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1606/慶長十一年

慶長十一(1606)年
※ []内は茶々姫の居場所

この年


秀頼(「秀ー」)について、「巳御年   御十四才 八月三日御誕生、」の記載あり。〔義演准后日記(同年七月条)〕

正月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(雨)
秀頼(「秀頼公」)をはじめ、二条昭実一門・池田輝政子息(徳川家康の孫たち)の星供養続く。〔義演准后日記〕
梵舜、千(「御姫様」)より祈祷依頼をうける。〔舜旧記〕

三日(雪降)
寧(「政所」)、豊国社を参詣し、湯立一釜・銀子五枚などを奉納。また吉田兼見(「二位」)・慶鶴丸・兼治(「左兵衛」)ら神官・巫女たちに進物。〔舜旧記〕

四日(雪少降)
片桐且元(「片桐市正」)、秀頼(「大坂」)の名代として豊国社を参詣し、金子一枚・百疋を奉納する。また吉田兼見(「二位」)・慶鶴丸・兼治(「左兵衛」)に小袖二ツのほか、神官・巫女たちにも進物あり。〔舜旧記〕

五日(大雪)
完子(「御女中」/「杦〔杉〕原三束・鵝眼二結」)、夫の九条忠栄(「九条殿」/「三荷・三種」)と共により義演へ年始の祝儀を贈る。〔義演准后日記〕

七日(大雪)
義演、大坂へ山田長運(「宰相上座」)を遣わし、秀頼(「大坂」)へ祈祷巻数・大般若経札・太刀折帋を贈る。〔義演准后日記〕

八日
義演、秀頼(「秀頼公」)立願の日護摩を開白する。この日より毎日一座を修す。近日中に大坂へ使者を送る予定も大雪で延引する。〔義演准后日記〕
梵舜、寧(「政所」)へ年始の挨拶のため訪問する。寧・孝蔵主(「康蔵主」)・客人局(「客人」)・「御台や」・梅休局(「梅体」)・木下家定(「肥後殿」)へ進物のやりとりあり。〔舜旧記〕

十日(晴)
義演、秀頼(「大坂」)より祈祷の礼として巻物三ツ、千(「姫君」)より杉原(「杦原」)三十帖・巻物一を受け取る。〔義演准后日記〕

十一日(霽)
義演、二条・九条・鷹司家へ参賀する。九条家では九条忠栄(「九条殿」/「樽三荷・三種」)及び完子(「内儀」/「同三荷・三種・錫五封」)へ年賀の進物あり。〔義演准后日記〕
梵舜、秀頼への年賀の総礼のために大坂へ赴く。〔舜旧記〕

十二日(天晴)
梵舜、片桐且元(「片桐市正」)・貞隆(「片桐主膳」)に面会し、その後大坂城へ登城する。 秀頼(「秀頼公」)へ礼参、杉原十帖・扇一本を進上し、・盃を頂く。茶々姫(「御袋様」)へ扇三本・二金箔、大蔵卿局(「大蔵卿」)へ扇三本・片金を贈る。 また祝人・惣神官より茶々姫(「御母様」)へつり柿二百五十・大蔵卿局へ蜜柑百五十を進上される。〔舜旧記〕

十四日(晴)
義演、秀頼のための護摩祈祷を大坂下向のために一旦中断する。〔義演准后日記〕
大坂より義演らへ使者が遣わされ、返礼として杉原十帖・摺巻物一ツが贈られる。〔舜旧記〕

十五日(晴)
義演、大般若経転読のため大坂へ下向。茶々姫(「御袋」)へ杉原(「杦原」)五束、千(「姫君」)へ同五束、 大蔵卿局へ同三束、伊茶局(「いちや」)へ二百疋を贈る。「御下向目出度」との返事あり。片桐且元(「片桐市正」)・片桐貞隆(「同主膳」)より義演へ進物あり。〔義演准后日記〕

十六日(晴)
大坂城にて大般若経の転読が行われる。導師は義演。 経衆は理性院公秀・堯円・俊典・俊長・盛融・演賀・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・宋倩・澄然・演超。転読の後、加持祈祷が行われる。布施は通例の通り。その後、秀頼との対面・盃事あり。〔義演准后日記〕

