日(微雨、陰晴)
舟橋秀賢、この日、秀頼(「秀頼」/実際は茶々姫か)より執筆を依頼された三略(中国の兵法書。)に表紙を附す。〔慶長日件録〕

十四日(晴)
舟橋秀賢、秀頼(「秀頼様」)へ参礼のため、高尾僧正性院・木食応其とともに大坂へ赴く。平野長治(「平野己雲斎」)邸に滞在する。〔慶長日件録〕

十五日(晴)
舟橋秀賢、片桐且元(「片桐市正」)を訪れ、秀頼(「秀頼卿」)への謁見を申し入れる。且元曰く、明日対面ありとのこと。〔慶長日件録〕

十六日(晴)
舟橋秀賢、片桐且元(「片桐市正」・「片市正」・「市正」)に伴われ登城し、秀頼(「秀頼様」)に対面する。秀賢、秀頼より手ずから熨斗鮑を賜る。また秀賢、秀頼に太刀一腰・三略を進上する。秀頼、喜んですぐに披見し、秀賢をねぎらう。秀賢、続いて茶々姫(「秀頼様御母堂様」)へ杉原一束・箔ノ帯二筋裁・を帯一筋の上に置いて進上する。また千(「秀頼様政所様 此時御姫様称之」)へ錫五封を贈る。
また、高尾僧正性院もこの日秀頼に礼参するという。〔慶長日件録〕

二十二日(陰、夜雨)
秀頼(「秀頼公」)、言経へ短冊を十枚遣わし、古歌の書写を依頼する。〔言経卿記〕

二十三日(晴)
言経、秀頼(「秀頼公」)の依頼に古今和歌集より十歌を認め、伏見の片桐且元(「片桐市正」)を通して献上する。〔言経卿記〕

年の内に春は来にけり一とせを 去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ /在原元方
見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける /素性法師
夏の夜のふすかとすれば郭公 鳴く一声(ひとこゑ)に明くる東雲(しののめ) /紀貫之
我が背子が衣の裾を吹返し うらめつらしき秋の初風 /読人不知
白雲に羽撃ち交はし飛ぶ雁の 数さへ見ゆる秋の夜の月 /読人不知
朝ぼらけ 有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪 /坂上是則
亀の尾の山の岩根をとめて落つる瀧の白玉 千世の数かも /紀惟岳
見ずもあらず 見もせぬ人の 恋しくは あやなく今日や ながめ暮らさむ /在原業平
月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして/在原業平
風吹けば沖つ白浪たつた山 夜半にや君がひとりこゆらむ /読人不知

五月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
秀頼誕生日に付き、大般若経を転読する。義演を導師として、経衆は理性院公秀・松橋堯演など十五人。
その後、井内経紹(「大蔵卿」)を使者として祈念札及び蒸竹子を秀頼(「大坂」)へ贈る。〔義演准后日記(当日・翌四日条)〕

十五日(寅刻雨降)
義演、巳刻大坂に着き、大蔵卿局へ文を送り案内を請う。また、大蔵卿局へ樽代三百疋を贈る。 取次の伊茶局(「いちや方」)へも二百疋を遣わす。すぐに返礼として樽が贈られ、いつものように早朝から祈祷を始めたいとの返答あり。〔義演准后日記〕

十六日(屬晴)
大坂城にて大般若経転読が行われる。義演を導師とし、経衆は理性院公秀・松橋堯演・金剛王院実融・俊典・演照・演賀・報恩院憲応・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・澄然・宋倩・演超。転読の後、加持祈祷を行う。
その後布施を賜る。秀頼よりは義演に導師分として銀二十枚・綾ノ単物三ツ、千(「姫君」)よりは導師分として帷単物以下三ツ、経衆分として銀二枚ずつなど。
その後秀頼と対面があり、それぞれ盃を賜る。まず義演が秀頼より盃を賜り、続いて義演より秀頼(「秀頼卿」)へ返盃する。〔義演准后日記〕

二十八日(雨降)
大蔵卿局・三位局が上臈たちへ書状を認め、来月三日に九条忠栄(「九条殿」)と完子の婚礼の祝言が行われるためその出席を上臈たちに請う。 慶長日件録
義演、「九条殿」(九条兼孝)の息子忠栄と茶々姫の養女(後の完子)の婚礼祝儀が来月三日に行われる知らせを聞く。〔義演准后日記〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(雨)
舟橋秀賢、九条亭を訪れる。九条家、完子(「岐阜之小吉息女」)を迎える準備で大童の様子。〔慶長日件録〕

