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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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日出城、松屋寺

 

日出城歴史資料館 木下氏系図附言纂(年代不詳):「政所湖月君/御諱を於袮居君ト申奉…」、パネル展示(松屋寺蔵木下家定肖像、朝日肖像)


posted at 12:54:44


木下延俊慶長18年日記「(六月)廿日、今日も天気能く候。今朝高台院さまより殿様御気相あしき由きこしめし候て、御書参り候。其の後ニ御薬も三色参り候。今朝ハ長慶院さまヲ御振舞成され候。高台院さまより御樽、雁色々参り候。…」


posted at 12:58:09


「(六月)廿九日、今朝五つ時分大坂満介所へ御付き、天気能く候。大坂様へ御礼御申す。有楽様へ御茶湯ニ御出候。外記さまも御しやうばんニ御座候。それより見廻多く御出候。中ニも小川総兵衛参られ候。」


posted at 12:58:13


パネル「日出藩主木下家と一子相伝」、木下俊凞氏と写真、木下氏著書『秀頼は薩摩で生きていた』表紙写真(「豊後国旧日出藩十八世裔豊臣木下俊凞」)、立石領木下氏家紋(沢鷹紋)彫物〔長流寺(杵築市山香町)〕、長流寺(立石領木下氏菩提寺)、木下延由位牌(同寺)


posted at 13:06:30


木下延由墓(立石領木下氏墓所、同寺)、立石領木下氏家紋(独楽紋)彫物(同寺)


posted at 13:07:54


18代俊凞氏は16代夫人綾子刀自から「一子相伝」を反復暗唱させられたとのこと。 日出から立石が分家した当初は全く交流がなかった程の仲の悪さだったらしいのに、日出の本家に口伝で残された不思議…


posted at 13:10:03


鬼門櫓パネル。独楽紋は秀吉から拝領した説があるらしい。 初代延俊の夫人は細川忠興の妹加賀。関ヶ原のあと姫路を追われた延俊を忠興が迎え入れて日出に城を作って与えたらしい。


posted at 13:24:13


そもそも延俊の子日出二代俊治と延由は共に側室の子で、生まれが十二日しか変わらないらしい。分国にはそういう背景もあるのではとのこと。


posted at 13:27:29


というわけで日出城。 pic.twitter.com/JQQT9HcX86



posted at 13:30:53


完全に朝日さんの戒名からとった模様 pic.twitter.com/o7YjW92XK0



posted at 14:03:35


そんな感じで… pic.twitter.com/1e2RENd4Mn



posted at 14:29:39


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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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