二十一日(晴)
広橋兼勝(「広橋」)・勧修寺光豊(「勧修寺」)、二十四日に行われる秀頼(「大坂」)へ賀礼のため、大坂へ赴く旨を公家衆に触れる。〔言経卿記〕

二十三日(晴)
禁中へ翌日より大坂へ礼参する旨が伝えられる。〔言経卿記〕

二十五日(自朝陰雖然雨不降)
公家所門跡、この日秀頼(「秀頼公」)へ礼参する。そのあと片桐且元(「片市」)のもとへ。〔鹿苑日録〕

二十七日(自朝晴天)
有節瑞保、片桐且元(「片市殿」)に伴われ大坂城へ登る。秀頼(「秀頼公」)に一礼。いつも秀頼自ら菓子を手渡しするところが、この日は人数が多かったので、小姓たちが濃州柿を二つそれぞれに渡した。〔鹿苑日録〕

三十日(晴)
冷泉為満(「冷泉」)、大坂で賀礼を終え帰京する。〔言経卿記〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
三日
義演、秀頼(「秀頼公」)誕生日につき、自ら導師となり経衆(演賀・堯政・演快・演俊・澄然・演超)と共に大般若経を転読し、加持祈祷を行う。 その後、井内経紹(「大蔵卿」)を遣わし、秀頼方(「大坂」)に祈祷札・巻数・団以下を送る。〔義演准后日記〕

二十四日(晴)
義演、秀頼方(「大坂」)に初桜・初蕨を進上する。〔義演准后日記〕

三十日(雨)
義演、翌三月一日より始める秀頼(「秀様」)の聖天浴油祈祷のため団を用意する。〔義演准后日記〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「内大臣豊臣朝臣秀頼公」、「右大臣豊臣朝臣秀頼公」)、河内金剛寺大日堂再興につき社殿擬宝珠を寄進する(奉行は森島長以〔「森嶋長以」〕)。〔河内金剛寺宝塔擬宝珠銘〕
金剛寺がこの年秀頼(「秀頼」)によって再興されるは、徳川家康(「権現様」)の申し出によるものという。 すなわち、秀頼が疱瘡を患った際、金剛寺を再興すれば病は平癒するだろうという夢想を得て、 片桐且元(「片桐市正」)が家康に伺ったところ、家康は且元を総奉行に、これを再興するように言ったという。 そして、「金剛寺が再興されたのは家康のおかげである…」と文章は続く。
※ ただし、秀頼が疱瘡を患ったのは慶長十三年のことで、この金剛寺再興よりも後年に当たり矛盾が生じるため、一連の説は慎重に扱うべきである。〔河州錦部郡天野山金剛寺古記録〕

一日
義演、秀頼(「秀様」)のため聖天浴油祈祷を開始する。〔義演准后日記(同年二月三十日条)〕
義演、近衛前子(「女御」)・寧(「北政所」)・二条昭実(「二条殿」)・九条忠栄(「九条殿」)に山桜を進上する。〔義演准后日記〕

二日(大雨)
義演、昨年焼失した醍醐寺の山上伽藍再興を訴えるために学侶三人を大坂へ遣わし、片桐且元(「片桐市正」)へ書状を送る。〔義演准后日記(同月四日条)〕

三日(屬晴)
義演、秀頼誕生日につき、自ら導師となり経衆八人(理性院公秀ら)と共に大般若経を転読する。その後、山田長運(「宰相」)を遣わす(札などを進上か)。〔義演准后日記〕

六日(陰)
昨年焼失した醍醐寺の山上伽藍再興につき、大坂から了承の由が義演に伝わる。〔義演准后日記〕

十八日(晴天)
有節瑞保、大坂城千畳敷で接待のため赴くが、秀頼(「秀頼公」)には顔を出さず。〔鹿苑日録〕

二十五日(自朝晴天)
有節瑞保、大坂にて片桐且元(「片正殿」)と会い、一件相談する。〔鹿苑日録〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
三日(晴)
義演、秀頼誕生日につき、自ら導師となり経衆九人(理性院公秀ら)と共に大般若経を転読する。その後井内経信(「侍従」)を大坂遣わし、秀頼・茶々姫・千(「御三御所」)へ大般若札・団一折六十・巻数三合・杜若・竹子を進上する。〔義演准后日記〕

六日(晴)
徳川家康(「将軍 大御所」)上洛、午後伏見城に入る。〔義演准后日記〕

十三日(天晴)
寧(「政所」)、にわかに豊国社へ参拝し銀子五枚を奉納。また神官らへ進物あり。〔舜旧記〕

十八日(雨降)
この日遷座の月につき、豊国祭が執り行われる。
秀頼の名代として片桐且元(「片桐市正」)が豊国社へ遣わされ、金子一枚・折紙代百貫文を奉納する。また吉田兼見(「二位殿」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)・慶鶴丸へ銀子五枚を遣わす。
またこの日勅使三条公綱(「上卿伝法輪三条中納言」)も参詣。
義演も参詣し神供する。〔舜旧記、義演准后日記〕

十九日(雨)
豊国神社にて猿楽あり。〔義演准后日記〕

二十四日
秀頼方より成伯(「養源院」)が大蔵卿局(「大蔵卿御局」)の書状を持って義演の元に来る。秀頼(「秀頼公」)・茶々姫(「御袋様」)の二人について、来月二日より有卦入祈祷を依頼する旨の内容。また祈祷料として金子十両も届く。〔義演准后日記〕

二十七日(晴)
義演、秀頼方(「大坂」)より団を所望される。〔義演准后日記〕
秀頼(「秀頼公」)、存庵を通じ舟橋秀賢へ短冊を送り、中院通勝(「中院入道」)・中御門資胤(「中御門中納言」)・中山慶親(「中山中納言」)・大炊御門経頼?(「大炊御門大納言」)・六条有広(「六條宰相」)・猪隈教利(「猪隈少将」)の六人へそれぞれ十枚ずつ和歌の詠進を依頼する。〔慶長日件録〕

二十八日(晴)
徳川家康(「前大樹」)、勧修寺邸に赴き、武家伝奏広橋兼勝(「廣橋大納言」、「伝奏」)と武家官位について談ず。その後、家康参内し公家衆の相伴をうける。〔慶長日件録〕

三十日
成伯(「養源院」)、大坂の使者として義演に帷子を一折進上する。 義演、秀頼方(「大坂」)所望の団一折・竹子一折を進上する。〔義演准后日記〕

五月

[大坂城本丸奥御殿]
一日
義演、昨月の依頼により、秀頼・茶々姫母子のために聖天供を開白し二座を修し、また愛染護摩を一座修す。〔義演准后日記〕

三日(晴)
義演、秀頼誕生日につき、自ら導師となり経衆と共に大般若経を転読する。 経衆は理性院公秀・松橋堯円・俊典・俊長・演賀・堯政・亮済・演快・演俊・宋倩・澄然・演超。
次に、秀頼(「秀ー公」)・茶々姫(「同御袋」)母子有卦入につき、祈祷のため護摩・天供などを修す。
その後、大坂へ北村久兵衛を遣わし、秀頼(「秀ー」)へ大般若札・有卦祈念巻数・日護摩巻数・天供団、 茶々姫(「御袋」)へ有卦祈念巻数・日護摩巻数・団・竹子、千(「姫公」)へ日護摩巻数・団、大蔵卿局・伊茶局(「いちや」)へ茶を進上する。〔義演准后日記〕

七日(晴)
義演、礼参の後、九条家が新邸引越を祝いに訪れる。樽二荷・三種を九条忠栄(「九条殿」)と完子(「御内儀」)へそれぞれ進上する。その後九条新邸を見物し瞠目する。
なおこの日は、二条昭実(「二条殿」)・位子女王(「政所」/二条晴良妻、伏見宮貞敦親王女。義演母)も見舞に九条邸を訪れる。
徳川家康(「将軍」/※「前」抜か)へ勅使・義演らによる礼参あり。〔義演准后日記〕

十三日(陰、午刻雨)
片桐且元(「片桐市正」)、義演へ十六日に大坂城にて祈祷の依頼を申し入れる。〔義演准后日記〕

十五日(晴)
義演、翌十六日の大坂城大般若経転読のために大坂へ下向する。 まず茶々姫(「御内儀」)へ音信を送る。 続いて茶々姫(「御袋」)へ掛香十袋、千(「姫君」)へも掛香十袋、大蔵卿局へ掛香五袋・杉原二束、 伊茶局(「いちや」)へ掛香二袋・杉原一束を贈る。 その返礼として大蔵卿局(「大蔵卿」)は樽三荷・二種、伊茶局(「いちや」)は茶垸十・枇杷一折を義演に贈る。
その後片桐且元(「片桐市正」)より義演へ樽一荷・糒一折進上し、義演、且元へ帷子三ツを返礼として送る。 また義演、片桐貞隆(「片桐主膳」)へ樽を遣わし、その返礼として夕暮時に貞隆が義演の元へ礼参し生帷を三つ進上する。〔義演准后日記〕

十六日(晴)
大坂城にて大般若経が転読される。導師は義演。 経衆は理性院公秀・松橋堯円・金剛王院実融・俊長・東寺観智院(※ 前年寧により再興)演賀・堯政・亮済・源朝・演快・演俊・宋倩・澄然・演超。
布施として導師義演へ秀頼(「秀ー」)より銀子二十枚、茶々姫(「御袋」)より生単物三ツ、千(「姫君」)より同じく生単物三ツ、 経衆には銀子二枚(但し良家衆は三枚)、賄料として八木二石が贈られる。
その後、秀頼との対面・盃事あり。義演、秀頼へ杉原百帖を進上する。義演が秀頼より直接盃を頂き、義演より経衆に回される。〔義演准后日記〕

十七日(晴)
義演、大坂よりの帰路に岩清水八幡宮に参拝・見物する。 岩清水八幡宮は秀頼(「秀ー公」)の沙汰による造営で、柱以下は悉く薪までもが黒漆塗という。 また大塔は昨年の造営(慶長十年十一月参照)で、その本尊は箔押とのこと。社殿は壮麗広大な様子であったと記録されている。
義演帰寺し、秀頼の新しい撫物を安置する。〔義演准后日記〕

十八日(霽、炎旱)
義演、大坂より拝領の銭を関係者に配る。〔義演准后日記〕
この日の早朝、寧(「政所」)が豊国社に参詣奉納する。〔舜旧記〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
この月
秀頼(「右大臣豊臣朝臣秀頼公」)の名で河内金剛寺弘法大師御影堂・三宝院が再興される。奉行は片桐且元(「片桐東市正且元」)。〔河内金剛地棟札〕
秀頼(「右大臣豊臣朝臣秀頼公」)、河内金剛寺大日堂再興につき、片桐且元(「片桐東市正且元」)が社殿擬宝珠を寄進する(奉行は吉田次左衛門保好)。〔河内金剛寺弘法大師堂擬宝珠銘〕

一日(晴)
義演、秀頼(「秀頼公」)のため、月恒例の聖天供・護摩・愛染王供を開白する。〔義演准后日記〕
豊国社の神前にて、秀頼(「大坂」)祈祷のために三百六十座の祓が奉納される。〔舜旧記〕
徳川秀忠に男児(医「大樹若君様」、実紀「御所の二郎君」)が生まれる。生母は江。のちに国松と称す。諸大名江戸城に参じ、これを賀す。〔医学天正記、徳川実紀、福田千鶴『江の生涯』〕

三日(霽)
義演、秀頼誕生日につき、自ら導師となり経衆六人と共に大般若経を転読する。 その後三河寺忠為(「三河」)を大坂遣わし、秀頼・茶々姫・千(「御三所」)へ大般若札・日護摩巻数・団を進上する。〔義演准后日記〕

十三日(自朝晴天)
有節瑞保、大坂につき、片桐且元(「片市殿」)・貞隆(片主膳殿)兄弟と面会する。〔鹿苑日録〕

二十四日(晴)
昨年焼失した山上三伽藍再興につき、秀頼(「右大臣殿」)奉行衆建部寿徳(「建部内匠正」)・井藤則長(「井藤左馬」/上醍醐伽藍作事奉行)・西川方盛(「西川八衛門」/如意輪堂奉行)の内衆が山上へ赴き、密教院において談合する。〔義演准后日記〕

二十七日
上醍醐(「山上」)学侶、義演の書状を持って大坂へ下向する。 一通は片桐且元(「片桐市正殿」)宛て、一通は片桐貞隆(「片桐主膳正殿」)宛て、もう一通は大蔵卿局(「大くら卿」)宛て(但しその実は茶々姫〔「御内儀」〕宛て)〔義演准后日記(大蔵卿局宛て義演音信)〕

〔書下〕
御内儀へ予の文、

上のたいこからん御さいこう御ほセいたされ候、さて/\くわふんさ申ハかりも入候ハす候、 てらしゅしも/\まてかたしけなくそんする御事にて候、 そのためまつとりあへす御れいとしてまかりくたり候よりにて候、いよ/\御とりなしたのみいりまいらせ候、 なをかさねて申入候へく候、

   大くら卿殿
       申給へ

〔意訳〕
どうか御内儀(茶々姫)へわたくしの文をお見せくださいませ。

上醍醐伽藍の再興を仰せ下さり、このありがたさは言葉にすることも出来ないほどです。 寺の者も、下々までかたじけなく思っておることでございます。 そのため、とるものもとりあえずお礼を申し上げるために人を遣わしました。 今後もいよいよ秀頼様(茶々姫様)へのおとりなしをよろしくお願いいたしたく、かさねてお願い申し上げることでございます。

   大蔵卿局殿へ
       よろしくご伝言願います

七月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(夕立)
義演、秀頼(「秀頼公」)祈祷のため、歓喜天浴油を開白し、愛染日護摩を修す。
醍醐寺楼門について、秀頼(「秀頼公」)の名で築地造成を下命される。〔義演准后日記〕

三日(夕立)
義演、秀頼誕生日につき、自ら導師となり経衆と共に大般若経を転読する。 経衆は理性院公秀・演賀・堯政・演快・演俊・澄然・演超。大坂へ祈祷札・巻数を進上する。
山上学侶、大坂より帰寺。義演に上醍醐伽藍再興について秀頼の名で行われることが確実になったことを報告する。〔義演准后日記〕

四日(霧雨、如五月雨)
片桐貞隆(「片桐主膳正貞隆」)より、上醍醐伽藍再興について書状が来る(宛名は井内経紹〔「井内大蔵卿殿」〕)。〔義演准后日記〕

五日(晴)
南禅寺法堂、秀頼(「秀頼公」)の名で再興される。この日、供養が行われる。〔義演准后日記、東福寺誌(南禅寺記)〕

六日(晴)
秀頼(「秀頼公」)の名で再興される上醍醐三堂(御影堂・五大堂・如意輪堂)について、大坂に材木が用意される。年内に柱立の予定。〔義演准后日記〕

八日(夕立)
完子(「九条御内儀」)、義演へ樽三荷・三種を贈る。〔義演准后日記〕

十一日(天晴)
秀頼(「大坂秀頼」)祈祷のために、豊国社神前にて吉田定継(「民部」)によって千座祓が行われる。〔舜旧記〕

十二日(天晴)
梵舜、寧(「政所」)へ見舞のために訪問し進物する。孝蔵主(「カウ蔵主」)が取次ぐ。〔舜旧記〕

十八日
大坂城にて、魂魄の飛行が目撃される。 〔義演准后日記(同月二十日条)〕

二十日(晴)
十八日の大坂城における魂魄飛行について、義演に祈祷が申し入れられ、 秀頼・茶々姫・千の撫物(「撫物三ツ」)、及び布施として銀子十枚が義演の元に送られる。 義演、夕刻より招魂作法を開始する。〔義演准后日記(同月二十日条)〕

二十六日
招魂作法が結願する。義演、秀頼方へ巻数・撫物・松虫を進上する。〔義演准后日記〕

二十七日(晩大夕立)
徳川家康(「将軍」/「前」抜か)、上洛する。〔義演准后日記〕

八月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(晴)
義演、秀頼祈祷のため、歓喜天浴油を開白し、日護摩を修す。〔義演准后日記〕
秀頼(「大坂」)祈祷が豊国社神前にて行われる。〔舜旧記〕

二日(天晴)
寧(「政所」)が二条城(「京之御城」)にて興行された能に出席する。〔舜旧記〕

三日(夕立)
義演、秀頼(「秀ー公」)誕生日につき、自ら導師となり山上山下衆と共に大般若経を転読する。 今月は誕生月につき、特に念を入れて祈祷が行われる。 その後、義演は井内経紹(「大蔵卿」)が大坂へ使わされ、祈祷札・聖天供団・日護摩巻数・葡萄一折を進上する。〔義演准后日記〕

十一日(霧雨、如五月雨)
徳川長福丸(頼宣)、五郎太郎(義直)兄弟、参内し元服するという。〔義演准后日記〕

十三日
秀頼(「大坂」)、片桐且元(「片桐市正」)に命じて先年の豊国社臨時祭の屏風を一双奉納させる。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
この日、十三日に大坂より奉納された豊国社臨時祭屏風を諸人が見物する。
豊国社祭。勅使として高倉永孝(「藤中納言」)が束帯にて参詣し、奉幣奉納する。〔舜旧記〕
「日亜相公」、夏以来秀頼(「秀頼公」)を見舞っていなかったため、大坂に赴くという。〔鹿苑日録〕

十九日(天晴)
豊国社にて申楽能が興行される。〔舜旧記〕

二十五日(晴)
秀頼(義演「秀ー公」/舜「大坂」/鹿苑「秀頼公」)の名で再興された北野社経堂について、落慶供養のために千部法花(舜:万部経)が修される。〔義演准后日記、舜旧記、鹿苑日録〕

二十七日(天晴)
片桐且元(「市正」)、伏見に在り。〔舜旧記〕

二十九日(天晴)
浅野長政(「浅弾」)、関東下向につき豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(晴)
秀頼祈祷のため、聖天供を開白し、日護摩を修す。〔義演准后日記〕

二日
井内経紹(「大蔵卿」)宛てに片桐且元(「片桐市正且元」)より書状が来る。内容は二十一日に行われる東寺金堂供養について、秀頼(「右大臣殿」)より義演へ導師の正式な依頼。〔義演准后日記〕

三日(陰)
義演、秀頼(「秀ー公」)誕生日につき、自ら導師となり山上山下衆と共に大般若経を転読する。 その後、義演は北村久兵衛を大坂へ遣わし、日護摩巻数・団・大般若札を進上する。〔義演准后日記〕

十三日
片桐且元(「片桐市正且元」)、大久保長安(「大久保石見守長安」)、板倉勝重(「板倉伊賀守勝重」)、伏見城へ赴き、豊国社の条約ならびに社頭石燈籠について徳川秀忠の許可を得る。〔舜旧記、徳川実紀〕

十五日(雨)
義演、翌十六日の大坂城大般若経転読のために大坂へ下向する。
茶々姫(「御袋」)へ杉原五十帖、千(「姫君」)へも五十帖、大蔵卿局へ二十帖、伊茶局(「いちや」)へも二十帖贈る。案内が遣わされ、日護摩の撫物が進上される。また下向の祝いと明日の祈祷について知らされる。
また、片桐且元(片桐市正)はこの日、徳川家康(「大御所」)江戸下向につき伏見へいるために不在と弟貞隆(「主膳正」)より聞く。貞隆、義演を馳走し、市正より預かった樽と自らも樽二荷・二種を進上する。義演、返礼として貞隆へ樽を贈る。〔義演准后日記〕

十六日(雨)
大坂城にて大般若経が転読される。導師は義演。経衆は理性院公秀・松橋堯円・金剛王院実融・俊長・東寺宝輪院宗俊・東寺観智院演賀・堯政・源朝・亮済・演快・演俊・宋倩・演超。
布施として導師義演へ秀頼(「秀ー」)より銀子二十枚、茶々姫(「御袋」)より小袖一重、千(「姫君」)より同じく小袖一重、経衆には鵝眼三千三百疋、人側賄料として二石が贈られる。また良家へは銀三枚、平民には二枚が贈られる。
その後、秀頼との対面・盃事あり。
退城後、伊茶局(「いちや」)が使いとして宿坊へ来る。
この日、徳川家康江戸下向につき諸門跡による暇乞の礼が行われる。義演は諸供養ならびに大坂祈祷につき礼参困難を西笑承兌・金地院崇伝に報告の上で礼参を免除される。〔義演准后日記〕

十七日(晴)
義演、東寺金堂供養について片桐且元(「片桐市正」)・文殊院勢誉へ使者を送る。〔義演准后日記〕

二十一日
この日、秀頼(「右大臣殿」)を施主として東寺金堂供養が行われる。 なお、執蓋・執綱事は秀頼(「右大臣殿」)諸太夫三人(「衣冠如常五位」の注記あり)が行う。〔義演准后日記〕

二十九日
有節瑞保、片桐且元(「片市殿」)の書状で大坂に下る。未明に且元に会い、続いて片桐貞隆(「片主膳殿」)に会い、その後秀頼を見舞う。対面あり。その後振舞あり。 〔鹿苑日録〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(霽)
秀頼(「右大臣殿」)祈祷のため、歓喜天浴油を開白し、愛染日護摩を修す。〔義演准后日記〕

二日(自朝晴天)
有節瑞保、大坂城にて片桐且元(「片市」)・貞隆(「片主」)兄弟と会談する。〔鹿苑日録〕

三日(陰)
秀頼(「秀ー公」)誕生日祈祷が延引される。義演大坂へ毎月巻数・団・紅葉枝を進上する。〔義演准后日記〕

四日(自朝晴天)
有節瑞保、大坂城にて片桐且元(「片市」)と対面する。〔鹿苑日録〕

十二日(天晴)
梵舜、大坂へ下向する。〔舜旧記〕

十三日(雨降)
梵舜、秀頼(「秀頼公」)へ礼参のため大坂城へ登城する。片桐且元(「市正殿」)、これを取り次ぐ。 梵舜、秀頼に杉原十帖・匂香十貝・尊円親王の巻物、茶々姫(「御袋様」)へ杉原十帖・匂香十貝、大蔵卿局(「大蔵卿局」)へ匂香十貝を進上する。
秀頼、梵舜に伊勢神宮二十二社の由来について教えを請う。〔舜旧記〕