二日
大徳寺にて織田信長の二十三回忌法要が行われる。施主は茶々姫(「大日本国摂州居住奉三宝弟子豊氏大夫人」)。〔半泥稿〕

三日(晴)
この日の夜、茶々姫(慶長「秀頼卿母堂」)、養女の完子(慶長「三好小吉息女」・時慶「岐阜中納言」/羽柴小吉秀勝と江の娘)のため、九条忠栄(義演「九条御方御所」、慶長「九条殿中納言」/後の幸家)への輿入れを世話する。 その世話は路地行粧撫物に至るまで細部に及び、それらは人々の目を驚かすほどの立派さだったという。

『慶長日件録』の完子に関する記載
「其身三好小吉息女也、小吉死後、秀頼卿母堂為猶子養育也、今度秀頼卿母堂、悉皆御造作也、」
「岐阜中納言ノ女中、引違テノ儀ト也」〔時〕
阿古(准如妻/顕尊〔佐超〕長女)・准如娘・西御方(顕尊後室冷泉為益女。誠仁親王元典侍)・万(「御姫御方」/顕尊〔佐超〕次女)・准尊(顕尊跡継)・古満(准尊妻。宍戸元秀女で毛利輝元養女。始め小早川秀秋の妻)ら、この輿入れを見物する。〔言〕
〔慶長日件録・言経卿記・義演准后日記・時慶記〕
秀頼誕生日に付き、大般若経が転読される。経衆は九人。〔義演准后日記〕

四日
この日の夜、「姫君ノ乳母人」が自害する。時慶、「前代未聞」と驚愕し非難する。〔時慶記(同月十三日条)〕
義演、完子(「九条殿御内儀」/※ 史料纂集版では兼孝妻・高倉熙子と解釈するも如何)より婚礼祝儀の返礼として銀子三十枚・生帷三重を賜る。 義演、使いの侍に帷を一重遣わす。〔義演准后日記〕

五日(晴)
義演、婚礼の祝儀として九条忠栄(「九条殿」/※ 史料纂集版では九条兼孝と解釈)へ晒布百端・杉原二百帖・樽五荷・肴五種を進上する。 また「同局」へ杉原五十帖を送る。大坂へは大蔵卿局へ晒十端・樽三荷・肴三種、伊茶局(「同いちや」)へ晒五端・伊茶の息子(「同子」)矢野五左衛門(「五左衛門」)へ晒三端、「江戸ノ局」へ樽三荷・肴三種を送る。〔義演准后日記〕

六日(晴)
義演、婚礼の祝儀に九条亭へ赴き、九条忠栄(「御方御所」)へ太刀折帋・馬代三百疋、九条兼孝(「大御所」)へ樽三荷・肴三種を進上し、三献を賜る。二条昭実(「二条殿」)・鷹司信尚(「鷹司御方」)・随心院増孝も同道。〔義演准后日記〕

七日(晴)
舟橋秀賢、九条亭へ婚礼の祝いに訪れる。九条忠栄の父兼孝(「関白様」)に樽を二荷・肴三種(くま引五・昆布三束・するめ十寸)、忠栄(「殿中納言殿」)へ樽三荷・肴三種(昆布五束・くま引十枚・するめ十寸)、完子姫(「同御簾中」)へ樽三荷・肴三種(昆布五束・鯛二十枚・するめ十寸)を贈る。
返礼として秀賢、忠栄(「中納言殿」)より帷一ツ、完子(「御簾中」)より帷二ツを賜る。〔慶長日件録〕

八日(晴)
舟橋国賢(「家君」)、九条亭へ婚礼の祝いに訪れ、九条忠栄(「御方御所」)と対面する。〔慶長日件録〕

九日(晴)
大蔵卿局(「秀頼公御母堂之乳母大蔵卿」)、完子婚礼整えるべく、舟橋秀賢の隣屋敷に滞在の記録。
この日、舟橋秀賢夫人(「女房衆」)、が隣家の大蔵卿局に見舞い、杉原十帖・一包(糒袋ヵ?)を贈る。その午後に大蔵卿局、秀賢夫人へ返礼として十帖(杉原ヵ)と一巻(単物ヵ)を贈る。
その夜、秀賢夫人、完子(「九条殿若御上様」)を訪れ、樽三荷・肴三種を進上する。〔慶長日件録〕

十日
徳川家康(義演「将軍」、慶長「大樹」)、近日参内のため(「当年初」)伏見城より二条城へ上洛。〔義演准后日記、慶長日件録〕

十一日(晴)
この日の朝、九条忠栄(「九条殿、殿中納言殿」)、服部忠兵衛を使者に遣わし、婚礼祝の返礼として秀賢夫妻に唐島単衣一・帷子二ツを贈る。〔慶長日件録〕

十八日
大田美作守(「美濃守」の誤?/梶原政景?)・伊藤長親(「伊藤石見守長親」)、豊国神社へ石灯篭を寄進する。〔豊国神社石燈籠銘〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
二日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)、片桐貞隆(「片桐主膳」)を奉行として比叡山横山中堂を造営するにより、義演「三河」を見舞に遣わす。〔義演准后日記(同月九日条)〕

三日
秀頼誕生日につき、義演を導師として仁王講が行われる。〔義演准后日記〕

九日
秀頼(「秀頼卿」)、片桐貞隆(「片桐主膳」)を奉行として比叡山横山中堂を造営するにより、義演「三河」を見舞に遣わす。〔義演准后日記〕

十七日
徳川秀忠の子(後の徳川家光/「若君」、「大猷院殿」)が生まれる。母は江(「右大将殿の北方」)。男児誕生に上下歓喜するという。稲葉正成(「稲葉内匠正成」)妻福が乳母に任じられる(後の春日局)。〔徳川実紀〕

二十一日
江戸より安藤正次(「安藤次右衛門正次」)が伏見の徳川家康へ遣いし、後の家光誕生を報告する。家康大いに喜んで、男児を竹千代(「竹千代君」)と命名する。同じく伏見にいた秀忠の同母弟忠吉は清州城へ帰り、異母兄秀康は伏見邸にて大名を招き猿楽を催す。〔徳川実紀〕

二十四日 茶々姫(「大さか」)、慶光院より大坂へ訪問したてい首座に慶光院四世周陽上人に宛てた手紙を預ける。内容は、宇治橋の架け替えに関するものdr、自分の体調不良により作業が遅くなった不手際があったことを詫び、稲葉道通(「いなは蔵人」)・古田重勝(「ふるたひやうふ(古田兵部)」)を作事奉行とし、客殿は稲葉道通に、庫裏と弁才天の塔は古田に担当させること、現地でこの文を二人に見せ念入りに作業させること、大坂においても慶光院の宿を建てさせるようにそれぞれ片桐且元(「いちのかミ(市正)」)に命じたと報告してる。また、秀頼(「秀頼」)の息災を伝え、慶光院の祈祷のおかげであると謝している。

二十六日
茶々姫(福田説「よ(ど)」、桑田説「あ(こ)」)、慶光院に上臈三位局を遣わし、周陽上人に宛てた手紙を預ける。内容は、宇治橋の架け替えに関して秀頼(「秀頼」)の発願として行うこと、奉行を片桐且元から命じること、架け替えは遷宮より前にできるよう命じたこと、詳細は三位局より伝えることをつつぇている。またこの手紙で、自身(「ここほど」)と秀頼の息災を伝え、家光(「わもじ」:若君の意)誕生を喜んでいる。

八月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
(十八日?)寺沢広高(「寺沢志摩守」)、豊国神社へ石灯篭を寄進する。〔豊国神社石燈籠銘〕

二日(早天雨降)
寧(「政所」)、豊国社へ参詣あり。湯釜二十七釜を奉納する。 内訳は、一番が寧で五釜、二番が龍(「松丸殿」)で五釜、三番が「備前様」(豪?)で三釜、万里小路内義(摩阿)が三釜・木下家定(「木下法印」)が一釜・長慶院(寧の姉、医師三雪〔三雲とも〕の妻、「くま」とも)が一釜、「中納言殿」が二釜、「奥殿」が一釜、客人局(「客人」)が一釜、「松女房衆」(龍侍女?)が三釜、「中納言殿局」が二釜。湯釜奉納ののち金子一枚奉納、また吉田兼見(「二位卿」)・慶鶴丸・兼治(「左兵衛佐」)・梵舜(「神龍院」)そのほか神官・巫女らに進物あり。〔舜旧記〕

三日(大雨)
秀頼(「秀頼卿」)正誕生日につき、義演を導師として大般若経が転読される。経衆は山上・山下・良家衆十五人。〔義演准后日記〕

四日(雨)
義演、山田長運(「宰相」)を使者として、秀頼(「大坂」)へ大般若札・糒袋五十を進上(昨日は大雨により延期していたという注記あり)。〔義演准后日記〕
梵舜、豊国社臨時祭について伏見城(「伏見御城」)を訪問する。 徳川家康は日取りについて十三日にすべき由を伝える。 板倉勝重(「板倉伊州」)・片桐且元(「片桐市正」)・梵舜の三人で奥の間にて談合を重ねる。〔舜旧記〕

七日(天晴)
豊国社臨時祭準備のため、板倉勝重(「板倉伊州」)・片桐且元(「片桐市正」)が豊国社に来る。神供所・兼見(「二位殿」)宅で振舞あり。〔舜旧記〕

八日
豊国社臨時祭のための衣装が梵舜に届く。〔舜旧記〕

十日(天晴)
豊国社臨時祭のための榊が用意される。また、梵舜が伏見城に赴き、板倉勝重(「板倉伊賀守」)・片桐且元(「片桐市正殿」)とともに楽人について相談する。〔舜旧記〕

十一日(雨降)
豊国社臨時祭のため、片桐且元が豊国社を訪れ、上賀茂騎馬装束百人前・内楽人十五人の衣装が用意される。〔舜旧記〕

十三日(降雨)
豊国社臨時祭、雨により延期となる。〔舜旧記、義演准后日記〕

十四日(屬晴)
秀吉の七回忌にあたり、洛中で豊国社臨時祭が盛大に催される。奉行は片桐且元(「片桐市正且元」)。 臨時祭につき、秀頼(「大坂」)は能一座に二百貫ずつ、計八百貫を遣わす。
臨時祭は目を驚かすほどの行粧美麗で、見物人が貴賎問わず群集したという。〔舜旧記、義演准后日記、言経卿記〕

『舜旧記』に記された臨時祭の様子
臨時之御祭、一番御幣左立、御榊メツキ高七尺、葉六百枚、右立、同狩衣指貫ニテ是ヲ両人シテ左右持、次供衆百人浄衣風折、二番騎馬二百騎、豊国之神官六十二人、吉田神人三十八人、合百騎、上賀茂神官八十五人、楽人十五人、合百騎、都合二百騎、建仁寺門前ヨリ二行立、馬乗也、豊国大鳥居ヨリ清閑寺之大路ヲ西ヘ出、照高院殿(道澄)前ニ而乗下也、 三番田楽三十人、四番申楽四座、新儀能一番ツヽ、金春橘、観世武王、宝生太子、金剛□、次能二番過ニ大坂ヨリ八百貫被下也、一座ニ百官〔貫〕ツヽ、被下也、此儀式豊国大門ニテ執行、次二位兼見(吉田兼見)・慶鶴丸・左兵衛佐(吉田兼治)出頭也、

十五日(屬晴)
豊国社臨時祭二日目。京の人々豊国踊りに狂うという。 この日方広寺にて施行あり。この日の為に新たに作られた四座の能が催される。
また、この日寧(「北政所 明神ノ御妻也」)も楼門の北方にある桟敷にて見物。
義演、臨時祭興行を祝い、秀頼(「大坂」)へ葡萄一折を進上する。〔舜旧記、義演准后日記、言経卿記〕

十六日(天晴)
梵舜、豊国社臨時祭の奉行片桐且元(「片桐市正」)とともに伏見城へ赴き徳川家康(「将軍家康」)へ豊国社臨時祭に報告する。また梵舜、板倉勝重(「板倉伊州」)・片桐且元の両人へも礼参する。
後陽成天皇(「禁裏」)、烏丸光広(「烏丸弁」)を勅旨として遣わし、豊国社へ神楽を奉納する(役者:藪藤園・持明院)。〔舜旧記〕

十七日
義演、眼を患う中、秀吉七周忌法楽のための結縁灌頂記を書く。〔義演准后日記〕

十八日(晴)
秀吉七周忌につき豊国大明神法楽が行われる。 秀頼、名代として片桐貞隆(「片桐主膳」)を遣わし、金子一枚・馬代百二十貫文・太刀折紙を奉納する。拝殿において理趣三昧が行われ、演賀が供養法・演俊が讃・演光が調声を担当する。義演も出座し、良家衆も出仕する。公卿・諸大名(福島正則〔「福嶋左衛門大夫」〕・織田長益〔「有楽」〕・加藤清正〔「加藤肥後守」〕・浅野長政〔「浅野弾正」〕・京極高知〔「京極修理」・京極高次〔「同宰相」〕・浅野幸長〔「浅野(紀)伊守」〕・「鍋島」〔直茂?勝茂?〕など)も参詣する。〔舜旧記、義演准后日記〕
大野治長(「大野修理大夫 治長」)、豊国神社へ石灯篭を寄進する。〔豊国神社石燈籠銘〕

