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1610/慶長十五年

慶長十五(1610)年
※ []内は茶々姫の居場所

一月

[大坂城本丸奥御殿]
一日(天晴)
寧(「政所」)、早朝に豊国社へ参詣し銀子五枚を奉納する。萩原一族・神官たちと贈答あり。〔舜旧記〕

二日
秀頼(「豊臣右大臣秀頼公」)、駿府城(「駿城」)に伊藤治明(「伊藤掃部助治明」)を遣わし、家康に歳首を賀す。〔徳川実紀(台徳院殿御実紀)〕

四日(天晴)
巳刻、秀頼(「大坂」)の名代として片桐且元(「片桐市正殿」)が豊国社へ参詣し、金子一枚・馬代百貫を奉納する。 吉田兼見、この馬代百貫をが萩原兼従妻(「御料人」/寧の姪)の里帰りのための樽代に充てるよう渡す。
またすべての神官に百貫・巫女八人にはそれぞれ杉原十帖・銀子一枚を贈る。また吉田兼見(「二位」)・萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左兵衛督殿」/兼従父)へ それぞれ小袖二ツ・銀五枚を贈る。諸神事あり。
なお、且元について「昨今体調不良であり、この日新年の参詣が実現したことはとりわけ目出度いことである」という旨の記載をしている。〔舜旧記〕

五日(天晴)
吉田兼見(「二位殿」)、この日萩原兼従夫妻(「萩原殿・同女房衆」/寧の姪)が寧(「政所様」)のもとへ里帰りする際の礼とするために、秀頼方(「大坂」)よりの金子一枚百貫をすべて樽五荷・五種肴とする。〔舜旧記〕

七日(天晴)
梵舜、寧(「政所」)へ新年の礼に訪問する。孝蔵主(「幸蔵主」)・客人局(「客人」)・古茶局(「於小茶」)・梅久局(「梅久」)ら女房衆へも進物あり。〔舜旧記〕

十一日(天晴)
梵舜、豊国社神官(治部少輔・禰宜大和・神楽〔供ヵ〕所二蔵)とともに、片桐且元(「片桐市正殿」)の取り次ぎで大坂城へ赴く。 梵舜、秀頼(「秀頼様」)へ杉原十帖・一本、茶々姫(「御母儀」)・大蔵卿局(「大蔵卿殿」)へ匂香十貝(金銀箔押)を進上する。 また、豊国社中よりの進物として、秀頼へ太刀折紙、茶々姫(「御袋様」)へ杉原十帖・小扇二本、大蔵卿局へ杉原十帖を進上する。
なお、登城前には且元邸にて振舞あり。梵舜、且元へ扇十本・砂粉、貞隆(「片桐主膳正殿」)へ錫鉢二ツを贈る。 また、豊国社中からとして且元に扇十本を贈る。〔舜旧記〕

十八日(晴)
秀頼(「右府」)、公家衆より惣礼を受ける。舟橋秀賢、九条忠栄(「殿下」)と共に登城する。摂関家・門跡、秀頼よりニ献あり。その他公家衆は一献あり。〔慶長日件録〕

閏二月

[大坂城本丸奥御殿]
八日
尾張名古屋城の建築を急がせるために、前田利常(「松平筑前守利常」)、加藤清正(「加藤肥後守清正」)、池田輝政(「池田宰相輝政」)、黒田長政(「黒田甲斐守長政」)、鍋島勝茂(「鍋島信濃守勝茂」)、浅野幸長(「浅野紀伊守幸長」)、福島正則(「福島左衛門大夫正則」)、田中忠政(「田中筑後守忠政」)、細川忠興(「細川越中守忠興」)、山内康豊(「山内対馬守康豊」)、毛利秀就(「松平長門守秀就」)、加藤嘉明(「加藤左馬介嘉明」)、蜂須賀至鎮(「蜂須賀阿波守至鎮」)、寺沢広高(「寺沢志摩守広高」)、生駒一正(「生駒讃岐守一正」)、木下延俊(「木下右衛門大夫延俊」)、竹中重門(「竹中丹後守重門」)、金森可重(「金森出雲守可重」)、毛利高政(「毛利伊勢守高政」)、一柳直盛(「一柳監物直盛」)、一柳直重(「一柳丹後守直重」)、稲葉典通(「稲葉彦六典通」)ら、西国北国の大名、名古屋に仮屋を設けて人夫を出す(いわゆる天下普請)。また、佐久間政実(「佐久間河内守政実」)、山城忠久(「山城宮内少輔忠久)、滝川忠征(「滝川豊前守忠征」)、牧長勝(「牧助右衛門長勝」)、村田権右衛門はその奉行として名古屋に入る。
『徳川実紀』には当時の逸話として、福島正則が将軍秀忠の住まう江戸城や大御所家康の居城駿府城の普請ならまだしも、その庶子である名古屋城まで相次いで天下普請を行うこと対する不満を家康の聟である池田輝政に零している。内容の真偽はわからないが、当時の西国北国大名が幕府によって警戒され、忠誠を試されいた立場が伺える。〔徳川実紀〕

