FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

1608/慶長十三年

慶長十三(1608)年(戊申)
※ []内は茶々姫の居場所

正月

[大坂城本丸奥御殿]
二日
秀頼(「豊臣右大臣秀頼公」)、駿府城(「駿城」)に織田頼長(「織田左門頼長」)を遣わし、家康に歳首を賀す。〔徳川実紀(台徳院殿御実紀)〕

四日(天晴)
秀頼(「大坂」)の名代として片桐且元(「片桐市正且元」)が豊国社へ金子一枚百貫を始めとする新年の奉納を行う。〔舜旧記〕

五日(天晴)
寧(「政所」)が豊国社へ参詣し、湯立祈祷・銀子五枚などを奉納する。〔舜旧記〕

二月

[大坂城本丸奥御殿]
十一日(天晴)
梵舜、大坂へ下向し、片桐且元(「片桐市正」)・貞隆(「主膳正」)兄弟に面会し贈答を交わす。
その後大坂城へ登城し、秀頼(「秀頼公」)へ杉原十帖、茶々姫(「御袋様」)へ匂香十貝・金銀箔、大蔵卿局(「大蔵卿殿」)へ匂香十貝を進上する。
但し、秀頼が体調不良(「御頭痛」)のために対面はなく、取次である安威守佐(「安盛摂津守」)・郡宗保(「コホリ主馬」)と面会する。〔舜旧記〕

十二日(晴)
茶々姫(「ひてよりの御ふくろ」)、朝廷に白銀二十枚・とんす十巻を進上する。〔お湯殿の上の日記〕

十三日(天晴)
八条宮智仁親王(「八条殿」)が豊国神社へ参拝・奉納する。〔舜旧記〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
この頃
秀頼(「秀頼公」)、曲直瀬道三(玄朔)に疱瘡の診察を受ける。寒気、発熱、頭痛の症状や熱が下がった後に赤色の痘が見られだしたこともが記されている。道三、「神功散」を処方する。〔医学天正記〕

五日(天晴)
秀頼(「大坂右大臣様」)の疱瘡治癒のために、神宮寺にて大般若経が転読される。梵舜、大坂へ弥兵衛を遣わし、祈祷札と書状を片桐且元(「片桐市正」)へ送る。且元、即日これに返信する。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
寧(「政所」)、秀吉月忌のこの日豊国神社へ参拝し、銀子五枚を奉納する。〔舜旧記〕

十九日
浅野長晟(「浅野但馬守長晟」)、「椿叟大夫」に矢野五左衛門(伊茶局の子)を遣わし、金子二十両を進上し、秀頼(「秀頼様」)疱瘡平癒のために大神楽執行を依頼する。〔浅野文書〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
十八日(天晴)
豊国祭につき、秀頼(「大坂」)名代として大野治長(「大野修理」)が辰刻に豊国社へ参詣し、金子一枚を奉納する。治長、個人的にも二貫文を奉納する。
また勅使として大炊御門経頼(「大炊御門大納言経頼」)が巳刻すぎに参詣・奉納する。〔舜旧記〕

五月

[大坂城本丸奥御殿]
七日(天晴、晩雨降)
この日の早朝、大蔵卿局(「大坂大蔵卿殿」)が豊国社へ参詣する。近日中に駿府(駿州)へ見舞のため下向するとのこと。〔舜旧記〕

十日
上醍醐御影堂再興について、井内経信(「侍従上座 経信」)、山上衆へ遅れていた如意輪堂・白山権現棟札の完成を奉じる。〔三宝院文書〕

二十四日(晴)
秀頼の乳母(当代「大坂秀頼公乳母局」、実紀「大坂の右府乳母」/右京大夫局か)、秀頼(「秀頼公」)・茶々姫(「御袋」)母子のために大神楽を伊勢神宮へ奏す。〔当代記・徳川実紀〕

十二日(晴)
秀頼、龍(「まつの丸殿」)に使者(侍女か)を二人遣わし、病中見舞の礼状を出す。〔松の丸殿宛秀頼書状〕

〔書下〕
   猶/\、わつらひ申刻、早々御下、まんそく申候、かしく、
其のちえ申うけ給らず候間、御床敷そんし候、わづらひ申刻、御下にて候へとも、ふたふたと御入候て、今に申出候、 ふとふと御くだりなされたく候、此五十枚しんじ候、めでたきしうぎまでにて候、くはしくは、両人方より申候へく候、 めでたくかしく、
   五月二十七日            より
     まつの丸殿            秀頼
        かしく 申させ給へ

〔意訳〕
  病床にあったときには、早々にお越しくださり、嬉しく思います。
あれからお顔を拝見していない、大変お会いしたく思っておりました。 病床にあったときにお越しくださったのにも関わらず、いろいろと立て込んでおりお礼が今になってしまいました。 また近いうちにぜひお越しください。この金子?五十枚は快癒の内祝でございます。 詳細は二人より申し上げますのでよろしくお願いいたします。
   五月二十七日
     松の丸殿へ            秀頼より 観音寺文書

六月

[大坂城本丸奥御殿]
十八日(天晴)
寧(「政所様」)、秀吉月忌のため豊国神社へ参拝し、銀子五枚を奉納する。浅野長政(「浅野弾正」)もまたこの日参詣する。〔舜旧記〕

二十三日
秀頼(「秀頼公」)、鞍馬寺毘沙門天を再興し、この日の寅刻、百五~六十年ぶり開帳される。導師は尊朝(「青蓮院之門跡」)。なお、この再興には家康の同意があったという。 〔舜旧記、山本文書〕

二十六日
片桐且元(「片桐市正且元」)、鞍馬寺再興について青蓮院坊官鳥居小路経秀(「鳥小路殿」)へ書状を出す。〔山本文書〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
一日
秀頼(「秀頼公」)、上醍醐御影堂を再興する。〔三宝院文書〕
梵舜、大坂に登城し秀頼(「秀頼公」)へ団扇二を進上する。〔舜旧記〕

九日
秀頼(「大坂の右府秀頼公」)、徳川秀忠へ金十枚を送る。 〔三宝院文書〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
二十九日(天晴)
梵舜、巳刻に大坂城へ登り、秀頼(「秀頼様」)に対面する。疱瘡平癒の様子について話す。秀頼、梵舜に御服白小袖一ツを与える。取次は片桐且元(「市正殿」)。
(なお、大雨のため凶作との記載あり。)〔舜旧記〕

十月

[大坂城本丸奥御殿]
二十二日
秀頼(「右府秀頼」)、大仏殿の再興を沙汰する。片桐且元(「片桐市正」)・雨森出雲守が奉行を務める。この日手斧始め。〔徳川実紀〕



編年史料 目次
スポンサーサイト



| 編年史料 | 05:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT