Posted at 1970.01.01 Category : 女官/女房/侍女
生没年: 不詳
名: 不詳
肩書: 「そ(織田主水昌澄)の母は大坂の北方(千)につかえたりとぞ」〔徳川実紀〕
父: 明智光秀〔明智系図、織田系図、系図纂要〕
母:
子:
・昌澄(信重、主水、大坂の陣で大坂方につく)〔寛政重修諸家譜、徳川実紀〕
(以下、史料上生母不詳の信澄の子)
・元信(織田信雄のち豊臣秀頼に仕える)〔寛永諸家系図伝〕
・京極高知妻(早世)〔寛政重修諸家譜〕
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名: 不詳
肩書: 「そ(織田主水昌澄)の母は大坂の北方(千)につかえたりとぞ」〔徳川実紀〕
父: 明智光秀〔明智系図、織田系図、系図纂要〕
母:
子:
・昌澄(信重、主水、大坂の陣で大坂方につく)〔寛政重修諸家譜、徳川実紀〕
(以下、史料上生母不詳の信澄の子)
・元信(織田信雄のち豊臣秀頼に仕える)〔寛永諸家系図伝〕
・京極高知妻(早世)〔寛政重修諸家譜〕
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Comment
昌澄の女子
初めまして、京丹後市峰山町在住の志水です。丹後の細川・京極時代を20年くらい調べて、先祖の道を追い掛けています。最初は細川興秋公の生存説を調べました、その中で米田興季と大野治房と細川興秋は大阪の陣でいっしょの部隊で戦い、落城の時それぞれ脱出しました。この三人は丹後で幼いときから顔見知りで良く知っていたと思われる。この三人は丹後に隠れていた可能性があるのではと?もうひとつは、京極高通の妻は、昌澄の娘で高知の養女ではないかと、調べています。ご存知のことがありましたらご教示ください。