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1605/慶長十年

慶長十(1605)年
※ []内は茶々姫の居場所

この年


秀頼、金戒光明寺阿弥陀堂を再建する。〔(史料綜覧)〕
「秀頼 巳御年、御十三、八月三日御誕生」の記載あり。〔義演准后日記〕

正月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「内大臣豊臣朝臣秀頼公」)、河内金剛寺水分神社再興につき、社殿擬宝珠を寄進する(奉行は片桐且元〔片桐東市正〕)。〔河内金剛寺水分大明神社擬宝珠銘〕

一日(天快晴)
秀頼(「秀頼公」)、大坂城にて越年。諸大名各々国許にて越年。義演、「新年の礼に及ばず」の沙汰ありかとの推測。〔義演准后日記〕

三日(天晴)
茶々姫(「御袋様」)、豊国社へ大蔵卿局(「大蔵卿殿」)を遣わし、金子一枚を奉納し、巫女八人に一人当たり杉原十帖・銀子一枚を贈る。 続いて大蔵卿局、神官たち(「祝十人」)に鳥目一貫ずつを贈る。
寧(「政所」)、豊国社を参詣し、湯立一釜・銀子五枚などを奉納。また吉田兼見(「兼見」)・慶鶴丸・兼治(「左兵衛督」)ら神官・巫女たちに進物。〔舜旧記〕

五日(大雪)
秀頼、豊国社へ名代として片桐且元を遣わし、百二十貫を奉納する。また神楽衆に百貫(一人当たり五百文)を贈る。 舜旧記
梵舜、寧(「政所様」)・その女房衆ら(孝蔵主〔「カウ蔵主」〕・客人局〔「客人」〕・「ヲ茶御方」へ進物。そのほか諸武家公家へも進物あり。
義演ら、秀頼(「秀頼公」)のために大般若経を転読する。導師は義演、経衆は理性院公秀・松橋堯演・俊典・俊長・演照・演賀・報恩院憲応・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・澄然・宋倩・演超・演眞の十六人。〔義演准后日記〕

七日(晴)
義演、大坂へ井内経紹(「大蔵卿法橋」)を遣わし、年賀の進物として秀頼(「秀頼公」)に馬代三百疋折帋・太刀一腰、茶々姫(「御上様」)へ杉原(「杦原」)二十帖・帯一包・大般若経転読の札、千(「姫君」)へ杉原(「杦原」)二十帖・帯一包・巻数、大蔵卿局へ帯一包、伊茶局(「いちや」)へ帯一包、片桐且元(「片桐市正」)へ杉原(「杦原」)三十帖を贈る。〔義演准后日記〕

十日(屬晴)
義演、昨年冬に新造された(秀頼〔「秀頼公」〕の命による新造と記録。)九条亭(「九条殿亭」)を初めて訪れる。座敷内外に惜しみなく金を使われた豪華さやその広大さに驚愕する。〔義演准后日記〕

十二日(天晴)
梵舜、前日に大坂へ下り、この日の午刻に秀頼(「内府秀頼公」)と対面する。 秀頼へ(杉原)十帖・扇子一本、茶々姫(「御袋様」)・大蔵卿局(「大蔵卿殿」)へ十帖・水引二十把・取次を務めた片桐貞隆(「片桐主膳正」)を進上する。 対面の後、盃事あり。秀頼方より返礼として十帖・一巻を拝領する。〔舜旧記〕

十五日(天快晴)
義演、大坂へ下向し秀頼(「秀頼様」)へ杉原(「杦原」)五束・「トンス」一巻(「但是ハ十六日御祈祷已後披露也」の注記あり)、茶々姫(「御袋様」)へ杉原(「杦原」)五束・金扇五本、千(「姫君様」)へ香呂盆蒔檜、大蔵卿局へ杉原(「杦原」)三十帖、刑部卿局?(「姫君ノ御局」)へ杉原(「杦原」)二十帖、伊茶局(「いちや局」)へ鵝眼二百疋、片桐且元(「執事片桐市正」)へ樽二荷・折一合、片桐貞隆(「同主膳」)へ樽二荷・折一合を贈る。
明日の祈祷のために城へ遣わした井内経紹(「大蔵卿法橋」)・「宰相寺主」に各々返礼あり。〔義演准后日記〕

