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小督

生没年: 不詳(大坂の陣を生き延びたのは確かです)

名: 小督
「醍醐花見和歌短冊」に「ご五う」という女性が見えるが、年代的に別人か

戒名: 妙源院〔葉隠〕

父: 藤本太郎右衛門

主: 松平忠明

子: 牟利〔鍋島家​譜​ ​(​肥​前​蓮​池​)〕または利〔龍​造​寺​並鍋島家​譜〕
鍋島忠直妻のち鍋島直澄妻、鍋島光茂及び一女の母
元和三年十一月十五日大坂で誕生、正保二年一月二十七日江戸麻布屋敷で没
恵照院殿心月妙泉大姉〔龍​造​寺​並鍋島家​譜〕、慧照院心月妙泉〔鍋島家​譜​ ​(​肥​前​蓮​池​)〕
肥前慶誾寺に葬られ、のちに蓮池宗眼寺に改装される。



もう一人の“小督”


「鍋島勝茂譜考補」という史料に眠る女性です。
幼いころより侍女として大坂城でつかえていたが、後に千(「秀頼公ノ北ノ方」)に仕えた、とあります。
はっきりとは書いてありませんが、千が嫁いできたのちに おそらく茶々姫が千姫と年の近い小督に目をとめて、千の侍女としたのでしょう。

政略的に考えれば、このようにもともと豊臣家に仕えていた侍女を千付きにするということは、 千の周りを守る徳川家からの侍女たちをけん制する意図もあったのでしょう。
しかし、あえて年若い小督を選んだのは、やはり見知らぬ土地にきて怯えているだろう可愛い姪を思っての人選であったと思われます。
特に、千の母であるお江(「小督」とも書く)と同じ名前を持つ彼女だったというところに何か感じるところがありますね。

彼女のその後は、 千脱出の際数名の侍女がこれに従い(大堀に隠れた、という描写があります)、松平忠明(「松平下総守」)に匿われたとあります。
そして、これを喜んだ家康に、忠明への褒美として小督が下げ渡されたようです。
家康の声掛かりで忠明の妾となった小督は、やがて娘(牟利)を産み、その血は鍋島家に繋がってゆきました。

千姫脱出の描写は他の史料と食い違う部分があるものの、千姫退城につき従い大坂の陣を生き延びたというところは間違いなさそうです。

なお、醍醐の花見に参加した侍女のなかに、未だ出自の明らかにされていない「ご五う」という侍女は彼女のことではないでしょうか。


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