十四日(天晴)
梵舜、豊国社へ帰る。〔舜旧記〕

二十日(晴)
大野治長(「大野修理」)、義演へ楓を所望する。〔義演准后日記〕

二十二日(晴)
義演、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)へ樽を遣わす。〔義演准后日記〕

二十四日(天晴)
寧(「政所」)へ神宮寺のお礼のために訪問し、菓子折・柳樽を進上する。孝蔵主(「康蔵主」)が取り次ぐ。〔舜旧記〕

下旬
秀頼の名で行われていた上醍醐三堂(御影堂・五大堂・如意輪堂)の再興が成る。その広さ、豪華さはかつてとは比べ物にならないほどのものだったという。〔醍醐寺文書〕

醍醐山上如意輪堂棟札案
「  慶長十一載丙午九月十八日立柱、同二十九日上棟
大檀那右丞相豊臣朝臣(秀頼)御建立
   奉行伊藤左馬頭則長

夫当堂者般若〔「寺」脱ヵ〕僧正草創也、根本尊師(理源大師聖宝:空海の孫弟子)影堂也、観賢手刻師範之形、令安当舎之内、並次依有中院朽損、同奉渡般若寺御影於当寺、同奉安置之、爰不図文応元年十一月六日寅刻炎上、?哉両祖之影像並什物等悉焼失了、初度、弘長元年四月十三日立柱、同二十三日上棟、僅七ヶ月之間、早終土木之功、迎開山(聖宝)之忌日(七月六日)遂供養斎莚、尊師新造並般若寺之御影者、則憲深僧正令開眼給、
延文六載辛丑三月八日牛刻  忽中院之坊舎依火事之余炎、重而堂宇遭不図炎上之孼災、欠弘長巳後之花構、早成(×為)灰燼、影像纔免煙炎、第二度応安元年戊申七月五日立柱、運数暦之星霜、以結構移四代之座主以造畢、成院遅留送日而已、抑大師御影者、明徳年中為真鏡承認勧進造立、始奉安置当堂了、于時慶長十稔乙巳十二月二十一日寅刻、当堂並びに如意輪堂・五大堂同時又焼失、既及三ヶ度之火災畢、嗚呼、三宇之華構映飛焔、諸尊之玉輪変灰燼、尊師影只一体令免其火災給候、余者不爾、可悲々々、
同十一年畢丙午三月上旬至大坂城訴訟、六月中旬右相国秀頼公厳命忽降、三宇再興、一山衆悦、八月九日奉行登山、同中旬運登材木、九月十三日突礎、同十八日卯刻立柱、同二十九日卯刻上棟、十月下旬造畢、於大坂木作、仍周備早速也、倩見斯新構、頗超自于旧製、増間増丈、盡善盡美、自非擅捨者、争遂華餝乎、今以比古、古比及今、 是只尊師之冥感也(×而)、豈非権現加護乎、」

十一月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(霽)
義演、秀頼祈祷のため、歓喜天浴油を開白し、愛染日護摩を修す。〔義演准后日記〕
秀頼(「大坂」)祈祷のため、豊国社にて祈祷が行われる。〔舜旧記〕

三日(陰)
義演、秀頼(「秀ー公」)誕生日につき、大般若経を転読する。その後義演、大坂へ大般若札・日護摩巻数・団を秀頼・茶々姫・千(「御三所」)進上する。〔義演准后日記〕