十六日
大坂城にて巳刻より大般若経が転読される。 導師は義演。経衆は理性院公秀・松橋堯演・俊典・俊長・宗俊(「東寺宝輪院初参」)・演照・演賀・報恩院憲応(「水本法眼」)・堯政・亮済・演快・演俊・宋倩(「兵部卿」)・演超・演眞。転読の後、加持祈祷が行われる。布施として導師義演へ秀頼より銀子二十枚・綾小袖一重、千(「姫君」)より綾小袖一重、経衆には銀子三十四枚が贈られる。 また、祈祷料として三貫、人夫料として二石が義演らに贈られる。〔義演准后日記〕

十八日(晴)
義演、秀吉月忌につき神供する。〔義演准后日記〕

十九日(天晴)
梵舜、伏見にて徳川家康(「伏見将軍」)へ年頭の挨拶に赴く。〔舜旧記〕

二十一日
義演、明日より秀頼(「秀頼公」)の息災祈願のため単独で大般若経を転読するため、大坂城へ撫物を取りに使者を使わす。その使者の知らせで、義演は大坂城にて千(「姫君」)が疱瘡を煩っていることを知り、三河寺忠為(「三河」)を遣わし、祈祷巻数と守を贈る。〔義演准后日記〕

二十二日
義演、秀頼のためにこの日大般若経を二百四十巻を転読する。〔義演准后日記〕

二十三日
義演、昨日に引き続き秀頼のために大般若経を三十巻転読し、この日二百七十巻の転読が終わる。
また義演、この日秀頼(「秀頼公」)息災の報を聞き安堵する。I〔義演准后日記〕

二十七日(晴)
勧修寺光豊(「勧修寺」)、秀頼(「大坂」)へ賀礼のため、大坂に赴く旨を公家衆に触れる。〔言経卿記〕
宗俊(「東寺宝輪院」)、今月十六日に行われた大坂城大般若経転読に加列の件につき、義演に礼参する。〔義演准后日記〕

二十八日(晴)
この日の早朝、冷泉為満(言経「冷泉」)・舟橋秀賢、秀頼(言経「大坂内府」、慶長「秀頼公」)への賀礼のため大坂へ出発する。〔言経卿記、慶長日件録〕

二十九日
この日の午刻、秀頼、公家衆に年始の礼を受ける。 摂関家・門跡、秀頼と三献、清華家は一献あり。舟橋秀賢・冷泉為満、この総礼に出席する。〔慶長日件録〕

三十日(晴)
冷泉為満(「冷泉」)、大坂で賀礼を終え帰京する。〔言経卿記〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
三日
義演、秀頼(「秀頼公」)誕生日につき、自ら大般若経を百三十巻転読する。〔義演准后日記〕

十日(雨陰)
秀頼(「秀頼公」)、舟橋秀賢に短冊五十枚を送り、花山院定煕(「花山院大納言」)・勧修寺光豊(「勧修寺中納言」)・冷泉為満(「冷泉中将」)・中院通村(「中院侍従」)・舟橋秀賢の五人にそれぞれ十枚ずつ和歌の詠進を依頼する。〔慶長日件録〕

十七日
孝蔵主(「尼孝蔵主」)、上洛する徳川家康を迎えるに参じる。〔徳川実紀〕

十八日(雨)
義演、秀吉月忌につき神供する。〔義演准后日記〕

十九日(辰刻屬晴)
徳川家康(将軍)、上洛し伏見城へ入る。〔義演准后日記〕

二十五日(快晴)
義演、秀頼(「秀頼公」)へ伊勢桜一枝・初蕨を贈る(家康ら徳川方には上洛に際し贈済)。〔義演准后日記〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
二十九日(晴)
徳川秀忠(「右大将殿」)参内し、武家・公家衆が供奉する。後陽成天皇・政仁親王(後の後水尾天皇)出座する。〔言経卿記〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天快晴)
義演、秀頼(「大坂」)に撫物と札を進上する。〔義演准后日記〕

三日(陰)
義演、秀頼(「内府」)の誕生日祈祷のため大般若経転読の札を大坂へ贈る。また、大蔵卿局へ竹子を贈る。〔義演准后日記〕

八日
徳川家康(「将軍」)、上洛。〔義演准后日記〕

九日(晴)
義演、秀頼のために護摩祈祷を始める。〔義演准后日記(同月二十一日条)〕
徳川家康(「大樹」)、明くる十日に参内し、また近日中に将軍職を秀忠(「右大将殿」)に譲る旨の知らせが義演の耳に届く。〔義演准后日記(同月二十一日条)〕

