茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)
1606年=慶長十一年ということは、秀頼は数え十四歳。秀吉の遺言した秀頼の成年十五歳の前年なので、主体は茶々姫かな。「捲土重来(けんどちょうらい)を期」したものかは何とも言えないけれど… >石清水八幡宮 豊臣再興を期す金箔瓦発見 t.co/VDaIvt2R
posted at 19:00:03
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
Author:紀伊 茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。
「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。
参考資料としてご紹介いただきました。
このブログをリンクに追加する
この人とブロともになる
Tracback
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)