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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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茶々は名護屋に同陣したか ~文禄二年京極高次書状(熊麿関係)

 

ちなみに、『居所集成』の新版でも福田先生による「簾中」が龍子ではない旨の補強がありましたので一応。 twitter.com/kazumaru_cf/st…


posted at 06:53:24


文禄2年の京極高次書状(磯野家書状)を見ている。「大坂御局」が誰かですが、わたしは大蔵卿局だと考えブログにそう書きました。福田説では、大蔵卿局は名護屋にいるはずなので別人とされ、ネットでは大蔵卿局であるはずだから、やっぱり茶々は大坂にいるはずで、服部説の裏付けだとされています。


posted at 19:11:55


(続き)別人だとしたら、その後に「海津殿」と出てくるので、京極家との仲立ちができる人物である海津の叔母(妹というのが通説ですが、この海津は姪にあたる人ではないかとわたしは考えています)饗庭局かなと思うのですが、正直「御局」のみで通じているのでやはり大蔵卿局をさすのかなあと…


posted at 19:15:44


そもそも、大蔵卿局は茶々姫の乳母で最側近すが、彼女が始終茶々から離れることはなかったのでしょうか。たとえば、寧の側近孝蔵主は寧の代わりに動くこともしばしばあります。少なくとも大坂の陣のときには茶々の元を離れ駿府まで出向いていますし、(続く)


posted at 19:18:42


(続き)江が千の輿入れで上洛してきた際にはやはり大坂の茶々姫のそばを離れて近江まで行って応対していますし… 出産を控えて大坂へ帰る茶々のために、二の丸の体制など準備を整えるのは大蔵卿局が責任を負ったと思いますし、先に名護屋を離れて大坂にいたとしても別に変じゃないと思うんですが。


posted at 19:22:32


そもそも名護屋では知れ渡っているのに大坂で話題にできないというのも、単に公表に至っていないというだけで、すでに茶々姫ともども大坂に帰っていても不思議ではないとも思っていますが。 まあなんせややこしい。


posted at 19:25:05

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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