十二日
秀頼(「豊臣内大臣秀頼公」)、右大臣宣下を受ける。〔徳川実紀〕

十六日
徳川秀忠(「右大将殿」)、二条城に勅使を迎え、征夷大将軍・正二位内大臣の宣旨を受け、淳和奨学両院別当源氏長者に任じられる。〔徳川実紀〕

十八日(天晴)
豊国社祭につき、秀頼、名代として装束姿で片桐且元(「片桐市正」)を遣わし、太刀馬代として万疋を奉納する。 茶々姫(「御母儀」)も金子一枚を奉納する。 また、吉田兼見(「二位」)・慶鶴丸・兼治(「左兵衛督」)に銀子五枚ずつを贈る。
この日、勅使として東坊城盛長(「東坊城大納言」)が束帯にて参詣・奉納。福島正則(「福嶋左衛門大夫」)・増田長盛(「増左兵門督」)・浅野長政(「浅野弾正」)・加藤清正(「加藤肥後守」)も参詣する。〔舜旧記〕

二十一日(大雨)
義演、東寺南大門の棟札の銘文を書く。〔義演准后日記(同月十八日条)〕

東寺南大門棟札(表):
「         本願高野山文殊院勢誉
  大檀那内相府豊臣朝臣秀頼公御建立
          慶長十年乙巳四月二十一日」
(裏書):「当寺南大門者、建久之昔、依頼朝卿財施重複〔復〕、文覚上人成風於旧基、慶長之今、為秀頼公御願再造、 勢誉法印萃構於古跡、今之所跂、昔之所耻也、然者檀越殿下済川之水久澄、伽藍之月鎮朗、     東寺沙門義演記之、」

二十二日(天晴)
徳川秀忠(「右大将殿」)、伏見より上洛。〔舜旧記〕

二十四日(天晴)
徳川秀忠(「当将軍」)、二条城(「京御城」)にて吉田慶鶴丸の礼参を受ける。〔舜旧記〕

二十六日(天晴)
徳川秀忠(「将軍秀忠」)初めて参内する。諸国の大名、乗輿にて同道する。その後、伏見城へ帰る。〔舜旧記〕

五月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(大雨)
義演、秀頼(「秀頼公」)・院中のために単身大般若経を転読する。
義演、寧(「北政所」)の所望に応じ蒸竹子を一折送り、その返礼としてお寧の使いを通じて帷を賜る。
この日、将軍職を継いだ徳川秀忠(「新将軍」)へ諸大名が総礼を行う。〔義演准后日記〕

三日(晴)
この日義演を導師として、上下諸衆により秀頼(「秀頼公」)の誕生日祈祷のための大般若経が転読される。 義演、祈祷の後に山田長運(「宰相」)を遣わし、秀頼方(「大坂」)へ祈祷の札と竹の子(「笋」)を進上する。〔義演准后日記〕

四日(晴)
秀頼(「大坂」)、前日の返礼として義演に袷・帷子を贈る。〔義演准后日記〕

六日(晴)
義演、秀頼のために単身大般若経の転読を開始する。 まだこの日は結願しなかったが、とりあえず山田長運(「宰相」)を遣わし秀頼(「大坂」)へ木札を進上する。〔義演准后日記〕