十八日(陰)
片桐且元(「片桐市正殿」)、駿府より帰洛する。梵舜、京の片桐邸へ赴き豊国社臨時祭および大仏建立などについて会談する。 且元、特に大仏建立については、茶々姫(「大坂御母儀」)の意向を聞くべきことを梵舜に話す。〔舜旧記、徳川実紀〕

この月
幕府、名古屋城築城を課せられていない池田長吉(「池田備中守長吉」)らの大名に丹波国亀山城の築城を命じる。〔徳川実紀〕

三月

[大坂城本丸奥御殿]
一日
浅野長政(「浅野弾正少弼長政」)の次男長晟(「但馬守長晟」)に備中二万石(二万四千石、二万五千石とも)を加増する。
『徳川実紀』曰く、長晟はもともと秀頼に小姓頭として仕え三千石を領していたが、この頃兄幸長(「紀伊守幸長」)女を徳川家康の子義直(「尾張義直朝臣」)の妻とし、一族みな厚遇を受けるという。なお、この加増された備中二万石は寧より没収した故木下家定(「木下肥後守家定」)の旧領。〔徳川実紀〕

十一日
徳川秀忠、後陽成天皇の譲位について相談するため、勅使広橋兼勝(「広橋大納言兼勝卿」)・勧修寺光豊(「勧修寺中納言光豊卿」)・京都所司代板倉勝重(「板倉伊賀守勝重」)を伴い、駿府へ下向する。〔徳川実紀〕

十五日(自朝晴天)
有節瑞保が午前中に大坂城へ登ると、昨夜庚申(夜寝てはいけない)だったため、秀頼(「秀頼公」)はまだ睡眠中とのこと。午刻の終わりごろ改めて礼参する。〔鹿苑日録〕

四月

[大坂城本丸奥御殿]
十一日
医者吉田意安(「吉田意安宗恂」)が没し、その子如見家を継ぐ。如見、徳川家康(「駿府」)・秀忠(「江城」)へ父の形見送り、また家督相続のあいさつとして家康へ純子沈香、秀忠へ南京織物、竹千代(「若君」/後の家光)へ広東織物、江(「御台所」)へ綸子を送る。〔寛永系図(徳川実紀)〕

十六日(天晴)
浅野長晟(「浅野但馬守」)、豊国社へ参詣する。徳川家康(「駿河将軍」)より二万五千石の知行を賜るという。〔舜旧記〕

十七日(天晴)
巳刻、寧が豊国社へ参詣・奉納する。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
豊国祭。
早朝、秀頼(「大坂」)名代として片桐貞隆(「片桐主膳正」)が豊国社へ参詣、金子一枚・鳥目百貫を奉納する。 吉田兼見(「二位」)・萩原兼従・吉田兼治(「左兵衛佐」)へそれぞれ銀五枚を贈る。
巳刻、勅使として中山慶親(「中山中納言慶親」)が束帯姿にて参詣。朝廷より馬代五百疋、個人として百疋を奉納する。〔舜旧記〕

二十八日(雨降)
この日、福島正則(「福嶋左衛門大夫」)が豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

二十九日(雨降)
秀頼(「秀頼公」)、片桐且元を通じて吉田兼見へ吉田家所蔵の「藤氏大系図」(藤原家系図)の閲覧を依頼する。 この日の申刻、豊後守が大坂城へ届けに下向する。〔舜旧記〕