十九日(天晴)
豊国社申楽能が延引される。〔舜旧記〕

二十日(天晴)
秀頼(「大坂秀頼公」)へ臨時祭御礼につき、吉田兼従(慶鶴丸/「権少副」)・梵舜、大坂城へ赴く。秀頼に対し、兼従は太刀折紙・三百疋、梵舜は太刀折紙・馬代三百疋を進上する。 また梵舜、茶々姫(「秀頼公御母義」)・千(「御姫様」)へ杉原十帖・扇三本、大蔵卿局(「大蔵卿殿」)へ足袋三足、宮内卿局(「宮内卿殿」)・二位局(「二位殿」)へ足袋二足、三位局(「三位殿」)へ百疋、「両人女房衆」へ二百疋、片桐且元へ単物一つを贈る。〔舜旧記〕

二十一日(天晴)
吉田兼従・梵舜、秀頼(「秀頼公」)へ礼参する。〔舜旧記〕

二十九日
江戸城築城のために大石運搬の銘が諸大名に下される。片桐且元(「片桐市正且元」)・古田重勝(「古田兵部少輔重勝」)らもこれに従事する。〔徳川実紀〕

閏八月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
秀頼誕生日に付き、義演を導師とし、五人の経衆によって仁王講が行われる。〔義演准后日記〕

二十二日
秀頼(「秀頼卿」)、建設中の大坂城二階に千畳敷の部屋にこの日移徙する。〔義演准后日記〕

二十五日
大坂城二階に千畳敷の部屋が完成する。
義演、完子(「九条殿内儀」/※ 史料纂集版では兼孝妻・高倉熙子と解釈するも如何)へ木練一折を進上する。〔義演准后日記〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
三日
秀頼(「秀頼卿」)誕生日に付き、義演を導師とし、良家以下十四人の経衆によって大般若経が転読される。 義演、その晩に井内経紹(「大蔵卿」)を遣わし、秀頼(「大坂」)・千(「姫君」)へ各札・木練一折を送る。〔義演准后日記〕

五日(晴)
井内経紹(「大蔵卿」)が大坂より帰り、来る十六日に大坂城にて祈祷が行われる旨を義演に伝える。〔義演准后日記〕
梵舜、大坂へ下向し片桐且元(「片桐市正」)へ「御倉之礎」について申し入れ、受諾される。〔舜旧記〕

六日(雨降)
片桐且元、梵舜へへ木綿五十を贈り、朝食を振舞。また灯篭以下のことについて相談する。〔舜旧記〕

十二日(時雨)
義演、秀頼祈祷のために紙札を二百枚書す(翌十三日に札の内容あり)。〔義演准后日記〕

十五日(晴)
義演、この日大坂へ到着し、片桐且元へ杉原三束を送り案内を請う。
茶々姫(「御袋」)へ杉原五束・かいき一反、千(「姫君」)へ杉原五束、大蔵卿局(「大蔵卿」)へ杉原三束、伊茶局(「いちや」)へ二百疋を贈る。
また片桐貞隆(「片桐主膳」)へ諸白樽一荷・柿一折、織田長益(「有楽」)へ柿一折、矢野五左衛門(伊茶局の息子)へ諸白樽一荷、 茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女。このとき大坂にいたらしい)へ杉原二束を贈る。〔義演准后日記〕

十六日(晴)
大坂城にて大般若経転読が行われる。 経衆は理性院公秀・松橋堯演・俊典・俊長・演照・報恩院憲応・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・澄然・宋倩・演眞。 今回は演超(「式部」)・金剛王院実融は不参との記。
義演、布施として秀頼よりは銀子二十枚・小袖一重、千(「姫君」)より小袖一重・鵝眼三十疋・八木二石を賜る。〔義演准后日記〕