八日(晴)
寧(当代「大政所 是ハ太閤の北所ナリ」、実紀「高台院(故太閤秀吉政所)」)、徳川家康(「右府家康公」)の意向を受け内々で大坂城に来り、秀頼(当代「秀頼公」、実紀「右府秀頼公」)に礼参のために上洛することを伺うという。 茶々姫(当代「秀頼公母台」、実紀「秀頼の生母大虞院(世に淀殿と称せし是なり。)」)、これを良しとせず。大坂の町はこの騒動に、きっと戦になるだろう騒然としたという。
徳川方の史料である『当代記』、では、このとき茶々姫がどうしても秀頼を上洛させるというなら親子ともども自害する覚悟であると表明したことが記されている。 これは、福島正則・加藤清正ら上方大名(実紀「太閤恩顧の輩」)が秀頼の身に不慮が起こることを恐れ、茶々姫に上京を制止するよう告げたという話も記されている。 京洛の農民や商人たちはこの噂を聞き、伏見と大坂の間で戦が近いと恐れ、騒ぎになったとされる。
寧の来坂も太閤恩顧の家臣による助言も「内々のこと」とあるため、実際に一連のできごとがあったかどうかは断じることはできない。あくまで噂であった可能性もあるが、寧がこの件で大坂に出向いたこと、結果的に秀頼の上洛が無かったことは確かである。
(同様の話が記されている『徳川実紀』、「慶長見聞録案紙」や「武徳編年集成」は『当代記』をベースに後年編纂されたものと思われる) なお、茶々姫と寧との不仲・決裂を表すエピソードとして取り上げられることの多いこの一件ですが、跡部信氏は論文「高台院と豊臣家」(『大阪城天守閣紀要』34)でこの一件を流動的、俯瞰的にとらえ、大変興味深い見解を記されています。 すなわち、この一件は確かにこの時点での方向性の違いを示しているものの、必ずしも以降の決裂を示すものではないという説です。是非ご一読をおすすめします。〔当代記、徳川実紀(台徳院殿御実紀)〕

この日、大般若経が結願する。〔義演准后日記〕

徳川秀忠江戸へ下向につき諸衆、暇乞に参賀する。直接礼参した公家衆のは一条内基(「一条殿」)・二条昭実(「二条殿」)・ 近衛信尹(「近衛殿」)・鷹司信房(「鷹司殿」)・九条忠栄(「九条殿」)。邦房親王(「伏見宮」)・智仁親王(「八条宮」)は名代にて礼参。 門跡衆は常胤(「妙法院宮」)・興意(「聖護院宮」)・義演・承快(「梶井新宮」)が礼参し秀忠を見送る。
鹿苑寺に大坂で騒動があった噂が届く。〔鹿苑日録〕

九日(雨)
義演、秀頼祈祷のために日護摩を開白し、大坂へ護摩巻数・蒸竹子を贈る。大蔵卿局より山本与三衛門(大野一族?)が使者に遣わされる。また義演、片桐且元(「片桐市正」)糒袋二十を遣わし、今月十六日の祈祷について聞く。〔義演准后日記〕

十日(雨)
大坂より使者の井内経紹(「大蔵卿」)が帰り、義演、千(「姫君」)より賜った袷と曝帷一を受け取る。〔義演准后日記〕

十一日(自朝陰)
徳川秀忠(義演「将軍」、当代「新将軍」)の名代として弟の松平忠輝(義演「御舎弟」、当代「竹〔「辰」の誤か、実紀「上総介忠輝朝臣」〕主 右府末子、十四歳」)が大坂に来る。 秀頼(実紀「右府秀頼公」)、忠輝を厚く持て成し、秀頼ら快気するという。〔義演准后日記(同月十日条)、当代記、徳川実紀〕
寿林、住吉より上洛し、大坂の騒動が無事解決したことを報じる。〔鹿苑日録〕

十五日(雨)
義演、大坂へ下向。着後、大蔵卿局へ案内を請う。また掛香を茶々姫(「御袋」)へ十、千(「姫君」)へも十、大蔵卿局へ五、「御局」(右京大夫局?刑部卿局?)へ三、 伊茶局(「いちや」)へ三を遣わす。返礼として大蔵卿局(「大蔵卿」)、義演へ尾道名酒二樽・菓子一折を贈る。
徳川秀忠(「大樹」)、江戸へ下向。〔義演准后日記〕

十六日(雨、午刻屬晴)
大坂城にて秀頼のために大般若経が転読される。導師は義演。経衆は理性院公秀・「治部卿」俊典・金剛王院盛融・「民部卿」俊長・勧修寺西林院慶順(「大納言法印」)・「二位」演賀・報恩院憲応・「大夫」堯政・「少将」源朝・「刑部卿」亮済・演快・演俊・宋倩・演超・円真。布施として秀頼(「施主」)より導師分として銀子を二十枚・袷と単物・帷、千(「姫君」)より袷以下三つ、その他経衆分・供衆分・人足料などを賜る。
転読の後、加持祈祷が行われ、秀頼との対面する。義演、秀頼(「施主」)より直接盃を頂、義演より経衆へ盃が回される。〔義演准后日記〕