七日(晴)
関白近衛信尹に対し、関白職を鷹司信房(「鷹司殿」)へ譲るべき沙汰あり。〔義演准后日記〕

九日(陰)
近衛信尹(「陽明関白」)、関白職を辞退する。〔義演准后日記〕

十一日
鷹司信房(「鷹司殿」)、関白・左大臣宣下。秀吉(「大閤御所」)拝任のため遅れる、多年の望みを達し重畳との記載有。〔義演准后日記(同月十二日条)〕

十二日
有節瑞保、住吉大社を見る。社頭は秀頼(「大坂」)による建立。〔鹿苑日録〕

十三日
義演、片桐且元(「片桐市正」)へ山下築地・二王門・山上三堂再興作事の礼に書信ならびに樽・折を送る。〔義演准后日記(同月十二日条)〕

二十日(晴)
有節瑞保、大坂城にて片桐且元(「片市公」)と対面し、御殿へ赴き秀頼(「秀頼公」)を拝す。蜜柑を進上する。
その後生玉大明神を拝観する。これもまた秀頼(「秀頼公」)の建立した社殿だが、その華麗さに驚く。神宮寺は法安寺というが、これもまた綺麗な造営に驚く。〔鹿苑日録〕
大野治長(「大野修理」)、義演へ楓を所望する。〔義演准后日記〕

二十二日(晴)
義演、茶阿局(「ちゃ阿」/豊臣家老女)へ樽を遣わす。〔義演准后日記〕

二十四日(晴)
舟橋秀賢、片桐貞隆(「片桐主膳正」)を見舞に訪問し、蜜柑を一折贈る。 その場で貞隆が寧の住む京都新城の屋敷(「香台院政所殿屋」)の修理にあたり、秀頼(「秀頼公」)より奉行に任じられる旨を聞く。〔慶長日件録〕
(※ 但し、諸研究ではこの件について、実質的には茶々姫の意向であろうと推測されている)。

二十九日(晴)
秀頼(「秀頼公」)、存庵を通じ舟橋秀賢に短冊四十枚を送り、東坊城盛長・西園寺実益・五条為経・小川俊昌(「小川坊城」)・三条西実条・四条隆昌・難波宗勝らに配るよう依頼する。〔慶長日件録〕

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(晴)
秀頼祈祷のため、歓喜天浴油を開白し、愛染日護摩を修す。〔義演准后日記〕

三日(晴)
義演、秀頼(「秀ー公」)誕生日につき、自ら導師となり経衆九人(松橋堯円ら)と共に大般若経を転読する。その後義演、大坂へ北村主水(久兵衛改名する)を遣わし、秀頼(「大坂」)へ大般若札・日護摩巻数・団・蜜柑を進上する。 また下醍醐の再興について片桐且元(「片桐市正」)へ訴える。〔義演准后日記〕

五日(雨)
義演のもとへ大坂より下醍醐の再興について、来春御意あるべく返事が来る。〔義演准后日記〕

八日
寧(「故豊臣太閤政所」)、東山将軍塚の土地に太閤夫妻の香火院として高台寺を建立するに当たり、福島正則(「福島左衛門大夫正則」)、加藤清正(「加藤肥後守清正」)が人夫を出す。秀忠、寺領として五百石寄進する。〔徳川実紀〕

十日(晴)
完子(「九条殿御台」)、義演へ安産祈祷を依頼し、撫物を送る。〔義演准后日記〕

十二日
石清水八幡宮正遷宮。社壇は秀頼(「豊臣朝臣秀頼公」)による造営。〔義演准后日記〕

十五日(晴)
茶々姫(「秀頼公御母儀」)、自ら願主となって真如堂(真正極楽寺)を再建し、この日の早朝に遷座式が行われる。
言経夫妻(妻は冷泉為満長女。西御方の姉)、各々真如堂へ参詣する。〔言経卿記〕

十九日
上醍醐学侶、上醍醐伽藍完成御礼に大坂へ赴く。義演より大蔵卿局、ならびに片桐且元(「片桐市正」)へそれぞれの音信を持参する。〔義演准后日記〕

二十一日(天晴)
寧(「政所」)、豊国社へ参詣し銀子三枚を奉納する。また神官らへ進物する。〔義演准后日記〕

二十五日(晴、寒嵐)
九条忠栄(「九条殿」)より義演へ使者を送り、妻完子の安産祈祷依頼のため杉原十帖と銀を送る。〔義演准后日記〕

二十七日(晴)
義演、大坂へ井内経紹(「大蔵卿法橋」)を遣わし、秀頼・茶々姫・千(「御三御所」)へ日護摩巻数・撫物・折を贈る。また大蔵卿局・伊茶局(「いちや」・片桐且元(「片桐市正」))へ足袋を遣わす。
完子(「九条殿御内儀」)、義演へ杉原二十帖・綾一巻を贈る。〔義演准后日記〕

三十日
秀頼祈祷のため、歓喜天浴油を開白し、愛染日護摩を修す。〔義演准后日記〕



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