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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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[Twitter]宇喜多、天徳院

 

秀頼と宇喜多家がどの程度関係があったのかを考えていました。慶長四年の祈祷・返礼記事に一緒に登場するのを知ってから地味に気になっていたりします。前田家との関係も思ったより深そうだし…


posted at 21:55:12


@hervorruf それは普通にすごいですね!!ただいいなあ(笑)


posted at 21:51:04


志賀の陣から大坂の陣まで戦関係があまり得意ではないので、関ヶ原周辺も女性関連くらいしか分からなかったりします…これではいかん、と思いつつ。感想記事書きながら頭を抱える場面もちらほら。自分の考え等を書き記す言い回しなども難しいです。見苦しい弱音でごめんなさい。


posted at 21:49:25


@hanahime8787 いえいえ。また思いだすことがあればよろしければ。そういう話があることを知っただけでも収穫です。


posted at 01:36:48


@hanahime8787 こちらこそ家光の件を教えていただき、ありがとうございます。


posted at 01:33:00


@hanahime8787 出来ます。私もそちらで拝見しました。


posted at 01:28:37


@hanahime8787 家光の話は初めて伺いました。乳呑児の件は、島津家の家臣に忠興がそう言ったという逸話があるみたいですね。


posted at 01:08:34


出典が一次史料ですし、子々はやはり江の子で大丈夫なような。康道が完子の子であるというのも更に確実になりますね。


posted at 00:29:19


子々が亡くなったとき、二条康道が喪に服したようです。「御母方姑歟」と有るのですが、母方の姑?母方の血縁者という解釈で大丈夫でしょうか。一応大坂の陣後なので、康道の母完子が秀忠の養女扱いになっているかもしれませんが、子々と姉妹からだったからこその服喪だと考えていいようにも思います。


posted at 00:27:44


『寛政重修諸家譜』でも光高は子々の所生であると明記。そうすると、『細川家史料』をどう解釈するか…。解釈が違っているのか、史料が違っているのか。


posted at 00:23:25


改めて史料確認。加賀郡北中條村に子々(「中納言様之御前様」)の化粧殿があり、子々の氏神が山王社だったため化粧殿内に社殿、米を寄進したそうな。光高誕生の際も、この山王社へ宮参りの予定があったが、健康上の問題で取りやめになったという話も。子々と光高の関係を偲ばせる貴重な史料ですね。


posted at 00:20:24

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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