二十二日(雨)
秀頼(「秀頼卿」)、右大臣に補任され、この日勅旨が大坂へ下向する。〔義演准后日記〕

二十七日(晴)
義演のもとへ秀頼立願の大般若経真読を大蔵卿局より依頼される。二十九日に立願と決まる。 養源院一世成伯(「楊源院」)、大坂の使者として経衆に大般若経真読を触れる。〔義演准后日記(当日・同月二十八日条)〕

二十九日(晴)
義演を導師として大般若経真読が開白される。経衆は理性院公秀・俊典・慶順・俊長・演賀・報恩院憲応・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・宋倩・演超・円真。成伯(「楊源院」)、秀頼名代として秀頼の撫物を持参する。〔義演准后日記〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「秀頼公」)、河内金剛寺大日堂再興につき、片桐且元(「片桐東市正且元」)が社殿擬宝珠を寄進する(奉行は吉田次左衛門保好)。〔河内金剛寺宝塔擬宝珠銘〕

一日(霽)
大般若経真読二日目。〔義演准后日記〕

二日(晴)
大般若経真読三日目。義演、成伯(「楊源院」)へ単物・帷を遣わす。〔義演准后日記〕

三日(晴)
大般若経真読四日目。片桐且元(「片桐市正」)、義演へ蝋燭二百挺を進上する。〔義演准后日記〕

四日(晴)
大般若経真読結願。撫物に対し加持祈祷が行われる。 その後、義演、井内経紹(「大蔵卿」)を大蔵卿局に遣わし、撫物・祈祷木札二枚・紙札百枚・糒袋三十を送る。秀頼の使者成伯(「楊源院」)も井内経紹に同道し大坂へ帰る。
大般若経真読、関ヶ原合戦(「慶長大乱」)より三度目との注記あり。〔義演准后日記〕

五日(晴)
秀頼(「大坂」)、義演の使者井内経紹(「大蔵卿法橋」)を通じて施物百石を義演に送り、また経紹にも帷一重を遣わす。〔義演准后日記〕

九日(晴)
秀頼(「大坂」)、義演方へ大般若経真読の布施として銀子一貫五百(「五十百石の代也」との注記あり)など経衆十五人らに分配する。〔義演准后日記〕

十日(雨なし)
義演、秀頼(「大坂」)へ祈祷札・瓜籠を進上する。〔義演准后日記〕

十三日(雨なし)
この日、義演、九日に来た大坂よりの銀子を分配する。〔義演准后日記〕

十四日(夕立)
昨月二十三日以来始めて雨が降る。〔義演准后日記〕

十六日(雨なし)
義演、秀頼(「秀頼卿」)の祈祷のため、護摩を修す。〔義演准后日記〕

十七日(雨なし)
義演、江(「将軍御台」)へ瓜を二籠進上する。〔義演准后日記〕

十八日(雨なし)
義演、秀吉月忌につき神供する。〔義演准后日記〕

二十八日(雨なし)
成伯(「養源院」)、文(おそらく大坂方の誰かのもの)を持って義演の元へ来る。〔義演准后日記〕
寧(時慶「北政所」、「北政所殿」)、既に建立していた寺町の康徳寺を改め、東山に高台寺として改める。〔時慶記、高台寺誌稿〕

三十日(少夕立)
秀頼祈祷の護摩が結願する。義演、北村久兵衛を使者として大坂に遣わし、秀頼方へ撫物・祈祷巻数・錫鉢五を進上する。また取次の大蔵卿局へ茶を六十袋、同じく取次の伊茶局(「いちや」)へ扇を十本遣わす。〔義演准后日記〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(小雨、炎暑〔義〕/晴、辰刻雨沃〔慶〕)
秀頼(「秀頼公」)誕生日につき、七人の経衆によって大般若経が転読される。〔義演准后日記〕
舟橋秀賢、大坂へ下る。〔慶長日件録〕

四日(晴)
舟橋秀賢、片桐且元(「片市正」)に書状を認め、登城の許しを伺う。秀賢、まず且元を訪問し、薫衣香五を贈る。続いて秀頼(「秀頼公」)を訪れ、秀頼に薫衣香十・憲法點本を、茶々姫(「御袋様」)に小鷹檀帋五束を進上する。その後、秀頼、秀賢に十七条憲法の講義を依頼し、秀賢これを講義する。講義の後、饗応あり。〔慶長日件録〕
梵舜、大坂へ下向し、片桐且元(「片桐市正」)・貞隆(「同主膳」)へ糒袋十を持参する。〔舜旧記〕

