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茶々姫をたどる汐路にて

茶々姫研究日記(こちらが現行版になります)

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[Twitter]悶々

 

…なんて思うこともエゴなのかなあ、とか悶々と悩んでいる休日の昼下がりでした。長々とTL汚して申し訳ございません。


posted at 16:55:06


そういう方がいるだけでも「通説に疑問」があるという証(私はそう信じてめげずにやってきました)ですし、評価を断定されるよりも、一方でそうではないという見方をもあるのだよ、ということを少し添えていただきたいなあ…もちろん収集がつかなくなるだろうから、詳しく言ってほしいなんて言わない。


posted at 16:52:31


文章を拝見していて、この方はこの人をお嫌いなのだな…ということが察せられると残念。茶々だけでなく、治長にしても見直されようとしておられる方を何人も知っていますし、今回取り上げませんでしたが江の忠長偏愛説も長々紹介されています。紹介されるのが悪いとは思わないけど…


posted at 16:48:09


私自身、茶々姫に甘い史料読みをしているという自覚はありますが(というより、現状が真逆なので、あえてそういう立場で見るように心がけているといったほうが正しいですが)、『当代記』には一応疑問を投げかけて一方で軍記物や『駿府記』を採用されるあたりはなんだかなあ、と思うわけです。


posted at 16:43:41


(続き)且元もその信頼を得るほどの働きをしていたはず。あれは大坂の陣より十年以上さかのぼる書状だったはずなので、この十年ほどでなんらかの変化があったのだと考えなければいけないと思います。ともかく、やはり太田先生も茶々に辛いなあ、と改めて思いました。


posted at 16:38:17


且元が徳川の家臣か、豊臣の家臣かという話も出てきていますが、こここそ福田先生の本に出てきた茶々の書状を取り上げていただきたかった。結局、治長と違ってあくまで「公的な家老であった」という結論なのですが、あの書状を見ると茶々は確実に且元を頼りにしていた訳で…


posted at 16:35:27


(続き2)…というわけで、そのまま採用されています。「なぜ女性がそんな指図をしなくてはいけないのかと、城内でもかなりの批判があったらしい」ここは、後世に書かれたからこその批判では。当時の女性はこのようなことで批判されていないということは諸先生方の指摘されるところなのですが。


posted at 16:29:31


(続き)「大坂城を牛耳っていたのが淀であることは事実ですが、それが必ずしもうまくまわっていた訳ではなく、果たしてあのように甲冑姿で出てくるのが良かったかどうかは微妙なところです。上記からすると事実の可能性がありますが、それが大坂方の戦意を喪失させた一面も否定できないのです。」…


posted at 16:26:30


長浜城から去年の大河ドラマ講座の資料がきました。タイムリーに茶々の武装の話が出ています。太田先生は『当代記』の史料的な質に疑問を投げかけ、実際に武装していたかどうかは微妙であるとされています。一方で『駿府記』に書かれている、茶々の指図に城兵が「色を喪失う」という記述、これは…


posted at 16:24:26

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プロフィール

紀伊

Author:紀伊
茶々姫(浅井長政の娘、豊臣秀頼の母)を中心に、侍女、ご先祖の浅井家女性(祖母井口阿古など)、茶々の侍女やその子孫、養女羽柴完子とその子孫を追いかけています。
ちょこっとものを書かせていただいたり、お話しさせていただくことも。





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メモ「赤石いとこ」名義で記事を書かせていただきました。

悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ) 悲劇の智将 石田三成 (別冊宝島1632 カルチャー&スポーツ)(2009/06/06)
…改めて石田三成と茶々姫の“不義”を否定する記事を書かせていただきました。


メモ 参考資料としてご紹介いただきました。

めのとめのと
…茶々の乳母大蔵卿局を主人公描く歴史小説。茶々の祖母阿古の活躍も見どころ。
千姫 おんなの城 (PHP文芸文庫)千姫 おんなの城
…千の生涯を描いた作品。千が見た茶々をはじめとする人々の生き様、敗者が着せられた悪名が描かれる。


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