この月
片桐且元(「片桐市正且元」)の長子孝利(「次郎助孝利」)、駿府城で徳川家康と面会する。
建部内匠頭光重没す(三十三歳)。その子政長(「内匠政」、「政長」)未だ幼少のため、秀頼(「秀頼公」)がその遺領を預かろうとしていたが、池田輝政(「池田宰相輝政」)が幕府に願い出て、家康・秀忠(「両御所」)より片桐且元(「片桐市正且元」)に対し、政長へ父の遺領(尼崎七百石)を継がせるよう伝えられる。〔徳川実紀〕

六月

[大坂城本丸奥御殿]
二十日(天晴)
梵舜、寧(「政所様」)を見舞う。取り次ぎは客人局(「客人」)。〔舜旧記〕

二十九日(天晴)
梵舜、片桐且元(「片桐市正」)の取り次ぎで大坂城にて秀頼(「秀頼様」)と対面する。梵舜、秀頼へ蟲籠を進上し、且元へ団扇二本を贈る。〔舜旧記〕

七月

[大坂城本丸奥御殿]
六日
丹波国亀山城、落成する。天守は藤堂高虎(「藤堂和泉守高虎」)の普請。〔徳川実紀〕

八月

[大坂城本丸奥御殿]
十三日(天晴)
八条宮智仁親王(「八条殿」)、豊国社へ参詣する。〔舜旧記〕

十五日(雨降)
後陽成天皇女御近衛前子(「女御」/近衛前久女)、母とともに豊国社を参詣する。〔舜旧記〕

十六日
秀頼(「大坂」)、豊国祭・豊国臨時祭にむけて豊国社へ馬野瀬猪右衛門を遣わし、銀子(枚数は欠)・鳥目百貫を送る。 寧(「政所」)もまた金子一枚を湯立料として、銀子三枚を御内衆湯立料として遣わす。〔舜旧記〕

十七日(天晴)
寧(「政所」)、豊国社へ参詣し金子一枚などを奉納する。〔舜旧記〕

十八日(天晴)
豊国祭。
早朝、勅使として広橋兼勝(「広橋大納言兼勝」)が束帯姿にて参詣する。
その後、秀頼名代として片桐且元(「片桐市正殿」)が装束にて参詣、金子一枚・鳥目百二十貫を奉納する。 また吉田兼見(「二位」)・萩原兼従(「兼従」)・吉田兼治(「左兵衛佐」)へそれぞれ銀五枚、梵舜へ三貫を贈る。
ほかに、諸大名よりも奉納あり。〔舜旧記〕

十九日(天晴)
豊国臨時祭。諸神事・申楽などが行われる。奉行は片桐且元(「片桐市正殿」)。
申刻、且元の使者(多羅尾半左衛門・馬野瀬猪右衛門)から吉田兼見(「二位」)・萩原兼従(「萩原」)・吉田兼治(「左衛門佐」)にそれぞれ絹十疋・綿十把・錦五巻、神宮寺へは絹十疋・綿十把が贈られる。〔舜旧記、徳川実紀〕

九月

[大坂城本丸奥御殿]
中旬
加藤清正、名古屋城普請完成ののち、大坂へ赴き、秀頼(「秀頼公」)に謁見する。〔清正記〕

この月
徳川家康、後陽成天皇の譲位について武家伝奏を通じ、政仁親王(後の後水尾天皇)の元服・即位の準備を早急に行うべきこと、後陽成天皇への奏上には、母の新上東門院(「女院」)をの力を借りて奏上すべきことを伝える。〔徳川実紀〕

十一月

[大坂城本丸奥御殿]
二十六日
徳川秀忠、豊国社務萩原兼従(「萩原大夫兼従」)に朱印状を発給し、豊国社社領として慶長六年に寄進された山城一万石を永代に認め、諸役怠りなく務めるべきことを命ず。
また、兼従父兼治(「左兵衛兼治」)に吉田神道の神主を相続させ、兼従は吉田兼見の弟神龍院梵舜に後見させる。
江戸に滞在していた徳川家康(「大御所」)の駿府帰還に先立ち、金地院崇伝が駿府へ発つにあたり、江(「御台所」)、時服二襲、あや二、その他さまざまの物を崇伝に贈る。〔徳川実紀〕

十二月

[大坂城本丸奥御殿]
十二日
梵舜・萩原兼従、駿府に至り、徳川家康・阿茶局(「あちゃの局」)へ進物する。家康、秀忠へも参拝すべき旨伝える。〔舜旧記、徳川実紀〕



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