五日(晴)
舟橋秀賢、登城し、秀頼(「秀頼公」)に徳失鏡を講義する。〔慶長日件録〕
吉田定継(「民部」)・梵舜、大坂城にて秀頼(「右府秀頼公」)へ礼参し、賀茂虫籠一ツを進上する。〔舜旧記〕

六日(晴)
舟橋秀賢、登城し、秀頼(「秀頼公」)に呉子二三枚を講義する。講義を終え、秀賢、秀頼より生衣一つ・帷子二つを拝領する。〔慶長日件録〕

十八日
義演、秀吉月忌につき神供する。〔義演准后日記〕
徳川家康(「前将軍」)、伏見城より上洛する。〔舜旧記〕

十九日(雨)
醍醐寺二王門、秀頼(「秀頼公」)により建立される旨の書状が片桐且元より井内経紹(「大蔵卿」)宛てで届く。義演、且元へ礼状を送る。〔義演准后日記〕
徳川家康(「前将軍」)、二条城より下向する。〔舜旧記〕

八月

[大坂城本丸奥御殿]
八日(雨降)
梵舜、片桐且元上洛につき見舞いに訪れる。且元に折紙を託し、秀頼方(「大坂」)へ豊国社の法度について談合を申し入れる。〔舜旧記〕

十四日(天晴)
八条宮智仁親王(「八條殿」)、豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

十七日(屬晴)
伊茶局(「いちや」)、上洛する。義演、伊茶局へ見舞として仍百疋・茗荷一折を贈る。 義演准后日記
寧(「政所」)、豊国社へ参詣し、銀子十枚を奉納する。孝蔵主(「康蔵主」)は銀子を一枚、御内衆は鳥目十二貫を奉納する。〔舜旧記〕

十八日
豊国大明神正遷宮祭。勧修寺光豊(「勧修寺中納言」)、朝廷の使者となる。〔言経卿記、義演准后日記〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「内大臣豊臣朝臣秀頼公」)の名で河内金剛寺水分神社の社殿が再興される。奉行は片桐且元(「片桐東市正且元」)。〔河内金剛地棟札〕

一日
寧、幕府より高台寺の寺領を安堵され、寺地の諸役を免ぜられる。〔(『大日本史料』)〕

三日
秀頼(「秀頼卿」)誕生日につき、山上山下の経衆によって大般若経が転読される。義演、北村久兵衛を遣いとして秀頼方(「大坂」)へ祈祷札と折などを進上する。〔義演准后日記〕

十三日(晴)
大蔵卿局、上洛し伏見に至る。義演、見舞いとして大蔵卿局へ木練を三百贈る。〔義演准后日記〕

十五日(晴)
義演、大坂へ下向。大蔵卿局・片桐且元(「市正」)は未刻(午後二時ごろ)伏見より帰坂。義演、且元と大蔵卿局へ音信を遣わす。また義演、且元を訪問し、杉原(「杦原」)五十帖を贈る。大蔵卿局(「局」)へは錫鉢五、伊茶局(「いちや」)へ錫鉢三を贈る。その後、大蔵卿局(「局」)、義演へ返礼として樽三荷・三種を送る。義演、さらに茶々姫(「御袋」)へ杉原(「杦原」)三十帖・紅帯二筋、千(「姫君」)へ杉原(「杦原」)三十帖を進上する。〔義演准后日記〕

十六日(霽)
大坂城にて秀頼祈祷のための大般若経転読が行われる。 経衆は理性院公秀・堯円(堯演改め)・俊典・金剛王院盛融・俊長・演賀・報恩院憲応・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・宋倩・澄然・演超。義演、布施として秀頼より銀子二十枚・小袖一重、千(「姫君」)より小袖一重、佳例として鵝眼三千三百疋、その他人足料などを賜る。 続いて経衆らにも布施等が送られる。
次に饗膳あり。義演ら、秀頼(「亭主」)と対面する。義演、秀頼に杉原(「杦原」)五十帖を進上する。その後盃事あり。義演が秀頼に直接盃を頂き、その後義演が経衆に盃を回す。
また義演、秀頼に二王門再建について礼を申し入れる。奉行は建部高光(寿徳/「建部内匠頭」)という。〔義演准后日記〕

十七日(雨降)
義演、大坂から京への帰路に摂津多田院を参拝する。多田院について、秀頼(「秀頼公」)の名で本堂・中堂・御影堂・両社・拝殿・鐘楼七箇所を再建、南大門を修理されたものとのこと。なお、南大門はもともと秀吉が生前醍醐寺の二王門にうつす予定であったが、秀吉の死で滞っていた。この度秀頼(「秀頼公」)によって二王門が新造されることとなり、義演、その慶びを記す。
その後、義演、箕面の瀧を見る。 箕面の社頭・堂一宇は秀頼(「秀頼公」)の再建。〔義演准后日記〕

十八日(雨少降)
寧(「政所」)、秀吉の月忌につき豊国社へ参詣、銀子百二十目・鳥目二貫七百文を奉納する。〔舜旧記〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
三日
義演、大坂の使者と醍醐寺二王門の作事について協議する。〔義演准后日記〕

五日(晴)
舟橋秀賢、大坂へ下る。〔慶長日件録〕

七日(晴)
舟橋秀賢、まず片桐且元(「片市正」)を訪問し、蜜柑百五十を贈る。 続いて且元同行で秀頼(「秀頼公」)を訪れ、秀頼に蜜柑二百五十を進上する。 その後、秀頼、秀賢に呉子の講義を依頼し、秀賢これを講義する。講義の後、饗応あり。〔慶長日件録〕

八日(晴)
この日の午後、舟橋秀賢、登城し秀頼(「秀頼公」)を訪れ、秀頼に呉子を講義する。片桐且元、秀賢に明日夕食を振舞うことを約束する。〔慶長日件録(当日条、同月九日条)〕

九日(辰刻雨降)
舟橋秀賢、午前から登城し秀頼(「秀頼公」)を訪れ、秀頼に呉子を講義する。 講義の後、秀賢、織田長益(「有楽」)・「玄雄」・「鈴庵」らと共に片桐且元宅を訪れ、饗される。〔慶長日件録〕

十日(晴)
舟橋秀賢、巳刻に登城し秀頼(「秀頼公」)に呉子を講義する。 この日、講義最終日につき秀頼から綾小袖一重・道服などを賜る。 また秀頼、秀賢に大学の講義を望む。 その後、東条行長(「東條紀伊守」)・「上野志摩守」・「小林民部少輔」らとともに片桐貞隆邸にて饗を受ける。〔慶長日件録〕

十四日(晴)
舟橋秀賢、父国賢の屋敷(「今出川殿」)を訪れ、大坂の様子を談じる。〔慶長日件録〕

十八日(天晴)
秀頼、相国寺法堂を再建する。〔東福寺誌(相国寺記)〕
寧(「政所」)、大坂へ下向のため秀吉月忌の豊国社参詣はなし。〔舜旧記〕

十一月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「豊臣朝臣秀頼公」)の名で石清水八幡宮(「男山八幡宮」)大塔が再興される。奉行は小出吉政(「小出大和守豊臣吉政」/小出秀政嫡男。母は大政所妹)〔男山八幡宮大塔擬宝珠銘〕

二日(屬晴)
醍醐寺西大門、立柱する。秀頼の命により作事。〔義演准后日記〕

三日(霽)
義演、秀頼(「秀頼公」)の誕生日祈祷に仁王講を修す。
醍醐寺二王門の奉行建部高光(寿徳/「建部内匠」)、義演に樽二荷・二種を進上する。義演、思いも寄らぬ贈り物に喜ぶ。
義演、大坂に井内経紹(「大蔵卿法橋」)を遣わし、西大門立柱の礼として秀頼へ樽三荷・三種を、また大蔵卿局に樽二荷・折一ツを、片桐且元(「片桐市正」)に樽二荷・二種を贈る。〔義演准后日記〕

十二日(霽)
千(「大坂秀頼御女房衆」)、豊国社神前にて十七日間の護摩祈祷を行う。〔舜旧記〕
義演、秀頼(「大坂」)へ梅の初花を進上する。〔義演准后日記〕

十八日(天晴)
千(「御姫」)の十七日間祈祷がこの日結願する。 千の名代として執事の江原金全(「工原与右衛門」)が豊国社へ参拝、吉田兼見(「二位」)・貞継(「慶鶴丸」)へ進物、兼見宅にて振舞あり。〔舜旧記、『千姫孝』〕