十八日(晴)
秀頼(「大坂」/秀頼名義だが茶々姫の意思か)、養姉完子の嫁ぎ先である九条家屋敷を新造する。義演、それに伴い自らの居間(「易間」)を九条家へ貸すことがこの日決められる。〔義演准后日記〕
九条邸にて、僧正拝任御礼に参内した本願寺光昭(准如)の振舞有。舟橋秀賢も参加。 光昭帰寺後も宴会は続き、完子の女房(「九条大納言殿御簾中御局」)らも顔を出す。秀賢ら、大いに酔い正体をなくす。〔慶長日件録〕
寧(「政所」)、秀吉月忌につき豊国社へ参詣、銀子三枚を奉納する。〔舜旧記〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「秀頼卿」)の名で吉野山安禅寺蔵王堂が再建される。〔『西国三十三所図会』、(金峯山古今雑記)〕

三日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)誕生日に付き、義演を導師とし仁王講が行われる。経衆は演照・演賀・堯政・演快・演俊。〔義演准后日記〕

五日(晴)
山科言経、江(「江戸大将〔秀忠〕御女中」)の内々の要請に答え、江とその侍女「京殿」・「太田」(准如妻阿古の乳母)へ愛洲薬・茶調散・快気散などを献上する。(この記事で江の在京が分かる)〔言経卿記〕

十二日(雨)
秀頼(「秀頼卿」、ただし後日「卿」が「公」に訂正されている※)の名で東寺南大門が立柱される。
※ 「卿」は三位以上・参議以上大納言以下の敬称。「公」は大臣以上の敬称。秀頼は前年四月十二日に内大臣宣下を受けているため。〔義演准后日記(同月十三日条)〕
完子(「九条殿御内儀」/※ 史料纂集版では兼孝妻・高倉熙子と解釈するも如何)、義演に樽三荷・外飯(「居ヵ」)一荷を贈る。〔義演准后日記〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌の豊国社参詣はなし。「三位女房衆」(三位局?)豊国社を参詣する。〔舜旧記〕

二十九日
この日の夜、舟橋秀賢、新築の九条亭を見物に訪れ、その綺麗に驚く。客殿・台所・小台所・風呂・女房局など数十に渡る部屋数を記録する。〔慶長日件録〕

十一月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「豊富 朝臣 秀頼卿」)、蔵王堂建立につき擬宝珠を奉納する(奉行は建部寿徳〔「建部 内匠 頭光重」〕、大工は三条国次〔「三条 藤原朝臣 宗兵衛尉 国次」〕)。〔大和蔵王堂匂欄擬宝珠銘〕

五日(晴)
舟橋秀賢、完子の女房(「九条大納言御簾中ノ御局」)を夕食に招き、また板物を一端贈る。〔慶長日件録〕

八日(晴)
八条宮智仁親王妃(「八條宮御簾中」/九条兼孝女〔「九条関白御息女」〕)、昨月二十四日より患った末にこの日の暁死去。享年二十二歳。「眼口耳下■以外下血云々、中毒歟如何」との記載あり。〔慶長日件録〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌の豊国社参詣はなし。〔舜旧記〕

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
秀頼(「秀頼卿」)誕生日に付き、義演を導師とし九人の経衆によって大般若経が転読される。
義演、その後札を秀頼(「大坂」)のもとへ送り、醍醐寺二王門建立の儀について訴える。〔義演准后日記〕

十八日(晴)
義演、秀吉月忌につき神供する。 この日の日記に秀頼の宿星について記載あり。曰く、「秀頼公御星、金曜星一体 御十三歳、開眼供養了、」(秀頼公の記載の右に「× 卿」と補記※)。
※ 「卿」は三位以上・参議以上大納言以下の敬称。「公」は大臣以上の敬称。秀頼は前年四月十二日に内大臣宣下を受けているため。〔言経卿記〕

十九日(立春)
義演、秀頼(「大坂」)へ節分祈念の巻数を送り、千(「姫君」)より銀子を二枚賜る(返礼ヵ)。〔義演准后日記〕
寧(「政所」)、豊国社へ参詣し、銀子十二貫分を奉納する。寧御内衆は神楽銭十二貫を奉納する。 また寧、吉田兼見(「二位」)・慶鶴丸・祝・祢宣・巫女・下神人らに進物する。〔舜旧記〕

二十七日(晴)
舟橋秀賢、九条忠栄(「九条大納言殿」)へ年筮・筆二封、完子(「同女房衆」)へも筆二封を贈る。〔慶長日件録〕



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