十九日(天晴)
豊国社頭において、千(「大坂御裏様」/「御裏様」は武家から関白家に嫁いだ夫人の意。)主催の夢想連歌百韻が興行される。 茶々姫(「御袋」)の夢想による。すなわち、十七日護摩祈祷・夢想連歌会はお千ために茶々姫が世話したものと考えられる。
参加者は日野輝資(「日野大納言」)・広橋兼勝(「広橋大納言」)・勧修寺光豊(「勧修寺中納言」)・高倉永孝(「藤宰相」)・西洞院時慶(「西洞院」)・烏丸光広(「烏丸頭弁」)・正親町季康(「正親町少将」)・西洞院時直(「執筆 少納言時直」)・山中長俊(「山中山城守長俊」)・松梅院禅昌・逸見友益・里村昌琢(「昌脈」)・里村昌俔(「景次」)・大蔵大輔元偕。〔舜旧記〕

〔連歌〕
春駒や若草山に立出て     茶々姫(「御夢想」)
おもふ事なき事こそうれしき     茶々姫(「同」)
長閑にもなるや心さそふらん     千(「御願主」)
雪とけけらし軒のたま水     吉田兼見(「吉田二位」)
霞よし鉤簾に光りのさしうつり     日野輝資(「日野大納言」)
袖にまちとる半天の月     広橋兼勝(「広橋大納言」)
暮過る道のかたへの秋すゝし     勧修寺光豊(「勧修寺中納言」)
なひきあひたる霧の村竹     高倉永孝(「藤宰相」)

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
二日(自朝晴天)
有節瑞保、片桐且元(「片市正」)の案内で大坂城に登り、秀頼(「秀頼相公」)へ参礼する。秀頼、有節瑞保へ蜜柑四つを直接渡す。その後大広間で宴会あり。返礼として、十帖・一本を秀頼(「秀頼様」)に、蜜柑二百三十を片桐且元(「片市正殿」)に贈る。〔鹿苑日録〕

十八日
義演、秀吉月忌につき、豊国神社へ参拝する。〔義演准后日記〕
義演、大坂へ北村久兵衛を遣わし、秀頼(「秀頼公」)へ蜜柑二箱、大蔵卿局に一箱、伊茶局(「いちや」)へ一箱、建部高光(寿徳/「建部内匠」)へ一箱送る。門作事の礼も兼ねる。
寧(「政所」)、秀吉月忌につき報告者へ参拝、八貫奉納のうち銀子三枚を神前に奉納する。また吉田家・神官衆へ進物あり。〔舜旧記〕

二十一日(霽)
上醍醐如意輪堂・五大堂・御影堂が火災により焼失する。火災原因は完全に消火しきらないまま放置された灰か。〔義演准后日記〕
成伯(「養源院」)、大坂の使者として大蔵卿局の文と布施黄金三枚を持って到来す。 文の内容は、義演に秀頼(「秀頼公」)のため来年中の日護摩祈祷をするよう依頼するもの。

二十三日(晴)
義演、秀頼(「大坂」)へ上醍醐諸堂焼失を報告する。〔義演准后日記〕

二十四日(晴)
大蔵卿局、義演に火事見舞の文を送り、酉刻義演の手元に届く。〔義演准后日記〕

二十五日(晴)
義演、井内経紹(「大蔵卿法橋」)を大坂へ遣わす。秀頼(「大坂」)へ歳暮として祈祷巻数を送り、来年中の護摩祈祷を承る旨を伝える。また山上の火事について私信をもって報じる。〔義演准后日記〕

二十七日(晴)
大坂より義演のもとへ秀頼・茶々姫・千(「御三御所」)の撫物、三つの袋に入り到来する。
義演、山上火災について片桐且元(「片桐市正」)・伊茶局(「いちや」)より詳細の報告を求められる。義演、今回の詳細が秀頼の耳(「御耳」)に入れるべきかを躊躇う。
伏見城南方で火災あり。大名屋敷・文殊院坊焼失する。〔義演准后日記〕

二十九日(晴)
義演、秀頼(「秀頼公御星日曜星造立」)および二条昭実のために星開眼供養を行う。節分が晦日になるのは邂逅の例という。〔義演准后日記〕



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